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「色男」というジャンル



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2018年4月17日 (火)

ディドロ『絵画論』など

フランス啓蒙の哲学者ドゥニ・ディドロは1759年から『文藝通信』という少部数のペーパーの絵画批評(サロン批評)をグリム氏から受け継いだ。この仕事は1781年まで続く。この時代は演劇や絵画が市民的な生活にとけこんでいく時期で、ディドロは、時代の旺盛な創作意欲を背景に、その具体的な作品をとりあげながらさまざまな批評上のアイデアを獲得して行った。こうして続いた仕事の上に『絵画論』がまとめられた。
岩波文庫『絵画について』佐々木健一訳2005は、その『絵画論』と関連テキストから成り立っている。
『絵画論』の主たる部分は「1765年のサロン」の発表直後から67年にかけて書かれたようだ。今書いたように、ディドロはすでに演劇評をしていて、ついで絵画ジャンルの議論をし、あわせて建築にも話を進めようとしていたらしい。
佐々木氏はもとは美学、演劇などに明るい方らしく、また膨大な『ディドロ絵画論研究』を上梓している。佐々木氏の『フランスを中心とする18世紀美学史の研究』岩波書店1999も参照したいところだが、いまはそこまでの余裕はない。
さて、岩波文庫版『絵画について』に話を戻そう。すると、これをただ一読しただけでは、散漫な批評のアイデアのあれこれを感得するだけに終わってしまいそうだ。この時代に絵画というジャンルが置かれていた実際の状況と「絵画史」の記述線に沿って何が可能になるのかもう少し議論の線をしぼらなければならないだろう。さしあたっては巻末の佐々木氏による解説をたよりに事実関係で外堀を埋めておきたい。その上でたとえば、マイケル・フリードの議論を置いて行ったらおもしろそうだ。ただし前にも書いたようにその作業は別のメディアを使ってやりたい。ここではまずは佐々木氏の解説をもとに、僭越ではありますが多少修正させていただいた上、wikiの記述などを参考にして時代の状況を押さえておこう。

18世紀のフランス絵画シーンは、基本的にはアカデミーの影響下にあった。ここでいうアカデミーとは、ブルボン朝絶対王政のもとで整備された諸機関のひとつであり、アカデミーフランセーズ1635に続き、王立絵画彫刻アカデミーとして1648年に発足したものである。(その後17世紀後半には科学、音楽、建築などのアカデミーが発足する)。アカデミーは単なる国王の栄光を讃えるだけのものではない。アカデミーフランセーズに見られるように精神の「規範」を確立することが目的である。それは同時に中世的な職人的領域からの技芸の独立をも意味していた。絵画彫刻アカデミーの展覧会は初めはパレロワヤルで開かれ、ついでルーブル宮に移る。1737年からはルーブル宮のサロン・カレで開催され、「サロン」展と呼ばれる。そしてその頃から市民階級の興隆、雑誌メディアの普及などもあって、サロン展を訪れる人の数は急増した。18世紀の半ばすぎというのは、フランスにおける絵画の位置づけが急転回する時期でもあったのである。こうした状況を背景としてディドロを通じた絵画批評の領域が自立し始める。ディドロの絵画批評はこの時期の「絵画の変化」を表してもいるのである。
なぜ、「絵画の変化」をかっこでくくったかというと、それは単に絵画のモードがロココから反ロココ、新古典主義へと移行するといった事後的に見たときの枠組みの変遷としてこの時代をとらえるのではなく、(フリード流に)絵画とその鑑賞者の関係に大きな変化が起きつつあったことの表れとしてとらえることも重要かなと思ったからでもある。

2018年4月10日 (火)

マイケル・フリード『没入と芝居くささ』

このところブログの更新をしてないが、特に理由はない。天気がいいので週末にプチ旅行したり外出したりが多いのも関係があるかも。

先般から取り上げようと思っているマイケル・フリードの『没入と芝居くささ』Absorption and Theatricality
が、はじめの2章を読み終えたところで、これをまとめようと思っている。ただしこのブログのような「書き散らし」方式ではないやり方で、できないかな、と思案中。
そんな風なことを考えたのは、そもそも手元にあるChicago UP 版 1988 の図版があまりにも印刷が悪くてフリードの本を楽しむ上で非常にまずい状態になっていることも関係している。フリードは絵画愛好家として、常に絵の細部にまでこだわりながら議論をすすめていくのだが、シカゴ大学版は印刷が悪くて絵がぜんぜん見えない。だから、自分が楽しむためにも、また内容をまとめて紹介するためにも、一度別の場所からここで論じられているグルーズJean-Baptist GreuzeやヴィアンJoseph-Marie Vien の絵画を持ってきて、そのタブローの絵画平面にそって 話を進めたいということも、今述べた「別のやりかた」ということに関係している。
現代写真論から始まり、この18世紀絵画と絵画批評をめぐる議論、そしてパラパラと参照したObjecthoodをめぐる60年代ミニマリズム論などを通じてフリードの問題意識はかなりはっきりとわかってきたつもりだ。だからもうすこし読み進めて、その上でできるものなら論文ではなくて、誰もが楽しめる何かの形にしたいと思っている。

えらそうに書いたのは、このところ一年かけてようやく部屋のかたずけが進んできたことがかんけいしている。

そういえば、先ごろ✖️✖️OFFで、不用品の買取をしてもらった。初体験である。なんか捨てるに捨てられなかったものを買い取ってもらうって楽しいね。今流行りの✖️✖️カリを使えばもっと高く売れるのかもしれないけど、まだそこまではいかない。とりあえず✖️✖️OFFを楽しんでるところ。

あ、話が外れた! もとに戻す。

以上のような次第で、部屋を整理していて30年くらい前に書いたものが出てきたので、それをまとめて本(詩集)にする作業が今進行中(このことはすでにふれたかも)。それが結構いい感じで転がりはじめたというか、今はゲラが上がるのを待ってる状態まで進んだ。こうなるとなんか、たまっていたものが一部排泄されたような妙なすっきり感に満たされている。そこで、次の一手として別の書物を構想しはじめたというわけだ。

ひとつの例を挙げて見る。
萩原朔太郎が『詩の原理』1928という詩人にしてはずいぶんかしこまった大論文をまとめている。これは本人によれば「始めから体系をもって組織的に論述したもの」であり、「始め(原稿用紙)800枚ほどに書いた」ものを「三度書き換えて後に500枚に縮小した」ものという。(さらに言うと実際には成稿なったものの前提として別の論稿があり、それは2000枚ほどだったが、いったん捨ててしまったとも書かれている。)
この論文の序文に、
「本書を書きだしてから自分は寝食を忘れて兼行し、三ヶ月にして脱稿した」とある(仮名遣い文字遣いは改め)。

このひとつの例だけで話をすると、まあ自分がこれから何か形にするつもりなら、特に所詮は他人(フリードさん)のアイデアをもとにして何かを書こうとするわけなので、三ヶ月くらいで形にならなければならないだろう、ということは言えそうだ。もっとも、自分は寝食も忘れないし旅行もしたいしなわけだから、それをあいだに挟んで、若干のプラスを許してもらいたいところではある。

いずれにせよかく述べたごとき気持ちで日々頑張っている。
まあ、あまり期待されても困るが、それなりに「仕事してるゾ‼︎ 」みたいなことを言いたい。

じゃ、また。

2018年3月26日 (月)

「ハイカイというコトバを使うな」

シンブンは面白いことを書くね。
ある高齢者の言葉。
「散歩中、自分がどこにいるかわからなくなった経験があるが、これは徘徊ではない。なぜなら、徘徊とは目的もなく歩き回ることである。しかるに、私には散歩という目的があった。道がわからず怖かったが、家に帰らなければ、と意識していた」(A新聞の配信より)

こんなことを考えた。

このブログは「さ・ま・よ・う HATO」とある。だが僕(HATO)はさまよっていない。
何故なら「さまよう」という目的をもってあっちに行ったりこっちに行ったりしているからだ。つまり僕(HATO)は、さまよっていない。
しかしその一方で僕(HATO)はさまよっている。なぜならあっちにいったりこっちに行ったりさまよっているからだ。
従って僕(HATO)は、さまよっているけどさまよっていない、ということになる。

如何?

2018年3月24日 (土)

アートを体験するとは?ハイデガーに寄せて

芸術は「設立」を通じて歴史にはいる、とハイデガーは言う。いうまでもなく、アーレントがアメリカ合衆国の設立(創造)にみたものもそれだ。自由と共和国の建設は、全く新しいものを人類にもたらした限りにおいて、真の政治的行為なのである。
うーん、アーレントにヘーゲルの残響があるな。さて今日言いたいのはそのことではない。ハイデガーに関し前回の議論では強調したかったができなかった事を確認したい。それは作品を保存する側、つまりわかりやすく言えば鑑賞者の立場についてのハイデガーの言葉だ。
(以下、引用)

作品を創造することだけが詩的なのではありません。作品を保存することもまたむろん特殊なさまにではありますけれど詩的であります。
ひとつの作品が作品としてアクチュアルなのはただ僕らが僕らの慣習から離れて 作品によって開かれたものへはいりこみ僕らの本質そのものを、存在者の真理の中に立ち止まらせる時だけだからです。

ここで僕が目をつけたのは、僕がいま強調したところね。

作品を現実化するのには
「慣習を離れて」「立ち止まる」
ことが大事だ、と言っているのだ。

慣習を離れると言うのはどういうことだろうか。あえて説明はしない。むしろ、どうしたら「慣習を離れる」ことがかのうなのか、ということにおもいを致したい。そして「立ち止まる」こと、しばしは作品の声を聞くことだよね。
あれ、変だな「絵画」は「視覚芸術」なのに、作品の「声」をきく、ってのはどうしてなのかな?

「見る」は「聞く」なんだってこと。そのことと、ハイデガーが建築、絵画、詩の三つを並べて、とりわけ詩を大事に考える理由があるようにも思える。
あ、ここまで考えてくるとどうやら、芸術の本質=西洋形而上学の概念
という等置の向こう側に「声」の批判を置いたデリダの仕事が見えてくるのかもしれないね。

ま、あんまりあわてずに行こう。

ハイデガー『芸術作品のはじまり』1936

『森の道』1950に収められたこの文章、もとは1936年の講演をもとにした文章だ。創文社版では『杣径』と言うタイトルで一冊本として出ている。たしかそっちのタイトルは『芸術作品の起源』だったような・・。

起源という日本語の表現は、なんかこちら(現在)からすこしずつ遡って源に至るような、そんな感じがすることばだ。「はじまり」というと、なにかエネルギーに満ちて飛び出してくるような、若々しく、ういういしい何かを感じる言葉だ。

「起源」を問題にした段階で、すでに怪しい感じがする。というのはたとえば「日本人の起源」とかいうときに、現代日本の国民みたいなものがまずは前提としてあって、それがどのように形成されたかを問うことになるのだが、それはとても長いプロセスであって、かんたんに単一の「起源」をつきとめることは難しい。難しいのに、単一の「起源」があるかのように一足飛びに何かを措定してしまうと、かなり乱暴な議論になってしまう。

「はじまり」というと、なんか「はじまり」にはいろいろあるけど、まそのうち自分にわかるものだけお話しさせていただきます、的な感じがして、こっちのほうが慎重というか適切な感じがしなくもない。それに、「起源」を遠い昔に設定されてしまうと、それを今ここでもう一度始めることはとても難しくなってしまう。

芸術作品の起源を考えようとすると、それを「いまここにある」ものとして考えることが最初から止められてしまうように感じる。

さてハイデガーが「はじまり」と言う時に、何か遠い昔に起こった「芸術のはじまり」をとらえようとしているのだろうか、それとも、「今ここ」で始められるような、そういう「はじまり」を考えているのだろうか。
僕の感じでは、後者であるような気がする。もちろんハイデガーが「芸術作品」と言う時に、僕らが現在見たり体験したりできる、現実に存在する「芸術作品」を前提にしていることはまちがいない。まちがいないどころか、ヴァン・ゴッホの描いた「靴」の絵とか、ギリシャ神殿、マイヤーという人の詩などが引用され、あるいはヘルダーリンの詩や「アンティゴネー」の名前もでてくる。そういう具体的な作品をとりあげながら、そこで何がおきていうのかを述べている。つまりそういう具体的なものを通じて、何が「芸術作品」をその名のとおりのものにしているのかを論じている。だからハイデガーは、過去の一点になにか「始まり」の点を措定するようなそういうパースペクティブ的なことは全く考えていない。
翻訳者の菊池さんがあとがきで述べているように、「ハイデガーの思考は、〈物〉と〈道具〉と〈芸術作品〉とを、いわばたらいまわしにして・・〈円環を閉じる〉」ことをしている。おおくの人が〈自我〉からスタートして〈無限界〉へと進んでいくような思考をするのとはずいぶん違う。おんなじところをぐるぐる回りながら、少しずつ難しい問題の位置を確かめていく、そういう思考法なのだ。そして何かいっぺんに決定的なことを言わないというやりかた。
この本の最後のところで、ヘーゲルの『美学講義』のことば、いわゆる「芸術の終わり the End of the Art」を紹介して、それに対する答えも留保している。
参考までにヘーゲルのテーゼ
「むろん人は芸術がますます向上して自分を完成するだろうことは期待できます。しかし芸術の形式は、精神の最高の要求であることをやめてしまいました」
「芸術はその最高の規定という面からはひとつの過去のものである」

タイヘンダア!芸術はもう「終わっちゃった」んだって・・・。

今日では芸術に関する考察は「美学 Aesthetics 」などという。アイステシスとは感覚的知覚を指し、その対象をとりあげて、「美を体験する」、などということがある。ハイデガーは言っている。
「しかし、体験というのは芸術がその中で死ぬところのエレメントかもしれません」と。
ハイデガーは常に「アクチュアリティ」を離れることがない。
芸術がまずは「形」にむかうのだが、それを可能にするのは、作品であることを「活動させ、出来事」にすることだ、と言っている。それを通じて「真と言っているが実は偽っているものを暴露する」ものだ、と。芸術は「もろもろの存在者のドマンナカに開いた場所を設けることだ」、とも。そういう現実化、アクチュアルなものにすること全体が芸術に関わっている。だからそこには鑑賞者も同じように参入することになる。「作品が作品として現実なのは僕ら(鑑賞者)が僕らの慣習から離れて作品によって開かれたものにはいりこみ、僕らの本質そのものを存在者の真理のなかに立ち止まらせる」
そのことによってだ。

いやーなんて目配りの効いた議論なんだろう。
それにしてもすごいね。
「美とか善といったものは深く考えないまま名付けられた名前にすぎない」美しいものは快感と相関し、快感の対象のことだ。美しいものは形式の中にあり、形式化をうながすのはエルゴン(仕事・作品)であり、アクチュアルなものを通じたアクチュアリティなんだ、と。
ここでも僕らはこの議論の先にあるアーレント『人間の条件』の議論そのものを聞いている。アーレントはvita activa が実現する共同体を前提にしたゾーオン・ポリティコンを重視するとともに、その先に vita contemplativa をとても大切に考えたわけで、そうするとアーレントはやっぱりヘーゲルの「終焉論」の地平にいるのかな。
「芸術についての形而上的概念が芸術の本質に届く」ことは、もはや無い、のかもしれない。

2018年3月23日 (金)

ハイデガーの「考えるとはどういうことか」という本を図書館の地下で読んでいるところというか、眺めているところなのだが、こうしている間にも、東京株式市場では平均株価がきのうに比べて900円くらい下がったとかなんとかニュースが言っている。なんか気にかかる。気にしたからと言ってそれで株価が上下するわけではない。また僕の生活がすぐにどうにかなるわけでもない。僕が気にしようが気にしまいが株価は勝手に上下する。今日の市場の変動は、昨日アメリカの大統領が外国からの鉄鋼、アルミの輸入制限を、また知的財産権などに関してとくに中国をターゲットとして非難したことなどが関係していて、前日のダウ平均が700ドルくらい下がったのだ。アメリカドルの基準金利も、先日のFRBで少し上がった。はて、これはたとえば今物凄いインフレ率に見舞われているベネズエラのような国にどんな影響を与えるのだろうか。実はベネズエラは従来型の公定通貨の価値が激しく下がって行くので、それに代わってブロックチェーンを基礎にした新しい通貨がでまわり始めたらしい。もしそうしたことがこれからも続くとすると、アメリカのドルを強くしようとする政策が、長い目で見ると、ドルの価値を下げる方向に機能するようにも見えてくる。万が一中南米の国がドル離れできる条件がでてくれば、それはとてもおおきな変化ということになる。まあ、すぐにはそうはならないかもしれないが・・・
みたいなことが何となく頭の中を行ったり来たり。

これこそSorge だよな。

「考える」こととは関係のない暇つぶし、パスカルの言う「気晴らし」だ。もっともパスカルは「賭け」に意味を見出していたな。「神の存在」も賭けなのだ、と。そしてこれは「存在する」のほうが圧倒的に勝つ賭けだと。

ここまで書いて来て、やっと「気がかり」から解放されて来た。

先般から問題にしている。「詩」の本質論に近づいて行こう。

さあ、しばらくは思考の時間だ!

2018年3月19日 (月)

ハイデガーのヘルダーリン論

で、図書館でハイデガーのヘルダーリン論、読んでどうだったのかのまとめ。結論から行くと、まさに、「詩とはなんであるか」のど真ん中の答えが書かれていたな。

実はこれを読む前に、シェリング論集なるものの一冊を読んだんだが、これがとんでもない時間の無駄だった。ここには「思索」のシの字も書かれていなかった。

それはさておき、ハイデガーに関して読んだのは、創文社版の新しい全集ではなくて、昔出た理想社版の「ハイデガー選集」の一冊だ。全30巻の30巻目。『ヘルダーリン論』柿原篤弥訳1983 。ここには「ヘルダーリンの地と天」と「詩」が載せられている。

その訳者による注記がとても親切でハイデガーの考え方がとてもよくわかる。

こういうことらしい。
考えることは、Ereignis であり、そこから構成Ge-stell することだ。思考とはそういうものなのだ。
しかしながら考えることには二つのタイプがある。ひとつは「意味」を考えるタイプの思考Besinnung である。もうひとつは Rechnen である。この後者は目的と手段の連繋を算定する計量的な思考の謂いである。
その特徴をもう少し見ると、
1 まずは物Ding を対象として立てる
2 そして有用性に即してBestand として Bestellen する
3 圏域を設定して前に現れるものをverstellenn して、主観に対する対象 Gegenstand を確立する
4こうして立てられたStellen 表象とはむき出しになったものの世界はいわば挑発であって、その作用の先に組み立てられたGe-stell ところに「技術」知がある

こうしたRechnen 的な思考が一方にあるとすると、そういう近代技術知だけが前に出てしまうのだが、それではダメだ、というのがハイデガーのいいたいことなのである。
人間にとって大事なのは生きることLeben ではなく、住むことWohnen なのだ。 地・天・神・人 の四者が交わる領域を「四者行域」とすると、そのマンナカを省察する、つまりはその意味を問う、意味に至る Besinnung 省察が重要になる。世界の中には「詩人」として住む住みかたがあり、それは存在者の露顕と覆蔵の間を揺れ動き迷いながら歩むことでもある。そこで本来的なものが立ち上がるEreignisとき、 考えることDenken と詩作Dichtenは隣り合っているのだ。

ということなのかな、と思う。

ハイデガーはヘルダーリンについてはいろんな場所で、例えば講演などでよく論じているらしいので、その辺をみればもっとシンプルにわかりそうだ。

ハイデガーの詩論はいわば彼の全学説の中からでてきているものだから、ちょろちょろっとアイデアを出したといったものとは大違いだ。そして、かなりの程度、そういうことではないか、と思えてくる。もっとも僕はハイデガーでもヘルダーリンでもないから「四者境域」のど真ん中にいけるとも思わないし、このブログのタイトルにもある通り、ただ「さまよう」だけでどこにも到達しないかもしれない。が、ハイデガーの説はそのような「さまよう」人にとって、一定の「励まし」のサインを送っているように見えなくもない。

ま、まずは『ヒューペリオン』を味読してから何か言ってもいいのかなって感じはあるが、そこまでの余裕はない。またハイデガーにかんしても今のところとりあえず深入りを避けたいと思っているが、「詩の本質」を考えるなら避けては通れない、とも思う。

『夜の讃歌・サイスの弟子たち』岩波文庫

ノヴァーリス『夜の讃歌・サイスの弟子たち、他一篇』読んだ。(岩波文庫412-5 今泉文子訳 2015)


ドイツ・ロマン主義の本質を考える上で大いにためになったね。短くいうと、自然と人間性との一致ということをとおして、フランス18世紀啓蒙の展開をドイツ的な基盤の上で進めていくような、とても前向きで明るい、近代の王道が示されているような印象だな。
「夜の讃歌」とかいうと、なんか暗くて「啓蒙の光」を拒否してるんじゃね?的に思うかもしれないが、正反対だ。自然と人間性の宥和は昼だけでなく、夜においてもより確かなんだ、ということ。ノヴァーリスは「鉱山大学」に進んだことについて言うと、ノヴァーリスは「自然科学」の「物」との関わりをとても重視していた。鉱物が人間に与える感性的な深い直感の輝きを、蒙昧主義的に理解してはならない。
いま、手元に本もメモもないので、ノヴァーリスについて論じるのはずっと先にしたい。それに、ドイツロマン主義を見ることは、前からこのブログで話題にしている「日本浪漫派」のことにも繋がるし、僕自身がつねに強調してきた romantic, too much romantic問題にも直結してくるからね、


あと、このところ考えているのは「「詩」の本質」とかってこと。

まず「詩」っていう漢字の字義をしらべた。手元に本とかない状態で書いているので若干正確性を欠くかもしれない。
「ごんべん」は特にいうを待たないとして、「つくり」はなぜ「寺」かというと、これは音を表していて、同じ音でいう、「之」または「志」になるとも言われる。前者「之」の場合は、「すすめる」的な意味で、ことばを表現したり、ことばに関連する行動をする、みたいな意味になるとも。後者(志)の場合はもっと明らかで、思いや意志を言葉に表すということだろう。
白川『字統』の解釈は、『詩經』の章句から説き起こし、ついで詩の咒という意味合いまでを紹介している。後ほどこれも正確に紹介したい。
もっとも今のところ『詩經』の全面的検討はとうてい無理なので、『字統』と「国風」のグラネ的解釈で甘んじるほかはない。

「詩」が定型から始まったように見えるのは、言語作用の始まりは「歌謡」のうちにあるからだ。これも後でふれなければならない。歌謡は「舞踏」ともセットであり、ダンスといえばリズム面が強調されることになる。もちろん歌謡としてみれば、律動だけでなく、旋法、強弱、アクセント、そもそも発声法そのものまでが問題となるので、その遠い残響が詩の中に宿っている。

だから、詩の起源をみるためのひとつのやり方としては古事記や日本書紀に現れた「歌謡」を論じることも大事だろう。(あー浪漫派だ!)

というわけで、またまた現れた大問題に取り掛かっていて、もーほんとに大変。
そもそも先般やる、と言ったAbsorption and Theatricality に関する Fried の議論をまだ読んでもいないのだからね。ディドロ問題とか「演技のパラドクス」問題も並行して読んだり考えたりしているところ。

今日は大学図書館に来たので、いま、こうした高度に複合した問題の突破口として、ハイデガーの『ヘルダーリン論』の中にヒントがあるか、みようとしているところ。あたるか外れるかわからないけど、今日はそんなことをしようと思っている。じゃ、またね。

2018年3月14日 (水)

『近代日本150年、 科学技術総力戦体制の破綻』

岩波新書1695 『近代日本150年 科学技術総力戦体制の破綻』山本義隆著2018.1
今読んでるところ。

といっても、何か義務感で読んでいる感じで、もうひとつ興奮しない。
あれだね、歴史叙述ってのはある意味退屈だね。書かれていることの多くは既知のことが多いからそこまでびっくりするようなことは出てこない。そのことはAmazon の書評でもだれかが触れている。
ただ、執筆の意図は十分に共感する。

先般水俣病の問題に生涯を捧げた石牟礼道子が死んだ。石牟礼は人間が受けた未曾有の受難から外部の言語を引き寄せ、日本語文学ひいては文学そのものの可能性を切り開いた文学者である。

水俣病と原子力災害は、科学技術が人類に対して起こした犯罪行為を象徴するできごとだ。だから水俣病と福島第一原発事故にculminate する科学技術犯罪を史的に再構成し、歴史の確定記述をする、というのは歴史叙述のありかたとして評価できる。
歴史とは因果性を縦糸として歴史理性の線に沿って記述を行うことであるからその始まりと終わりが明確にされなければならない。
山本はその始まりを1868年に置き、終わりを今現在2018においたのだが、そのような括りに相応しい歴史記述になっているかというか、そもそもそのような括りは適切なのか、が問われることになる。

すると、厳しいようだが、結論としてはあまり筋が通っているようには思えない。というか150年という括りはたしかに反省するによいように見えるが、論点が分散しすぎる。



僕はこのブログでかねてから、昭和10年代思想を考えているのだが、いろんな意味でここの転換に意味があるのだと思っている。

だから時代の括りをするなら日本科学技術の100年でいい。

前にもすこし触れたが、社会史的にみれば、20世紀初頭の科学技術の革命の中にはいろいろあれども、「空中窒素固定法」こそが始まりで、そこから「肥料」「爆薬」の生産、そのための電力供給の必要性、新興財閥・金融資本、朝鮮半島におけるその実現(鴨緑江電源開発とコンビナート建設)という太い線だけを追いかけても、「国策」の本質が企業形態をとった資本主義的発展を「全力で応援」する体
制にあったことはみてとれると思う。
これに軍部が関わるのだが、軍部の関わりだけをみると、戦後体制をどうみるかが難しくなる。
「社会政策が軍事政権下でしか行えなかった日本資本主義の問題性」 (204頁)といった表現は何かすっきりしない。
この書にもあるように戦前戦後をつなぐものは世界的傾向である国家官僚の経済への介入であって軍部(軍部も官僚機構だが「制服」組と「背広」組は多少違うのだ)の意味はべつだと思う。
世界経済が1930年代の不況を介して一定の方向になだれをうって移行したことの中にさぐられるべきものがあると思っている。
しかもここで隠されているのはそれだけではなかろう。
歴史の確定記述を行おうとすると、どうしてもイデオロギーの面の考察が難しくなる。それらは「客観的材料」を欠いているからだ。しかし、その面をぬかしてしまうと、結局は事実の羅列となり、一貫した論理の構築が難しくなってしまう。
そして、イデオロギーを見ようとすれば、総力戦体制を支えているのは「大衆の支持」であって、大衆こそが最大の問題ということになるように思うが。ここではそうした面は触れられていない。要するに「科学イデオロギー」がどのように大衆に浸透したかの分析をもっとやれ、と言いたい。

まあ、新書サイズの本に、ないものねだりばかりしてもしょうがない。
めんどいから僕の言いたいことだけをまとめよう。

ミナマタとフクイチにその達成をみた人間に対する黙示録的巨大disasterの根源を歴史的に発見するための出発点は1868でいいのか? これはひとり「日本資本主義」の特殊性の問いではない、ということ。
東日本の巨大な地殻変動と津波災害が起きるより直近2004年にスマトラ沖地震とそれにともなう巨大津波の災厄はすでに人類が経験し、目の当たりにしてきたところだ。にもかかわらず、当該産業の担当者が備えを怠ったのは根本的に無知と無能の表れ以外のなにものでもない。そもそも型は違うが、原子力災害の酷さはチェルノブイリにおいて人類は経験済みのことでもある。

科学技術そのものというより、科学や資本、あるいは国家といったような抽象的な実体にかかわる普通人の「トラの威をかる」ような傲慢には普段から腹立たしく思っている(それは人間性の一部とも言えるが)。
あと、アーレントが「アイヒマン裁判」で提起した論点みたいなものね。

もう書くのめんどくさくなった。

僕の知っている良い子達がそこそこ頑張っている知らせを昨日もらったので、今日はもう満足している。
じゃ、良い子もそうでない子もまたね。





2018年3月 8日 (木)

「石垣りん」など

『石垣りん詩集』思潮社 現代詩文庫46 をあらためて開いているところ。石垣りん1920-2004の詩集は最近岩波文庫にもなった。こちらは伊藤比呂美の編集・解説つき。(未購入だが近々買いたい。伊藤比呂美の解説を読むため)

実は石垣の詩の中の「写真論」を取り出してみてみたいと思ったからだ。石垣りんの写真論って、何だよ?と思われるむきもあろうとおもうのだが、あるのだ。
前に読んだ時、印象に残っていたのは、「崖」という作品。(詩集『表札など』1968)
サイパンには「バンザイクリフ」という場所があり、日本人の、おそらく多くは民間人がアメリカ軍に追い詰められて崖からとびおりて死んだ場所だ。
それを題材にした作品。ところが読んで見ると、なんか覚えていたのとはちがう。どうしてか不思議だ。ぼくの記憶では、「あ、この女止まっているよ」という詩行があることになっているのだが、実際はそうではない。そのイメージを含む詩行はつぎのようになっている。

・・・
それがねえ
まだ一人も海に届かないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう、
あの、
女。

別の場所でみたサイパンの崖からまさに飛び降りようとしている女性の写真から、石垣の詩行に自分のイメージを重ねてしまったらしい。石垣の突き放したような「ブッキラボウ」な雰囲気だけは似ているのだが、かってに作ってしまっていたようだ。もっとも、石垣の第一詩集、『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』に収められた「挨拶」という詩がつぎのように始まる。

あ、
この焼けただれた顔は
一九四五年八月六日
その時広島にいた人
二十五万の焼けただれのひとつ
(以下略)
この詩には、「原爆の写真によせて」という副題がついている。1952年8月という作成時点が作品末に記されている。石垣が勤務していた銀行の職員組合の新聞にのせるため、当時ようやくアメリカ側からの許可が出て、出回り始めた原爆に関する写真を見てすぐその場で書いたようだ。そして翌日石垣の作品は勤め先で大きな紙に書いて貼りだされたという。組合が詩の発表の場となり、それが職場で共有されるというのはほうぼうの金融機関でなされていたともいう。(石垣りん「立場のある詩」、『詩の本II・詩の技法』1967) ある意味とてもいい時代だったのだなと思う。 あ、本題にもどろう。

ここで石垣の「写真論」といったのは要するに「崖」の前提として石垣が見ていたのがぼくが見てたのと同じ写真かどうかわからないが、たぶん同じだと思って話をする。
ここで石垣は、崖から身を投げた女性について、その写真の与えるインパクトを詩人ならではの視点から作品化している。それが詩の主題とは別に卓発な「写真論」になっていると思うのだ。
問われているのは、身を投げた人たちをそこまで追い込んだ何ものかであって、それを石垣は、はっきりと詩の中で取り上げている。また同時にそのストップモーションこそ(この詩が書かれた)戦後15年の状況そのものであることを、ほんの短い詩行を通じて明らかにしている。
写真が表すのが決定的瞬間とでもいうべき「停止」だとすれば、石垣はそれを我々が生活する現在という「持続」の枠組みに置き換えている。そのような変換のマジックが重要なのだ、と言いたい。写真が表す「過去の一点」というフィクションに対して、それを「持続する[ 永遠の今]」とすること。それを理屈ではなく瞬時にやってみせる。そこにポエジーの固有の力があるんだと思う。皆さんはどう考えるか?

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