2017年8月17日 (木)

Charlottesville 事件に関連して

ずいぶん間が空いてしまいました。8月10日より御代田町の標高960メートルくらいの所に滞在しています。東京地方では連日降雨を見ているようですが、こちらも結構雨がちで、寒い日々です。
さて先週土曜日には、アメリカ合衆国Virginia Charlottesville で「白人至上主義」の団体による集会が行われ、これに抗議する人々の集団に、車が突っ込み死者がでるという事件が起きました。詳しいことは知らないのですが、シャルロッテビルには南軍の将軍、Lee の名を冠した大学があり、そのStatue もあるようですね。オバマ大統領のころから、南部の各州では、南軍を象徴するバナーが公共の施設から外されるなどのことが起きていて、アメリカ人の歴史や文化におけるラジカルな態度には結構驚きました。過去のマイナスを否定し、新しい「共和」主義に向かっていく姿勢は、僕のような日本の停滞した文化を前提とする人間には「随分思い切ったことをするなあ」と映っていました。
今回の「反動」勢力の表面化を見て、いままで見えなかったものが見えて来たんだな、と思いました。
シンボルを巡る争い、あるいは「言葉」の争いとして、政治の場に人々の意思が現れてくるのだと思いますが、トランプ政権になって、いままで水面下にあった色々な「右派」の意思が表面に現れて来ているのでしょう。
NY Times のオンライン記事によると、こうした右派を Alt-right と呼ぶそうですね。alt-right の特徴は、それが極右の運動であること、白人民族主義であること、反ユダヤ主義であることの三つで、「白人のアイデンティティ・ポリティクス」なのだそうです。それは同時に「反・移民」「反・フェミニスト」、「ホモセクシャル、ゲイ、トランスジェンダー反対」を掲げます。こうした勢力の登場とともに、政治の世界を記述する新しい表現がいろいろ出て来たとのことです。Alt-Left というのは、alt-righit のついになるような連想で使われるけれど、実態はない。 Alt-Light という表現もあり、これは alt-right の一部なのだけれど、人種主義的な面がすくない考え方とか。
左派のほうでは、 Antifa というのがあって、これは anti-fascist で、もともとは1960年代にドイツで極右に対抗する左派の流れからきているとのこと。
とにかく行動に訴えるということでSJW「社会正義のための戦士」 social justice warrior なんて勢力もあるとか。これも左派のほうなのだと思います。

白人至上主義者の間ではナチのスローガンであった Blood and Soil なんて言葉が使われたり、危機感をあおる White Genoside なんて言葉も使われたりするそうです。そうした人たちの間では、人種間結婚や移民はユダヤ人の陰謀であるなどと考えられており、グローバリズムが求める国境の解放や多様性diversity 、ネーションステートの弱体化もほぼ同じ線の上に考えられているそうです。
Anti-racist is code word for anti-white.
なのだそうです。

ドイツではナチスの蛮行に対して戦後の世論は極めて厳しく、こうした右派が政治にまで現れないように、教育や文化活動を通じてさまざまな方策がなされてきたわけで、どこかで書いたかもしれないけど、10年位前にベルリンを訪れた時には「歴史博物館」や「壁」の記念館などの公共施設の至る所で、ナチの蛮行を繰り返して思い起こすような活動が行われていたのを思い出します。過去の過ちをきちんと見据えるということは徹底して行われていました。今回メルケル首相がいちはやく、アメリカの右翼の活動を非難しているのも、そういうドイツの文化的背景があるわけです。

さて、8月15日のNHKでは「インパール作戦」について放送していました。日本軍の「失敗」についてはたびたび論じられていますが、今回のNHKの伝えた資料も同じ事実をはっきりと示しています。
このブログでもなんども触れたように、昭和10年代に日本の文化や社会が、経済的には一定の水準にまで到達しているのに、その事実の認識を得るほどには知識の水準が及んでいなくて、激しい勢いで思想が劣化していく様子を見て来たわけです。優れた知識人とされる人までが、魔法にかかったように「神懸かり」的なことを言いだしていったことはこのブログで、検証して来たとおりです。過去の過ちときちんと向き合う、ことを改めて思いますね。きょうはここまで。あ、堀田さん、もうねちゃいましたか?

2017年8月 6日 (日)

堀田さん

堀田さんに、「このブログを見ても3行で眠くなる」と言われたので。よし、今日は4行は読んでいただこう、とスタートしましたヨ!

気鋭の映像作家、太田監督(制作ユニット松田真子主宰)がある目的のもとに短い作品を作ることが急遽決まり、昨日8月5日、ほぼ丸一日かけて撮影等をするのに立ち会った。ちなみに不肖・早川トオルもちょろっと「出演」させていただいた。現場は機材や録音のため空調を止めていた関係で暑苦しく、12時間以上に及ぶ撮影は肉体的にも厳しいものだった。松下、安部、徳倉、松永ら俳優陣とともに、前述の堀田さんが録音始め現場全体のムードを終始もり立てた。作品はまだ出来上がっていない(そりゃそうだ)。しかしながら撮影の様子を見るところでは、太田作品の特徴がよく現れた、短いながら現代社会への批評的な眼差しを含み、人への「優しさ」を感じさせる会話劇となっていたと思う。どんな「作品」に仕上がるのか、大いに楽しみだ。
さて、堀田さんに読んでもらうためにここまで書いてきた。堀田さんについてもう少し書きたいがそれは本人の了承を得て後日の課題としたい。

不肖早川トオル、昨日、東京都の北部に隣接する都市(蕨市)の現場に、マイカーで赴いた。普通は都内・近郊の移動は電車を使うのだが、昨日は撮影のあとに行きたい場所があり、車で移動した。そして結構驚いたことがある。それは「駐車場の安さ」ね。自分が無知だっただけなのだが、撮影の場所は蕨駅から徒歩7〜8分の場所で家やマンションが立て込んでいる。そこの時間貸し駐車場、いざ料金を払おうとしたら、丸一日止めておいて400円だった。うちの近所(都内のはずれ)だと、15分200円とか、って単位だよね。こりゃ「安い」。これだとクルマの運用コストがうちの方とは全然違ってくる。でも蕨市って東京のすぐ隣だよね。まあ、すべては需要と供給の関係で値段がつくわけだから、この値付けも合理的なものなんだろうけど、けっこうびっくりしたわ。そんで、昨日は戸田で花火大会があって蕨あたりでもかなり真近に観賞できる。その割には蕨駅のあたりの飲食店への人出があまり多くないのにも驚いた。東京とその近郊も世界のグローバル都市同様、バカンス期には住民が出払ってしまうのだろうか?ちなみに駅近の駐車場にクルマを2時間止めて、200円だった。安いね。
帰りは、環7で帰ったけど、土曜の夜ということでスッカスカだった。とろいワンボックスが真ん中寄りの車線をタラタラ走っているのをスカッとかわして気持ちよく家路に着いたゼ。

堀田さん!最後まで読んでいただけましたでしょうか?



8月5日蕨駅西口 機まつり の様子

2017年7月28日 (金)

詩と映画は手に手をとって一つのリアリティを映し出す、か?

『夜空はいつでも最高密度の青色だ』石井裕也監督作品2017、見た。主な理由はタイトルのカッコ良さ。

今やこういうブログやらツイートやらで、言葉が腐るほど過剰に配給され、それぞれがみんな中身がスカスカで、だれかが言ったことを繰り返してるだけで、まったく読むに値しないのに、そこに文字があるからつい読んじゃう、的な感じで、ようするに、意味なく垂れ流された文字列があって、意味なく読んでいる自分がいて、そういうなんかどうしようもないスカスカなものの積み重ねの中にみんなが生きていて、「透明にならなくては息もできないこの街で」(引用)、何かを見つけるなんてとてもできそうもない、そういう状況を、「言葉」で捉えるなんて、もうありえないんじゃね?的なそういうシニカルな態度がオトナ、みたいな。
この映画は、最果タヒの「詩集」をベースにして作られた。実際、タイトルからして、言葉自身が持っているインパクトを感じさせるよね。そして、映画の中身も、まあゆるいとはいえそもそも「詩」というものが本来的に持っている漠然としたミリューを表していたと思う。
映画はあくまで東京の渋谷・新宿という具体的な場所の「現在」をバックドロップとして最大限に生かしている。その一方登場人物の間には、これといった具体的な事件がおきるわけではない、そういうドラマトゥルギーがないみたいなところに成立する形になっている。だから、この作品が語ろうとしているのは「今」をめぐる「寓話」なんだと思う。主人公たちの姿がなんらかの共感を生むとするなら、それは彼らが「何者でもない」からであって、若者ならではの「生きる不安」、そういうパッシブな感情をそのまま表現しているからなのである。青春とはつねに可能性であって、結果ではないからこそ、美しくまた共感を呼ぶのであり、その意味ではこの作品は「今の東京」を背景とした、立派な「青春映画」である。しかし、現代において「青春」がそんなに簡単でないことも、またこの作品の本質をなしている。ストリートで歌う歌手が要所、要所で現れ、「がんばれー」と歌うのだが、これはデウスエクスマキーナよろしく、いわばスクリーンの外側から主人公たちに向けた「応援歌」として、挿入されているわけであって、映画の観客が主人公と自分がを同一視する程度に応じて、その歌は自分に向けられていると、感じるしくみになっているのだ。この映画が示しているような、なんでもない、何者でもない男女の魂が少しづつ近づいていくという、言ってみればフツーの恋愛というものがとてもレアなものであり、誰かが「応援」しないと、とても成り立たないということなのかもしれない。
だが、それにしても、原作の詩の言葉をそのまま挿入して、違和感なく成立させたのは良かった。何よりも、映画の中に挿入された「詩の言葉」がそれ自身を「際立たせることができる」のには驚いた。



「きみがかわいそうだと思っている自分を・・・そしてだからこそ、この星に、恋愛なんてものはない」


さて、話は変わって、アメリカのモダニズムに関する美術批評で、 Michael Fried という人がいる。(読みはマイケル・フリードでいいのでしょうか)
そのひとのThe Art and Objecthood という評論を少し読んだ。フリードは若い時から美術評論を職業とすることができたことが、その長いイントロに書かれていた。彼は同時に近代絵画の始まりを探求して、19世紀フランス絵画に関する歴史的探求も行なってる。またさらに遡って、カラヴァッジョに関する本も書いているようだ。しかし一方では若い時には詩集を出していることが序章に書かれていた。彼の美術批評は非常に問題提起的であり、簡単な「概念化」をつねに逃れようとする傾向がある。そもそもこのタイトルだって、決して Art and Objectivity ではなくて、”Objecthood" なんだからね。そういう批評言語へのこだわりと、彼が「詩人」であることには密接な関わりがあるのだと思う。その長いイントロの最後には次のように書いてあった。改めて「詩」とは何か、ということも含めて、とても励みになる。


I have always believed that the poems, the art criticism, and the art history go together, that they share a single vision of reality.
More than that isn't for me to say.



じゃみんなも頑張ってね。

2017年7月21日 (金)

山食でカツカレー(大)

たった今山食でカツカレー(大)食べました。食べてる最中は、「こんなん軽いな」みたいに瞬間食了したわけですが、いま図書館に戻って来まして、脳の血流に異常を感じております。

このところ、アメリカの美術批評を見ております。というのも、少し前のブログでも紹介したように、ダントー氏の『After the End of Art』の翻訳が出版され、多少刺激を受けたこともあります。それと同時にアメリカの文化批評のジャンルでそれなりに面白く新しい研究の本が出ていることも、Amazonなどで簡単に知ることができるようになり、そちらに興味が移っている所です。

まず状況だけを簡単にみておくと、ダントーが指摘した通り、基本的にアートの世界は、「これがアートだ」というアートワールドの認証のもとで、なんでもアートなわけですから、いまさらHigh-Popularの区別が意味があるわけでもなく、使われるメディアもなんでもありなわけです。ただ、そうしたことを認めた上で、身の回りを見ますと、そこここで開かれているミュージアムの企画は、何か20世紀初頭のところで時計の針が止まってしまっているようで、その後のところ、今日に至るまでの100年間の世界のアートの事情を知る上では、極めて偏っているわけです。これはどのジャンルでも同じことで、たとえば「ブンガク」でも、あいも変わらず「ソウセキがどうの〜」といった風な、100年前の著作についての、なんの新味もないおしゃべりが続いているわけで、せめて、僕のブログがキチンとやっているように、それらの「ブラック」な部分をきちんとみるような作業すらやってない。これはもはや「超高齢化社会」において、爺さん婆さんが同じ昔の話を繰り返しているような、とんでもない「ブンカ」状況となっているわけです。年上の人間がそんな風ですから若手に至っては、「なんだ、昔話をしていりゃいいんだ」みたいな、そんなことになっているのかどうか、たぶんなっているんだ 、ということで、この連日の暑さもあって、日本語の構文も怪しくなって来つつあるという支離滅裂状態です。

さて、今日最初に紹介したいのは、Thomas CROW と言う人の、Modern Art in the Common Culture : 1996 Yell UP ですね。 今、二番目の記事を読んだんですけど、ジャクソン・ポロックが Mural 1944 を描いた時のことが書いてあります。ペギー・グッゲンハイムがマックス・エルンストと別れて、イギリス人のケネス・マクファーソンと結婚する記念に作成させたんだけど、それを促したのはグッゲンハイムの取り巻きだったハワード・プッツエルとかロベルト・マッタとかで、とくに重要な役割を果たしたのがマルセル・デュシャンなんだってね。それともうひとつはメディアの手で冷戦期の自由イデオロギーの宣伝みたいな形で利用するような雰囲気もあったんだってね。ご承知のようにポロックは絵の具をすごい勢いでぶちまけて短時間で描くんだけど、それを可能にしているのは、めちゃクチャでかいキャンバスにそれを描く、っていうことね。キャンバスが大きいから「アクションペインティング」みたいな感じで描いてるところそのものが絵になるわけ。ポロックは、まさに身体を「自由に」使って「制約」なくエネルギッシュに制作するんだけど、そのこと自体が冷戦的枠組みの中で意味を持ってしまう。それから、やたらでかい絵だけど、シケイロスみたいな「壁画」ではなく持ち運び可能な「キャンバス」の上に書くところも抽象表現主義の特徴になるわけだけど、そのことのイデオロギー的な含みもあるわけだ。そして、「自由に」描いているはずのポロックにはそういう「制約」の意識はないんだけど、クライアントであるグッゲンハイムとその取り巻き、とくにデュシャンの意向が働いていることは要注意、ということなんだ。というわけで、ポロックの絵ひとつ取り上げても、いろんな切り口や考えを進めることができる。またモダニズムをリードしたクレメン・グリーンバーグも、Mural 1944のころは、そんなに持ち上げてなかったらしい。この辺のアートの主流が大陸からアメリカに移動するところなんか、日本では何を見ても読んでも、全然わからないよね。


というわけで、クロウの本を読みながら、もし僕が本を書くとしたら次のようなものになるかな、と考えた。

タイトルは Aesthetic Positivism

副題は「美- 資本、その蓄積・増殖・社会的インパクト」

内容は、まずは、グッゲンハイムとはどういう一族か、という実証研究ね。美術愛好、収集と富の蓄積との関係がそこからみえてくるはず。
それから日本に関しては、日本資本主義が、「美的実証主義」をその内部に打ち立てることができなかったのはどうしてか、という問題を立てて見たい。
そこでまず問題になるのが「日本浪曼派」の「美学」ですね。そして、戦後文学に関しては三島由紀夫の「美学」をロマン主義のフラグメント化みたいに捉えるというのがいいかな、と。つまりポジティビズムの反対ね。日本美学が「ポジティビズム」つまり「資本主義の原理」と結びつかなかったことが、現在の日本の文化状況の根本にある、という見通しだ。

まあ、仮に本を書くとしたら、ということで、そんなアイデアだけは浮かんで来た、ってこと。
じゃ、とにかく外は暑いから、頭をオーバーヒートさせないように、みんな頑張ってね。

2017年7月14日 (金)

いやはや

暑くて爆発だあ。先週 渋谷文化村で ヴィスコンティ 1963年の作品『山猫』見た。あっという間の3時間だったね。思い返せば岩波ホールで同じくヴィスコンティの『家族の肖像』を見て、そのあと T教授のところに結婚の報告と新年の挨拶に出かけた辺りから今の僕の人生のパターンが決まったんだな。ヴィスコンティ映画とはなんか不思議な縁がある。といっても『イノセント』とか『ヴェニスに死す』とかこれと言って強い印象はない。『家族の肖像』はなんとも不思議な強い印象を残した作品だ。今回劇場で見た『山猫』は、シチリアの貴族が主人公で、なぜかバート・ランカスターが演じている。ヴィスコンティはランカスターのどこが気に入ったのか?何かLGBT的に受ける要素がバート・ランカスターにあるのか?映画の中でも風呂から出てきて何もきないで堂々としているところが出てくるので、なんか気になる。今回の作品の若い甥っ子、タンクレディ(変な名前?)を演じるアラン・ドロンも文句なしの美青年。そのお相手役のCC( クラウディア・カルディナーレ)のなんとも言えない危ういほどの若さ。完璧主義者ヴィスコンティの押し出しは本当にすごい。ガリバルディ隊の戦闘シーンなんかも大画面の隅から隅までみんな演技している。僕はこういうの大好きね。せっかく大画面でみるんだから隅から隅まで完璧であってほしい。昨今のコンピューターグラフィックスのお粗末な画面とは大違いだ。舞踏会のシーンもすごい。なんか説明読んだら、ヴィスコンティはほとんど自然光で撮るんだってね。舞踏会の場面もそうで、光量が足りない分はロウソクをたくさん焚いて撮ったんだって。どうりでみんな暑そうに扇子をパタパタやったり、アラン・ドロンも別に汗かく必要ない場面で汗かいてたりしたわけだ。昔の映画はでかいカメラで撮るから、画面の隅から隅までほとんど歪みが無いんだわ。
そしてシチリアの自然。街路を吹き抜ける強風と埃、広場から見下ろす地中海の風景、こうしたひとつひとつの個別の事物の在りようを実に丹念に写し取っている。映画のテーマそのものがシチリアの風土の中に形成された社会、その貴族をふくめた社会の変化なんだ。貴族社会の没落を描くというと、なんだかネガティブなイメージを持つ人が多いかも知れないけれど、全然違う。没落とは超ビューティフルなんだ。なぜならそれは「必然」なのだからね。変わるもの、変わらないもの、個人の勇気や創意工夫、時代の変化という時にはいろんなことが浮かび上がってくる。映画という芸術のジャンルは、「映画的な時間」という極めて特権的で特異な方法的実践を通じて、さきほどあげた歴史や社会の総体といったものを示すことができるのだ。先般見たエドワード・ヤンの作品もそうだった。

何であれ「出来事」は一回的なもので、ある場所である時代にある特定の人々のさまざまな連関の中で起こるのであって、そのどれ一つとして「一般的」なものには解消されない。それにもかかわらず「映画的な時間の流れ」は個別的なものを丁寧に描けば描くほど、まったく別の次元にある、歴史の「流れ」のようなものを描き出してしまう。実に不思議であり、かつ面白い。
僕はハリウッド映画のPC(政治的正しさ)が大嫌いだし、グローバル映画が描き出す「どこでも無い場所」が実にスカスカでみるに耐えない。東京ディズニーランドに行く感性がダメである。そういう意味では世界がグローバル化してしまった現在もう僕は生きる場所がないのである。しかし、50年以上前にイタリアで撮られた映画は、19世紀後半のシチリアを描いているだけなのだが、21世紀に生きている僕を興奮させてくれる。ヴィスコンティ作品というほとんど語り尽くされている感のあるものにいまさら何か言うまでも無い。けど少しだけ感想を入れるとすると、自身も貴族階級であるヴィスコンティの思い入れがちょっと「過剰」なんじゃないか?と鼻じらむようなところもあった。(映画のタイトルとなっている、山猫やレオーネに主人公が自らをなぞらえるセリフの所ね)。まあ原作どうりに撮ってるんだろうけどねえ。それからどうしても気になるのが監督のLGBT的な感性ね。ナチス親衛隊の「 ・・・ ナイフの夜」事件を描いた『地獄に堕ちた勇者ども』はまさにそうだし、『家族の肖像』も『ヴェニスに死す』もなんだか、独特のものがあるよね。この映画の中でのクラウディア・カルディナーレの美しさも何か純然たる「女性性」とは異なるような感じもするのだが・・。

それにしても、先般たまたま神保町でグラムシの本を見て以来、イタリアの Question Meridionale が くっついてきいているというのも不思議な流れだな。

2017年7月 6日 (木)

井上寿一さんの本

『日中戦争下の日本』講談社選書メチエ 2007.7 読みました。

このブログで一貫して問題にしている時期に関する記述であり、また、時代相の捉え方として、僕が述べてきたことと重なる部分が多く、その意味で楽しく読めました。

第1章「兵士たちの見た銃後」
世界恐慌からいちはやく脱して、1930年代を通じて成長し続けた日本経済は、日中戦争がもたらす国防充実のもとで重化学工業が発展し、戦時統制経済にもかかわらずますます景気が拡大し、銃後の生活、とくに都市生活は豊かになって行った。
銀座ではデパートなどが豊かに飾られ、消費を中心とした生活が庶民に及びつつあった。だから兵士に送られる慰問袋も一人一人がこころをこめて送ることもある一方、デパートがセット販売しており、注文すれば、手間いらずで戦場まで送るサービスまでしていたそうです。あまりにも心がこもっていない慰問袋が届いて、がっかりすることも稀ではなかったとか。このころの消費文化については『迷路』の中でも出てきてましたよね。フランス人の経営する麻布の店でパーマをかけた後、銀座のパーラーで「サンデー」を食べるとか。東京のややハイソな人にとってはそうしたことが当たり前になってきていたってこと。そんな様子を示すようなデパートの写真や慰問袋の広告がこの本に紹介されています。つまり戦争のもとでの経済活動の拡大にともなう消費生活の拡大、そうした中で、中国の戦線にいる軍人の経験や意識と、国内とくに都市生活者の豊かな生活とのギャップが初めて意識されるようになったわけだ。もっとはっきりいうと、要するに「無関心」だよね。消費文化に基づく生活意識は、強制されない限り、「戦争」をイメージすることはない。兵士の側からみると、「俺たちがこんなに頑張っているのに、銃後ではこんなにちゃらけたことをやってんのかよ!」、ってことになる。

第2章 戦場のデモクラシー

一方で、中国に行った日本人兵士たちは、現実の中国の人々に接して、ある人は中国農村の素朴な人間性に触れ、ある人は貧困の様子を知り、という形で、何か肯定的なものを捉えるようになっていく。それは国内では全く得られない、経験による「知」の獲得だったわけだ。
これも僕が前から指摘しているように、日本の平凡な人間が、初めて「外国」をじかに体験するという事態なんだな。本だとか、人から聞いたこととか、という形で、ステレオタイプ的に
しか知らなかった「外国」(ここでは中国)について、全く新しい経験を得たことになる。これはすごい画期的なことなんだよね。「桃太郎の鬼退治、加藤清正の虎退治、乃木将軍の203高地」みたいな「お話」としての外界ではなくて、日本以外に自分とおなじような人間が作る社会と社会生活を初めて経験したわけだ。そこからはいろんな観察や同情がうまれてくる。だけどそういうことは「消費文化」に浮かれている内地の都市生活者には、何も伝わらない。そんな中、軍当局から「ペン部隊」として送り込まれた作家たちが、同じように現地の生活に触れて、いろいろ経験し、それに基づいて日本文化の中にある狭隘なものの見方さなどに気付く人がでてくる。


第3章 戦場から国家を改造する

対中進出が一段落すると、戦線は膠着し、中国民衆の間からは日本軍への不満が高まってくる。その一方で国内向けには、戦争体制にむけて世論を導きたい。そんなところからにわか作りの理念としての「東亜共同体」とか「国民精神総動員」みたいなスローガンがでてくる。内鮮融和論がおこり、社会大衆党は国民政党化する。


第4章、第5章、第6章
こうしたことに対応しようとしたはずの近衛新体制、翼賛運動は、内実はなかった。また蓑田胸喜のような日本主義も、帝大の教授たちを攻撃し、やめさせたところで目的を失った。農村でも都市でも、「下方平準化」により、あたかも日本は「共産化」したかのようになった。その一方で日本は「神の国」という空疎な言葉だけがあり、人々の心はバラバラになって行った。

この本で面白いのは第1章の「銃後」の社会を描いたところとか、第6章で国内がバラバラになっていく例をあげているところ具体例をいろいろ記述しているところだ。その一方で、社会の分析としては「自由主義」と「全体主義」のというダイコトミーと「国際協調」と「地域主義」という二分の組み合わせから概念化しようとしているけど、これは全く説得力がない。それからイデオロギーに関しても極端な日本主義の登場をマッカーシイズムに例え、蓑田を「トリックスター」などと位置付けているが、これでは何の説明にもなっていない。
歴史家だから「概念化」の努力は必要ない、事実を列挙して読み物として成り立っていればいい、というのでは物書きとして理想が低すぎるだろう。

しかしながら、僕がこの著者に期待する面があることはまちがいない。
日中戦争期の歴史イメージを、日米開戦後の坂道を転げ落ちるような転落のイメージの延長上に捉えることをやめる、という点。
1937年から41年までは、日本社会は経済的にも社会経験の上でも新しい豊かなものを経験していた、つまり結構ポジティブな感じで進んで行ったこと、そんな捉え方を支持したい。
日本社会が新たな市民意識の入り口まできていたこと、その辺を歴史家として、多くの例証とともに示してくれていること、そんな点だ。

市民意識とはプライベート重視、消費生活重視などのエゴ優先の社会へといやおうもなく突入していたということだ。またその一方では、新たな経験を通じて、中国の人々の当たり前の生活のあり方にも気付く人々も現れた。そういう面をこの著者はきちんと押さえている。

日本の統治者は、市民意識の成長から生じる統治体制のほころびをついに埋めることなく、社会は統合を失って敗戦へと突っ走って行ったということだ。
新たな市民社会のイメージを担ったのは労働者・女性・農民という階層だが、彼らの国内での発言権の拡大の一方には、中国朝鮮その他、日本軍国主義の植民地主義によって声をかき消された大衆があった、とそういうことなのだ。
日中戦争から敗戦に向かう過程は、統治作用が極限まで衰微した解体期の社会であった。この間にいろいろな主張がなされたが、そもそもいったい日本の近代はいかなる「統治性」の原理を問うてきたのか、「原理主義的日本主義」、「(とくに経済的上の)自由主義」、アジアと日本の関係(たとえば華夷秩序)、世界をどのように捉え、国家統治の原理に組み込もうとしてきたのか、そうしたことのさまざまな系譜学をいったいだれか問題にしたことがあるのだろうか?

2017年7月 3日 (月)

蒸し暑くなりましたね。

知識人が軽井沢にいくのは、頭脳労働にとっては、暑さは望ましくないということがあるのだ、と片山センセイの本に書いてあった。確かに今日みたいに劇的に蒸し暑くなると、頭がぼうっとして、判断力が衰える気がする。さっき京浜東北線に乗っていて、頭がぼうっとしていて、駅のアナウンスが「オオモリマチイ、オオモリマチイ」と聞こえて、「アレ?大森?京浜急行?」と混乱してしまった。実際は「オオイマチイー」と言っていたのである。こんなふうにすでに外界を受容する感覚器の段階で、情報処理上のバグが生じてしまっている。

今年の4月から大学図書館の地下で読書したり、このブログを書いたりしているのだが、その場所の空調が効きすぎていて、常に寒すぎだなと感じてきた。しかし今書いた理屈から行けば、図書館がやや寒めであることは、頭脳を活性化させるので理にかなっているともいえる。東京の都市中心部ではほとんどの施設では冷房がよく効いている。というか効きすぎるくらい効いている。それでは東京人の頭脳は常によく冷却されているか、というとそうでもなさそうに思える。というのは、冷房がよく効いている施設と別の施設とを結ぶ通路部分、たとえば街路の歩道だとか、駅の構内だとかは、普通以上、つまりその時の外気温より遥かに温度が高いことが多い。街路であれば自動車からの排熱、駅やこみ合った場所の通路はたいていの場合風通しが悪くて熱がこもっている。その結果東京人が外出して繁華街などを通る場合、異常な暑さと、急激な冷房環境の間で、出たり入ったりを繰り返すことになる。これも都市が与える刺激のひとつということになるのかもしれないが、ちょっと異常な感じもする。

話をもどすと、確かに作家先生は軽井沢で仕事をしているようだ。このブログでたびたび言及している野上弥生子センセイの場合は、戦中から戦後にかけて、北軽井沢の別荘にほぼ通年暮らしながら作家活動をしていたようだ。戦後には同じく連れ合いを亡くした田辺元センセイと、別荘のご近所ということもあり、頻繁に手紙のやり取りなんかをしていた。

涼しくなければ知的な仕事ができないのだろうか? これには簡単に答えることはできない。ただ、現代の都市環境のもとでは、暑さを我慢しながら知的活動をせよ、というのは極めて難しいとおもう。昭和30年代くらいまでの東京であれば、夏でも夕方になると涼しい風がどこからともなく吹き抜けるような環境だった。現在のようにコンクリートの建物やアスファルトの道路が熱を溜め込み、いつまでも暑いような、そういう環境ではなかった。代わって庭の木陰や草の生えた場所、井戸から汲んだ冷たい水が日中の暑さも和らげてくれた。

南方熊楠は紀州の森ではほとんど裸体で過ごしていたようだが、彼の常に高回転で働く頭脳にとっては、そのような身体冷却法が脳の働きを加速したのであろう。
ガンジーがやはり裸体に近かったのと彼の思索の間にも何かそうしたことがあるのかもしれない。

仮に赤道に近い南方の都市であっても、人間の文化が生まれた場所は、やや高原にあって空気が冷涼であったり、湿気が多くて太陽光をまともに受けない環境であったりして、人間の頭脳活動というものが、可能な条件が整っていたのであろう、などと想像してみるのである。


さて今日、めちゃ暑い時間帯に多摩川の河原のベンチでごろ寝した。してみると意外なことに海から入ってくる風が通り抜けて、日中でも気持ちがよい。それなりに涼しいと感じられたのだった。(ただし長くいると暑くなります)。ごろ寝してすぐ、思い出したことがある。

それは「実践の思想」ということである。といっても今読んでいるグラムシがその論説で示しているような、イタリアの労働運動にとって、めっちゃ射程が長く相当程度天才的な「実践の思想」というようなものではない。もっと卑近な人生の方法論みたいなものだ。
高校の現代文のテキストに京都大学の梅棹忠夫の文章が載っていた。梅棹忠夫が知識にむきあうのは、常に実践との関係で必要のあるものを取り入れたというような話である。梅棹は高校時代、山岳部で活動をしていたので、雪崩の知識が必要となれば、外国の文献なども取り寄せて読むといいうような読書法をしていたというのだ。
実は不肖私、今を去る半世紀近く前のことながら、高校生徒の時に読んだこの話がめちゃくちゃ気に入ったのである。「必要に駆られて学ぶ」「必要に押されて読む」のが正しい読書だ、と信じ込んでしまったのだ。

まあ、私のことは置いておくとして、件のグラムシという人の Meridionale 問題への対応を書いた文章を見ていて、当面の実践的課題に対応するなかで書かれた文章であるにもかかわらず、その状況把握の正確さとか、射程の長さみたいなものにびっくりした。やっぱり「思想」というものは何か「宙に浮いて」あるものではなくて、その人の実践的な課題に即して見えてくるものなんだと改めて思った次第なのであるヨ。

先般から追求している昭和10年代の日本思想について、それが「思想」であるとして、どのような「実践」にふさわしい思想として考えられたのか、まずはきちんと押さえておかなければならないだろう。


その一方で、思想を見ていく上でもうひとつ別のアイデアも必要になると思っている。それは、同時代とかその前後の状況においてみると、陳腐に見えるものであっても、一旦はその枠組みを壊して、思想をその可能性において見るというやり方だ。直接に政治的な目標や実践課題を意識していないけれど、何かやむにやまれぬ必要から湧き出してきた思想の端緒のようなものを、その正当な本来あるべき可能性の目で持ってみていくという、思想の捉え方である。

なぜそういうことが必要から、というと、「被支配階級」は一定の「ヘゲモニー」のもとで、「支配的」な表現形式、あるいは「代理表象」を通じてしか自己を表現することができない、とみられるからだ。
(サバルタン・ヘゲモニーなどの概念をうまく利用したい)

昨日から今日にかけては、ミシェル・フーコーがコレージュ・ド・フランスの講義で扱った「統治性」 la gouvernementalite というような考え方も、もしかしたらなんかつかえるんじゃネ?的な期待を持っている。まだ見てないからわからんけど。

まあ理屈はともかくとして、あれやこれや迂回路を通過しながら、そういう方法的なアプローチを通してしかみえてこないものを見つけたいと思っている。
もっと端的に言えば、40年代思想の具体的な形象の中に、破砕され断片化した「ユートピア」の残滓、または「痕跡」を探したい、ということなのだよ。

今日はフーコーの1978年の講義のうち、「司牧権力」いついては多少読んだことがあるので、その後のところ、3月の講義をすこしつついてみようと思っている。

じゃ、良い子のみんなも頭を冷やして頑張ってね。

2017年6月29日 (木)

いろいろお話しさせて頂きます

もう二週間近く前のことだが、いつものように神保町のあたりを散策していた時、交差点近くにある理数系の古書を扱っている店の店頭の洋書ばかり置いてあるワゴンをちょっと覗いたら、分厚いイタリア語の本が置いてある。よくみると、carcere・・とある。なんと!グラムシの獄中ノートではないですか。全4冊ありまして、どういうわけか分売になってる。これって一冊だけ買う人っているのかな。一冊700円。店の中にいたお兄さんに四冊まとめて買うからまけてくれ、といったらすごい嫌な顔をされた。実は文字が小さくてとても無理かなとも思ったこともあって、購入をとどまったのだ。その5日後にやっぱり購入しようと思って店に行ったが、もう店頭にはなかった。その店は理数系の本しか置いてないのに、日本でみることは非常に稀なグラムシのイタリア語本が、どういうわけでそこに紛れ込んだのか。おそらく店員は何が書かれている本かもわからずに適当に値段をつけて特売コーナーになげこんだのではないかなどと、いろいろ妄想してしまった。
さて、グラムシについては、このブログでしばしば適当に使っている「サバルタン」を最初に問題提起した人なのだが、私はいままでグラムシについて調べたことも、読んだこともなかった。ちなみに私はあくまで、ガヤトリ・スピヴァクからこの用語を借りてきたのだが、その大元はグラムシなのだ。
アントニオ・グラムシは、1891年に生まれ、イタリア共産党の創設者の一人。1926年に投獄され、20年の禁固刑とされる。この間、監獄で執筆許可を得て、約3000ページくらいのノートを書いたと言うことだ。そして1937年に釈放されたが、すぐに亡くなってしまったという。
このグラムシが獄中で考えたことには、来るべき社会を考える上でのいろいろなアイデアが含まれているらしい。最近(アメリカでは)ヘゲモニー概念が何かと問題になっており、その点でもグラムシはますます注目されているのだ。
そんな、グラムシの本をたまたま目にしてしまった機縁で、昨日はスピヴァクが2012年に「京都賞」を受賞した際の記念講演の本を読んでしまった上に、いまこうしてゴチャゴチャと書いているわけである。

その京都賞講演で私が感動したのは、スピヴァクの両親が大変に立派な人たちであったことだ。母親はインドにいる時もアメリカでも大変な実践家であって、社会で困難な立場に置かれた人を助ける活動をとても熱心に活動していたこと。また父親は医師として立派であったとともに、娘に対して、常に社会の弱者の立場に立つことを日常的に示唆してきたことを示すエピソードが語られている。

銀行だったかな、そこには人々が長い列を作っていた。ガヤトリの父は、「私たちのカーストは並ばないでも窓口で受け付けてもらえる、でも君はかならず列に並びなさい」、みたいな。

サバルタンといっても特別なことではない。社会的な弱者の立場とはなんであり、知識人がそこでどのような関係に立つかをきちんと考えることの大切さが言われているにすぎない。

ガヤトリ・スピヴァク自身は、Cornellで Paul de Mann に学んで、その後にDerrida の De la Grammatologie の翻訳・解題でデビューしたんだってね。

さて、今日、最初に話題にしようと思ったのは、実はまたまた性懲りも無く、日本の右翼思想についてです。敗戦に向けてすごい勢いでクレイジーの度合いを増していった日本哲学について、もうすっかりやになっちゃったみたいな事を書いてきたんだけど、またまた右翼思想です。
というのは、たまたま、大学図書館の政治書のコーナーに、「蓑田胸喜全集」が並んでいたのを見てしまったから。

蓑田胸喜全集(全7巻)柏書房
きのうは第5巻から第7巻まで参照しました。
そのうち第6巻『国防哲学』2004.11. 編集者グループのうち、この巻の担当は福間良明(香川大学)。

日本論理学 コトノハノミチ というのを面白く読みました。『原理日本』という彼らの雑誌に1937年からとびとびで連載していた記事です。
「コトワリ」とは「事割る」である、「真の言葉」が「マコト」である、とか。マコトの道の道とは「御」の「血」であり、血は路であり、「生命」(いのち)は「息の路」であるといった語呂合わせ的論述に面白みを感じました。また、ゲーテがヨハネ伝の logos を最初に Kraft(力)と訳し、次いで Sinn (意味)と訳し、それでも落ち着かないので、Tat(行) と訳したら落ち着いた、なんてのも印象に残りました。中国ではlogosを「道」としたが、日本語なら「コトバ」というのがいい、とのことです。インドのミーマンサー哲学は「声常住」をいう、とか、「考える」とは「もの思ふ」であるから、「物事」と関係があり、英語でも think は thing , ドイツ語でも denken は Ding. てな具合です。

他にもいろいろ面白い言葉の解析論が展開されるのです。

Logic とは、コトノハノミチであり、明治天皇御集の言葉で言えば、コトノハノマコトノミチ とも言えるし、シキシマノミチ とも言えるのです。


さて同じく全集6ー40、「詩人と軍人の人格的統一 、 デュルクハイムの獨逸精神論に因みて」 『原理日本』1940.6.

これも中身はともかくなかなかに興味深い論題です。というのは、全集7巻佐藤卓己編集、の解題の中につぎのような指摘がありました。

明治以降の日本主義の展開には三つの局面がある。まずは明治20年代の政論的日本主義(陸実、三宅雄二郎、志賀重昂)。明治30年代の美学的日本主義(高山樗牛)。そして第三に第一次大戦後の新しい日本主義、その代表は三井甲之の「歌学的日本主義(シキシマノミチ)」。
ナショナリズムという観点から近代を見ていく上では、結構面白い指摘だと思いました。

いやー、今日も結構勉強してしまったね。良い子のみんなはちゃんと勉強してるのかな?
先々週だったかな、自由が丘の Book off の前で、you–Taro君にばったりあったな。蒸し暑くなってきたけど、みんな、頑張ってね。


2017年6月25日 (日)

ごめん、やっぱダメだった

というわけで、前回お約束の通り、片山杜秀先生の『未完のファシズム』副題は「持たざる国、日本の運命」、という新潮選書の本(2012.5)、読んだわ。前に取り上げた『日本の右翼思想』にでてくる、トンデモ思想ではなくて、すこしはマシな思想がでてくるのかとおもって期待して読んだけど、やっぱダメだった、ゴメン。
「速戦即決」、「戦陣訓」、「大東亜共栄圏」、どれもこれも思いつきのアイデアをみんなが合唱しているうちに「真理」みたいなかんじになっていって、結局自分で作った幻想に自分が飲み込まれ、自分の思想の説明不足をだれも責任をとらないまま、大変なことになってしまったのは、前回みた「右翼思想」と全く同じ構図。

片山先生は一生懸命こんな思想にも共感的に付き合ってくれるのだが、まあ、結局、感想としては、「何もかもダメじゃん」、て感じ。片山センセイは、第一次大戦の経済効果で、日本の体制がゆるんじゃったことをまず第一にあげているけど、それだけじゃすまない、どうしようもないダメさがあるよね。

関係ない話なんだけど、このあいだ、神田の田村書店の店頭100円売りで立て続けに洋書を何冊か買ったんだけど、そのうち、きったない一冊で、Guillaume Apollinaire : Les onze mille verges , 1970. L'Or du temps

っていうのがあった。これってあのアポリネール1880-1918が1907年に出版し、発売禁止になった正真正銘のトンデモ級のエロ小説を1970年になって復活させたという、いわくつきの出版物なんだ。アポリネールは(もらってはいないが)レジオンドヌール級の作家だけと、そういう世に知られた人が同時にこういうトンデモなエログロ作品も何個か書いているらしい。


日本で言えば明治末から大正という、同じような時期にいろんな日本思想が育ち始めたわけだけど、それが、ドンドン「日本化」して狭い世界に突入していくのに対して、ヨーロッパの同時代作家の経験している世界が、そういうものとまるっきり異なることにビックリするよね。ヨーロッパ的な知識世界の、世界のひろがりに驚くね。
経験も知識もないわけではないのに、世界観も社会の構想力も決定的に欠如して、その状態に自足してしまい、自説の十分な説明もできないまま「総力戦」とそれを支える「トンデモ」な「日本バンザイ」に突入していった日本社会の知識人のあり方があまりにみじめだわ。

何度も言っているように、ココロある知識人は、気付き始めていたんだよな。この島国の外の世界のことを。『旅愁』の横光利一も、その「違和感」をその作品でなんとか表現しようとしていたんだと思うんだよ。『浮雲』のインドシナ植民地の様子を記述した部分は、林芙美子の戦前・戦中の旅行経験が形になったもので、決して戦後の状況から後付けして考えたものではない、と僕はおもっている。
フツウの市民の立場からの、素直な感受性でもって外国体験の意味を解明しようとする姿勢がそこにあるんだと思う。そして、それは「思索」の新しい形の始まりだったと思うんだよね。残念なことに林も横光も早死にしてしまったけど。

実は先般から、苦労しつつ保田与重郎
を読んでいて、少なくとも、世に言われるほどひどくは無いぞ、その強烈な方法意識といい、一定の批判的思考を通じた世界との関わりといい、「けっこういけるんじゃね?」みたいに思っている。しかしその一方で、自分が保田与重郎みたいに「日本」を考えたいか?、と言われれば、No, thank you !
としか言えない。だって「世界はもっと広くて、人はもっと優しい」ことは分かっているから。


というわけで、改めて世界文芸の進度みたいなものを、古本屋の店頭で思い知らされたのよ。同じく澤口の店頭で、 Samuel Beckett WORSTWARD HO, 1983.John Calder, London を200円でゲット。これも言語表現というものを究極のところまで押していった、ある意味トンデモな作品だということが分かった。言語芸術はここまで持っていくことができる。こういうメッチャ「高い」世界が有るんだね(タメ息)。


片山先生の研究はほんとうにご苦労様と言いたいトコだけど、やっぱりどう転んでも、戦前昭和思想から何かの展望を拾い出すことはむずかしんだナア、と思い知らされる。その戦前昭和の思想について、ダメ出しが終わっているのならともかく、例えば「和辻哲郎」みたいに、ゾンビ化しつつ生き残ったものに対して、キチッと見ていかないと、またまた日本思想は「迷蒙」に転落していくのでは無いか、と心配になるわ。

良い子のみんな!「社会を構想する」とか、「文学作品を作る」ということは君たちが考えているよりもずーっと射程の長いものだ。世間には自称・他称、政治家とかがいて、これからの世界をどう作るか考えてくれているみたいに見える。それから、世の中にはまた学者・アーティストなどという人もたくさんいて、それぞれに仕事をして、何かを「作製」しているみたいに見える。そういう人たちが、何か自信を持って語っているのを見ると気後れしてしまうこともあると思う。でも今、目の前にあるものがそんなに「高い」ものではないことが分かったら、何も無理して低いものに自分を合わせようと努力する必要はないと思うよ。ツマラナイものに同調しようとして疲れるよりも、まずははるかに高いところにある「導きの星」みたいなものを目当てにして進むのがいいと思うよ。

というわけで、野上弥生子『迷路』の読書から始まった、昭和思想とはナンデアルカ、軽井沢的近代とはナンデアルカ、林芙美子と横光利一の「発見」、そういう一連のテーマ探求はなお「日暮れて道遠し」だ。
ツマラナイものは迂回して、そして高い星を目当てにしつつ、彷徨いながら進んでいくだけだ。



2017年6月16日 (金)

片山杜秀『近代日本の右翼思想』

片山杜秀の『近代日本の右翼思想』2007.9 講談社選書メチエ。

1945年8月15日まで、すごい勢いで突っ走った「トンデモ」系の日本思想、その全体像とまではいかないけど、今日ではあまり触れる人もいない学者について紹介した本。右翼思想の本質を追求したいという気持ちは伝わってくる。


『現代政治の思想と行動』所収の論文で、「日本ファシズム期には、ごく少数の異端者をのぞくすべての国民が右翼であった」みたいなことを丸山真男が言ってるんだってね。ってことは、昭和10年代は右翼思想しかない、ってこと? だとしたら、その時代の文学や思想を理解するためには、たしかに、この本のような日本の右翼思想を総合的にみていこうとする姿勢が必要だよね。同じ右翼の中での、違いみたいなものを見ていくということが大事になってくる。右翼、といって難しければ、もっと端的に「日本バンザイ」思想といえば いい。まあ、前に触れた和辻哲郎も「日本バンザイ」であることは間違いない。西田幾多郎も倉田百三も、みんなウヨク野郎だし、シンブンもザッシもみんな、「日本バンザイ」の記事ばっか・・・ということになる。そしたら、前に見たみたいに、横光利一が、『旅愁』で「日本バンザイ」思想を展開したところで、別にそんなの当時の普通のことじゃん!、ってなってくるよね。そんなに知識人のみんながみんなクレージーだったのかな?でもさ、前に紹介した野上弥生子の『迷路』の書きだしのところは昭和11年に発表されたわけで、そこには社会を冷静に見る目があって、「トンデモ」思想はかけらも入っていないわけだよね。
トンデモ思想は、所詮は「右傾化」の流れに便乗したお粗末な思想だったんだと思うんだ。どうころんでもお粗末なものはお粗末なだけ。
そういう中で、1940年台に相応しい新たな経験や発想が芽生えていたはずだ、というのが僕のこのブログのさいしょからの問いかけなんだよね。

それを見るには例えば、横光利一の『上海』と『旅愁』の小説を構成する視点の差異とか、そんなところを推していきたい訳だ。保田與重郎のわけのわけわからん評論だって、同時代のセンシティブな若者にそれが影響を与えたことを、三井甲之の「手のひら」健康法みたいなトンデモ養生術と一緒にするわけにはいかないと思うわけ。安岡正篤みたいな「政界」の裏で直接的な人間関係を築くやり方を、著述家や作家の仕事と同じように見ることはできないと思うわけ。

どこをどう推し、どこをどう批判するのか、その辺をはっきりさせないと、鈴木貞美みたいに、焦点がバラバラになっちゃうんじゃないか。

この間、吉本隆明の仕事に言及して、ちょろっと書いたように、僕にとって「切実な」あるいは「悲劇」であるような、そういうものを見ていかないと、それこそ、前々回指摘したように高見順の混乱した「戦前観」を「事実」と誤認してしまうことにもなりかねない。

今日の最初に書いたように、片山杜秀は、この本で「右翼思想」の本質にせまろうとしていて、そこはすごくいい。右翼思想の特徴の第1は、「歴史的理性の否認」ということね。それは「今中いまなか」という言葉で一番よく表現できる。日本の右翼思想には「自由の進歩の歴史」というような(ヘーゲル流の)歴史観は、ない。日本の歴史には、つねに天皇の統治する理想の社会があるだけで、それは神武天皇の昔から、いま現在に至るまで、まったっく同一だ、ということだ。だから、そこから外れるような悪辣な人物がでたりして、歴史の正しい筋道を外れることがあったり、という意味ではいろいろ変化はあっても、正統な社会のあり方は、全く変化がない。したがって、つまるところ歴史とは明白な出来事、事実の羅列であるか、多少外した言い方をすれば「歴史とは思い出」なのだ。
アリストテレスによれば、「運動」とは、普通は始まりと結果があるものをいう。その一方「永久運動」とは往復であるか円環であるかである。したがって論理的にいっても「日本は永遠」であるというのならそれは往復か円環であるのだから、歴史とはそこに生起する事実の羅列であるか、別の見方をすれば思い出みたいなもんだといっても別におかしくはないのだ。
右翼思想の第2の特徴は「身体論」ね。といっても、心身二元論とかといった考えはかけらもない。あくまで大切なのは具体的な身体ね。健康法に留意して丹田に気をためて、良い姿勢をとって、「様になる」ようにしていく。親子関係も身体のつながりだし、神も具体的な身体を持ってることが肝心だ、というわけだ。
こんなものが「思想」と呼べるかどうかも疑わしいのだが、とにかくこれらが「右翼思想」の特徴であることはよくわかった。といっても、繰り返すけど、「ファシズム期にはほとんどすべての日本人は右翼だった」、という前提でこれらの話が展開しているわけなんだが、まあ、僕として日本人のがそこまで馬鹿だったとはおもえないんだな。

おそらく片山センセイは次の書物『未完のファシズム』において、この手のトンデモ系の「ウヨク」思想とはことなる、ヨリ「ゲンジツテキ」なファシストの国家構想を論じていると思うので、そっちも見てからにしようね。

今日はココまで。

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