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2018年1月 8日 (月)

正月2日は「東京都写真美術館」、旧シャビに行こう

1月2日に東京都写真美術館、TOP行ったわ。いまはシャビって言わないんだね。でもTOPなんて言っても全然個性がないから、あんまり流行らないんじゃないかね。だいたいアートの世界でトップだどうだという発想がいただけない。
ま、それはともかく正月に行く、というのは、その日は3フロアのうち2フロアで入館料がタダだからだ。ヨーロッパの美術館だと無料開放の日が結構頻繁にあったりする。日本では少ない。サービスをよくするより金を取ることばっかり考えて、美術館本来の役割を考えようとしない。地方によくある箱物の展示はまさにこれだ。中身がないのに金だけ取ろうとするから結局はだれも来なくなる。シャビは、その点では結構頑張っていた。だから前はエビゾウ(恵比寿映像祭)の時も結構無料イベント目白押しの時があった。今はどうかな?
いずれにせよ1月2日は無料の上にお店(NADiff)もやってるし、一階のホールでは雅楽の演奏もしてくれる、といいことづくめ。
もちろんタダだから行く、というだけではない。自分としては今まで「アートとしての写真」ということに,そこまで強い問題関心を持ってなかったが、マイケル・フリードの写真論読んで以来、「にわか」で、いろいろ見たくなったということもある。
2階のフロアでは「日本の新進作家vol.14」ということで5人の作家の展示があった。片山真理さんの作品は、展示パネルの巨大化、バックライトの使用、インスタレーションとの複合など、ツボをおさえた手法。そして義足をつけた自分の身体を被写体とするなど、訴える力は強い。武田慎平さんの作品は、カメラレンズを通さずに自然作用による感光、その出来上がった感光体を物質(モノ)として提示するというところに問題意識を感じた。鈴木のぞみさんの作品は具体的な「窓」とか「鏡」を利用して、今はない景観の記憶を定着するなど手法の面白さを感じた一方、そこに浮かび上がる被写体のあり方については、もっと攻めてほしいような感じもした。
3階のフロアでは「アジェのインスピレーション」と題して、アジェ Eugène Atget 1857-1927 のプリントとアジェを紹介したベレニス・アボット、その師であるマン・レイの写真などが展示されている。Walker Evans や Lee Friedlander、そのほか日本の作家のものなどもあり、豊富な展示で楽しめた。しかしながらその一方で、アジェのインスピレーションの本質が明かされているか、というとそうでもないところに限界を感じたのも事実。今回はタダで見たが、これで金が取れるかというとかなり疑問だ。学芸員にはもっと頑張って欲しい。手元にあるものをタダ並べればなんとかなるというものでもあるまい。
今回無料になっていなかったユージン・スミス展はまたの機会に。

写真美術館見学のあとは目黒に歩いて行き、目黒不動と大鳥神社参詣。



2018年1月 4日 (木)

デュシャン詣の思い出(5)

2001年8月ニューヨークのグッゲンハイムでは、フランク・ゲーリー展をやっていた。この建築家を知ってがぜん建築に興味が湧いた。

この展覧会では、ゲーリーが建物を構想するプロセスがわかるようになっていて、とても面白かった。簡単に言ってしまうと、まず最初のプランは紙くずを丸めたみたいな形をしていて、それが次第に具体的なプランに進んでいくのだ。それまで建物とか設計というと、なんか四角い箱に何を詰め込むか、みたいなイメージしか持っていなかったのだが、全く違うアプローチがあることにびっくりした。
そして、次はゲーリーの実際の建築物を見たいという要求が高まり、2005年にベルリンに行った際に、ブランデンブルグ門の脇のDG Bank Headquarter を見にいくことに繋がるのだ。
もうひとつとても気に入ったのはゲーリーの自宅の増築だ。ここにはゲーリーの発想がとてもよく表れていて、自分の家もこんな感じでいじれたらいいな、と思うようになった。
それから、ホィットニーのニューミュージアムではウイリアム・ケントリッジを見た。これも良かった。

そして、メトロポリタンの膨大な収蔵品も隅々まで探索した。

というわけで、思い出話を書いて来たが、この旅行の際の写真やメモなどがどこに行ってしまったのか、全く見つからない。ハーシュホーンで買ったクリフォード・スティルの目録とMOMAで買った特別展の目録とメトロポリタンのガイド本が本棚に入っているだけなのだ。
もともとはフィラデルフィアのデュシャン作品を一度、現物を見たいという、「聖地巡礼」のつもりの旅行だったが、結果的には、「アメリカ人にとっては抽象表現主義は過去のものでしかない」という事実の発見と、フランク・ゲーリーの発見というお土産を得たのだった。
そして文中にも書いたように、ゲーリー建築のひとつとであるベルリンDGバンク見学が、次の2005年のベルリン訪問(目的はどちらかというと「ブレヒト詣」)の楽しみの一つにも繋がることになる。今後書くかどうかわからないが、ベルリンではミースの建築やスケッチを見てますます「建築」の面白さに目覚め、またベッヒャー夫妻の写真展なんかも見ることになるのだ。
また、ニューヨークについてすぐMOMAの切符の列に並んだ時、谷川俊太郎グループがしたのに習って余計な切符を購入したので、あまりいきたいとは思っていなかったWTCのツインタワーに登ったのも、旅行から帰って二週間もしないうちにそれが崩れるのをテレビで見て不思議な気持ちになったということもある。

以上、2001年8月の「デュシャン詣」の思い出をあれこれ書いて来た。そのココロは、まずは巡礼をしたという事実のご報告。そしてさらに皆さんに言いたいことがあるとすれば、それは次のようなことだ。巡礼の本質は目的地に到達することばかりでなく、むしろその探訪のプロセスで新たな出会いがあるというところが大事だということ。いやそのことの方が、巡礼の目的地に至ることよりも、ヨリ意味があるのではないか、と。

そういえばブニュエルの作品に、『銀河 La Voie Lactée』というのがあったな。これはサンチャゴ巡礼の旅行中の出来事を描いている。たった今、僕は、聖地巡礼の本質はそのプロセスにあり、みたいな理屈を述べていた訳だが、ブニュエル作品はいつものように、巡礼にまつわるくだらない理屈を一切合切まるごと吹き飛ばしてしまう。
自分の言ってることを自分で否定するようで申し訳ないが、映画も人生も基本、ブニュエルに学ばなければいけないということはある。
今、この項書き終えてから、明日映画見ようかな、と思って「映画:com」というの見てたら、イメージ・フォーラムでブニュエル特集やってるな。若いうちに一本くらいは見ておいたらいいんじゃネ?

というわけで、「巡礼バンザイ!巡礼とはナンゾヤ?」

2018年1月 3日 (水)

デュシャン詣の思い出(4)

フィラデルフィアから再びバスに乗り、ワシントンD.C.を目指す。バスはいったんボルティモアの停留所により、それからワシントンにはいる。バスから眺めるハイウエイを行く自動車は高級車ばかりで、クリントン(ビルの方ね)時代にアメリカが豊かになったことを改めて感じる。

ワシントン市内は近代的な地下鉄が整備され、街路も美しい。そしてどの建物もアメリカの重要な機関の本部ばかりだ。
ワシントンD.C.に来た目的は、スミソニアン博物館群を訪問することだ。

さて、ワシントンナショナルギャラリーは、これまたウルトラ巨大な美術館なのだが、17年経った今、思い出そうとしてもなんかコレと言った思い出がない。とうか、ニューヨークのメトロポリタン美術館の展示室の記憶とどこかで混じり合ってしまって、わからなくなっているのだ。レオナルドがあったり、フェルメールの(偽作ともいわれる)「赤い帽子の女」があったのは、ナショナルギャラリーだったか、それともメトロポリタンだったか?
すごい作品が多すぎて、見てる人は少なすぎて、レオナルドの作品でさえ、足を止めて見ている人がいない、という展示室の様子だけが記憶に残っている。 ・・と、思って今、手元にあるメトロポリタンのガイドを取り出して見たら、レオナルドのことが出てないから、どうやら記憶に残っている展示室の様子はナショナルギャラリーの思い出なんだな。それにしても何故ナショナルギャラリーの目録がないのだろう?17年前のことで、どうもはっきりしない。

変な話だが、スミソニアン博物館群のひとつであるヒルシュホーン博物館でやっていたクリフォード・スティル Clyfford Still の展示はとても印象的だった。というのも、ニューヨークのMOMAでは、アメリカの抽象表現主義作品をたくさん見たいという望みが満たされなかったからだ。ところで、クリフォード・スティルは、抽象表現主義の画家のひとりであり、巨大な画面を一定の色で塗り尽くすという点ではまさに同時代の代表者の一人なのである。そこで使われている色が主に黒と黄色の反復であって、それらがギザギザに混じっている様子は、僕にとっては、もはや「勘弁してくれ」というくらいに強迫的なのだ。その色調、コンポジションが「好きか?」と聞かれれば、NO! としか言いようのないものだ。解説には第二次大戦の残虐から受けたショックがこの画家を捉えたかのように書いてあった。なんかあまりにも怖くてそれ以上絵画に向かい合っていられないような、そんな感じもした。
ただ、たった今、その時に購入してそれっきりほったらかしてあった展覧会の目録を開いて見たら、その時のbadな印象とはまた別のものを感じる。だからスティルについて、あとできちんと目録の解説を読んでみる必要がありそうだ。

というわけで、デュシャン詣での副産物として、日本ではあまり知られていない(と思われる)スティルという作家に出会ったことがワシントン訪問の成果ということになるのかな。

さて、この後はニューヨークに戻って、メトロポリタン、グッゲンハイム、ニューミュージアムという巨大美術館訪問が続きます。そこでの新たな出会いとその後については、次回で。

2017年12月30日 (土)

デュシャン詣の思い出(3)

フィラデルフィアの美術館は、緑に囲まれた素晴らしい環境にある。近くを流れる川ではなにかパーリ船競争みたいな催し物をやっている。
すっかすかに空いている巨大な美術館にはいると、まずはセザンヌのLes grandes baigneuses と対面。現物見ると三角形の構図ばかりがやけに目立つ作品だ。さらに進むと、なんと巨大なマーク・タンジーMark Tanseyの作品が展示されているではないですか! 日本ではもちろんあまり知られてないわけですが、実は、2001年のその夏の時点では、フィラデルフィア美術館の方もタンジーの価値をまったく認識していなかった!
そしていよいよマルセル・デュシャンの部屋へ!美術館の奥の方のなんの変哲も無い部屋。学校の教室のような、ちょっとくらくて天井の低い四角い部屋にデュシャンのコレクションが展示されている。どちらかというとパッとしない若い頃の油絵作品やら、「階段を降りる裸体」、そして「大ガラス」など、かなりの数の「作品」が展示してある。
ぼくはしばらくその部屋をいったりきたりしていたのだが、なんか大事なものを忘れている気がする。それがなんだかわからないが、展示をすみからすみまで見ても、もうひとつ、目的地に到達していないような、そんな気持ち。
いったん別の場所に行って、そして戻った時に、ほかの観覧者が話しているのを聞いて、思い出した!

探していたけど見つからなかったあの扉と穴は、同じ部屋の隅っこにひっそりとあるので、全然見落としてた!

Étant donées : 1° la chute d’eau, 2° le gaz d’eclairage
ここまで地味だとは!なんといっても木の板に穴があいているだけのものだからね。それにしても、だれもいないうすぐらい場所の隅っこで、ひとり節穴から覗きこんでニヤニヤしているというのは、絵にならない。

というわけで、デュシャン詣は早々に終了。ほかの観覧者がいなかったら、いちばん大切な「与えられたとせよ」を見損なうところだった、というお粗末。

さて2017年末の今の時点で自分としては「エタンドネ(与えられたとせよ)」の重要性に最近気がついたんだな。それは節穴からながめることによって、「写真を撮る」みたいに現実のあり方が変わるってこと。平面絵画の究極の秘密と、そこから飛び出したデュシャンの「発見」が、この最期の作品に凝縮しているように思う。僕は「大ガラス」には、それが「ひびだらけだ」ということ以外にはあまり興味がないのだが、「エタンドネ」が解読できれば、「大ガラス」も含めて、デュシャンのアイデアに関していろんなことが読めて来そうな気がしている。

さて、一旦話をフィラデルフィアに戻そう。

再びダウンタウンの高層ビルを眺めながら、坂を下って街の中心にもどる。そして今度はフィラデルフィアに来たもうひとつの目的を果たすのだ。それは「自由の鐘」Liberty Bell と独立宣言関係の旧蹟訪問である。もちろんベンジャミン・フランクリンの記念館もいかないわけにはいかない。
意外にしょぼい、ひびの入った「自由の鐘」の見学のあとは、フランクリンが手作りした楽器やら機械類を取り急ぎ見た。そしてお土産として、アメリカ独立にかかわる歴史的文書のコピーをまとめた本と、フランクリンの「聖書」とでもいうべき「金持ちになるための教え」を購入。
念のため、正確には『富への道』 The Way to Wealth , a preface to Poor Richard’s Almanack, 1758

でっかい活字で30ページほどのものだ。いまさらながら、マックス・ウエーバー大先生のご高説を伺うまでもなく、アメリカ精神の根本をここから知ることができる。

フィラデルフィアはペンシルバニア州の「首都」だけど、ペンシルバニアとは提督のペンさんが開いた「森の国」という意味だよね。
そのペンさんたちが上陸した港も行ったように記憶している。

フィラデルフィアは見所満載だね。

以上デュシャン詣、フィラデルフィア訪問の件でした。しかし聖地参詣はこれで終わりではありません。次回はワシントンDC の「聖地」訪問です。



2017年12月28日 (木)

デュシャン詣の思い出(2)

2001年の8月、まずはニューヨークに入った。このころ、当地ではインターネットカフェが流行していた。さっそく近くのカフェでアカウントを作ったりする。そしてまず攻めるべきはMOMAだ。最終的な巡礼目的地はフィラデルフィア美術館を訪ねて、「大ガラス」と「・・与えられたとせよ」を見ることだから、MOMAはあくまで「ついで」である。もっとも今回の旅には「ついで」でみるものが満載である。フィラデルフィアではセザンヌの「大水浴」も見なければいけないのだ。ほかにも目的はある。せっかくアメリカにきたのだからジャクソン・ポロックを始めとする「抽象表現主義」の作品を大量に見たい、という目的もある。これも「ついで」である。そのためにMOMAはまっ先に攻略しなければならない。

気持ちのいい青空のもとMOMAのチケット売り場に並んでいたら、直前にならんでいる人が谷川俊太郎氏とそのファミリーであった。なかなか列が進まないなと思っていると、谷川氏たちは列を離れたので、理由を聞いたら、ほかの施設もまわるセット券ならすぐ買えるとのことで、自分もそちらに変更。そのおかげであとで崩壊直前のWTCツインタワーに登ることができた。(危なかったと言えないこともない)。
で、MOMAの展示は意外にしょぼくて残念。(改修中だったのかも)。
なによりびっくりしたのが、ポロックとかロスコとか、期待していたバーネット・ニューマンとかの作品がほとんど全く展示されてなかったこと。
特別展のドイツロマン主義絵画とか、ボナールとかドニとか象徴主義系の絵を集めたBeyond the Easel という展示は充実してた。あと、MOMA付属の映画館でやってる映画も面白かった。

さて、先へ進もう。ニューヨークでのお楽しみは後に残して、聖地へ行かなければならない。
というわけで、バスでPhiladelphia に移動。フィラデルフィアの街の中心から広い道を斜めに上がって行くと、目指す美術館はすぐそこだ。

2017年12月24日 (日)

デュシャン詣の思い出(1)

何回か前の文章の最後のところで、「聖地巡礼」と「出開帳」という話題を出したのだが、そのことを記憶してる人はほとんどいないだろう。

意味するところは簡単である。聖性を帯びたものとは、「稀にして困難な」ものだ(スピノザを思い出して欲しい)。

聖なるものに近づくためには、二つの手段がある。ひとつは自ら世俗の生活をいったん離れて、巡礼の旅にでることだ。もうひとつは、聖なるものが自ら接近してくる機会を捕まえることだ。例えば江戸時代、地方の有力寺社が江戸の町に「秘仏」や「秘宝」を運び込み、町人に開陳した。そういう機会をつかまえることだ。

聖なるものが世俗化した現代にあっては、アート作品がかつての「聖性」に取って代わった。美術作品の展示は、同じ見世物といってもサーカスのようなスペクタクルとは、一線を画す。
(どこが似ていてどこが違うかは改めて論じることにしよう)。

たとえば日本列島に住んでいる人間が、近代アートに触れたいと思ったら、方法は二つしかない。自らが海外へ赴き、その作品の展示を見に行くという、「巡礼」の道がひとつ。

もうひとつは、新聞社などが主催して行う「特別展」だ。「印象派展」とか、「ロダン展」とか、こうした作家たちの作品のいくつかを海外の美術館から借り出して、仰々しい広告とともに、たとえば「国内初披露」といった看板とともに展示を行うといったものである。こうした広告効果は抜群で、上野西洋美術館とか、国立新美術館とかの前には、「善男善女」が有難い作品を一眼見て「ご利益」を得ようと、長い列を作ることになるのだ。
これが「出開帳」である。

日本の宗教伝統の上では、「お伊勢参り」や「熊野詣」など、聖地巡礼は極めて活発な時期があり、日本社会史の上で極めて大きな意味を持ってきた。今も四国遍路に赴く人は多い。

聖なるものが世俗化し、美術作品が「聖像」や「聖遺物」に取って代わるようになった現在、面白いことに、かつての聖地巡礼の熱気は消えてしまったようだ。それに代わって、「出開帳」としての「美術展」が頻繁に行われることになった。勧進元は「新聞社」とかNHKとかだ。こうなった理由を考えるとまたひとつの大きなトピックになってしまうので、いまは触れないことにする。

僕は巡礼に興味がある。これから触れたいのは、過去にした「巡礼行」の思い出である。僕の巡礼体験のうち、いちどに沢山の聖地を巡ったという意味では、今から17年も前になる2001年の8月にした「デュシャン詣で」の旅が思い出深い。これについて書きたいのだが何しろ昔のことだし、その当時はまだデジカメなどの記録手段があまり普及していなかったこともあり、せっかくの豊かな巡礼行も、その成果をみなさんに直接お見せできないのは残念だ。それでも、まあせっかくそんな話題を始めたのだから、記憶を頼りにして、その時のことをすこし書いてみよう。

(次回に続く)

2017年12月22日 (金)

Thomas Demand の場合

マイケル・フリードの『なぜアートとしての写真がかつてないほどに問題なのか?』 2008 イエール大学出版局、 の読書もいよいよ終わりに近づきました。またまたびっくりさせられたのが、表記のトマス・デマンド 1963-
さんです。



たとえば、これはBathroom(Beau Rivage) という1997年の作品で、大きさは166×122cm とあります。(フリードの本の図版166より)

なんの変哲も無い、こぎれいなバスルームの写真で、どういうわけかお湯が張った状態になってるのを撮っているように見えます。このほかにも色々な部屋の写真があります。映像アーカイブとおぼしきケースが山積みになってる部屋とか、無反響室とかと言った専門性の高い部屋の写真などですね。

最初は、ふーんとおもって見ていたのですが、なんと実は、これらの写真の被写体となった部屋というのは、デマンド自身が紙で作ったものなんだって!
デマンドさんはもともと彫刻家で、それから写真表現に来た人。
この人の写真の題材は、過去のニュースなどに掲載された、なんらかの事件に関連した部屋を、ある種「再現」したものらしい。それらの事件というのは同時代のものばかりではなく、例えば「部屋」という1994年の作品は、東プロシアのラステンベルクにあったヒトラーの部屋、1944年7月20日にヒトラー暗殺計画が失敗した後の部屋のようすだという。上に掲げた作品「浴室」は、1987年にドイツの有名な政治家が原因不明の死を遂げたジュネーブのホテルの部屋のニュース写真をもとにしたものだという。

この後者の作品ができるまでのプロセスは以下の通りになる。
⑴「事件が起きた時のニュースの写真を用意(これが元ネタということになる)→⑵デマンドさんによる紙を素材とした、その場所(この場合は浴室)の再現→⑶それをデマンドさんが写真に撮る→⑷おおきく引き伸ばして作品にする

ばかに混みいった手続きの結果ではないか。それに紙で作ったにしてはばかによくできている。というか、大判の作品本体を前にすれば、「なんか変だな」と思うかもしれないし、実際フリードはそういう作者による「わざとアラを見せるやりくち」を論じているので、粗が見えるのはほぼ間違いないのだ。
しかし印刷された本で見るかぎりは、そういうアラよりも、こぎれいな空間の写真だな、という印象の方が強い。

いったい、こういう手続きを経て作られる「写真」とはなんなのか?
写真とは「もっとも透明なメディア」であって、アート的なものがはいる余地はすくなく、被写体が「かくあるが如くあった」ことを示す「インデックス」なのだ、といった世間常識から見ると、もはやこのデマンドの「写真」は通常言われるような「写真」ではない。
これは「オブジェ作家」デマンドさんの作品を「写真化」したものである、みたいな解釈もできるかもしれないが、そもそもそのような「オリジナル」は(写真を撮ったその時点では存在したが)いまは存在しないのだ。しかももっとアイロニーが効いているのは、そのデマンドさんが作ったオブジェが仮に存在するとしても、それはニュース写真をもとにして作った「作り物」なんだということ。そしてさらに言えば、ニュース写真が撮影された時にその被写体となった「部屋」とか「浴室」とかはたしかに存在したのかもしれないけど、それは事件が起きた時にはあったかもしれないけど、いまはもう、存在しない、ということ。

ここに設けられた企みは、あまりに多重の「しかけ」を経ている。その結果、「誰かが、現実に存在する何かを被写体として写真を撮り、それが写真作品として提供されている」という、それを鑑賞する人 beholder にとっての常識を逆撫でするような趣だ。

やってくれるねえー、デマンドさん!

2017年12月21日 (木)

廣松渉『世界の共同主観的存在構造』

まずは写真をご覧ください。



高校時代のワンゲル部の部誌にウルトラ難しい文章を書いていたヤマグチ君の推薦で購入したのが、勁草書房から出ていた『マルクス主義の地平』だ。今みると装丁もかなりカッコいい。さっそく広げてみると、あんまり読み込んだ跡が残っていない。してみると当時実際は読んでいなかったのか?しかしながら自分としては『ド・イデ』(マルクスの『ドイツ・イデオロギー』の略)、物象化論がとても大事だ、的な覚えはあるし、実際当時、岩波文庫の当該書を購入したというのも、現物があるので確かなことであって、80年代以降に柄谷の影響を受けて物象化だとか交通だとかを云々し始めたわけではない、と思う。
それにもかかわらず、というか、そうだからますますというか、なんかこの文章の内容以前に、「文体として」とても受け付けられない、という苦手意識だけが残ってしまった。

高校時代にすでに廣松を読んでいたというヤマグチ君はすごい、と思う。その後ヤマグチ君がすごい人になったかどうかは、わからない。大学卒業後は多くの人が憧れる大企業に就職したことまでは把握しているが・・・。

世間が「マルクス主義理論家」と理解している廣松渉であるが、一方では『〈近代の超克〉論  昭和思想史への一視覚』という著書もある。ぼくは比較的最近(7〜8年前)この本を読んだのだが、意外なことにというか、そこでは昭和思想への内在的批判作業というか、ここではむしろ批判より、広く問題の所在をつきとめようとする姿勢が強く出ていて、なんか意外な感じを受けたのである。

先般まで同じ職場にいた、スズキセンセイから「『世界の共同主観的存在構造』は読んでますよね?」的なことを聞かれた時も、なんか曖昧にスルーしてきた、ということがある。

その本がこんど岩波文庫で出たので、買ってみた。
「おまえ、講談社文庫では買わないくせに、岩波文庫になったら買うとか、権威主義のクソ野郎だな」などと言われそうである。
ま、その件はともかく、いままで敬遠してきた廣松渉の主著とでも言うべきこの本、読んでみたら、あれれー「むずかしくないじゃん!!!」

80年代以降、日本でも現象学や構造言語学なんかの知識が普及してきて、僕なんかも、なんとなくというかごく自然に現象学的な議論のかまえを了解してきたということがあるのだろう。すらすら読めるのだ。どちらかというとそんなにびっくりするような特別なことは書いてない!
してみると、この論文が書かれた当時、つまり1970年ごろには多くの人にとって「突飛」というか「難解」と見えたのは、読者の側の力量というか知的水準というか、「民度」というか、そう言ったものが極端に低かったためなのだな、ということが了解された。実際、岩波版の末尾についた 3人の学者の鼎談を読むと、たとえば白井という人が廣松の「役柄存在」のディテールをいかに誤解しているかがわかり、とても興味深い。

社会的な地平において、私たちがどのように「役柄」を演じ、それがいかにして「物」となって(物象化して)人間を拘束し、ひとつの社会的事実を作り上げていくのか、という問題意識は今もなお新しい。

このところしきりに問題にしている「写真論」でも、そうした役割演技の問題は常につきまとう。
写真に撮られた人は常に写真機とそこにいる撮影者を意識している。すなわち、そこには「被写体」であることを演技する人がいる。

この辺に関するソンタグの議論とか、いまは触れない。ただ「状況」だけを
確認しておこう。

現代のソーシャルメディアの上に溢れているのは「インスタ映え」する写真である。世の中のほとんどの人がつねに見る人beholder の存在を意識して写真を撮っている。
今やだれもがかつての映画スターやアイドルの地位に近づくことができる。YouTubeの上でのスターこそ現代人の憧れなのだ。


写真、動画、そうしたものの撮影、発表という行為が新しいメディアのうえで実現しようとしていることは、それ自身が何か巨大な「制度」として人々を拘束していることを捉えなければならない。

役割演技・無垢・リアリティ、これらは存在論の地平に新しい議論の仕方を加えるだろう。

2017年12月 8日 (金)

杉本博司、ぼえんとした建築

20世紀初頭に起こったモダニズムは私たちの生活を大きく変えることになった。装飾から人間の魂が解放されたのだ。もはや神の気を引く必要もなく、王侯貴族の自己顕示も必要ではなくなったのだ。人間の力を遥かに上回る機械の助力も得ることができるようになって、人間は初めて形を作る自由を得たのだ。私は現代の始まりを、その建築物から辿ってみることにした。撮影にあたっては、無限の倍という焦点距離を設定した。私の使うような旧型大判カメラでは、海のような無限遠に焦点を合わせた後も、歯止めが無いためにそのまま無限を突き抜けてその先へいってしまえるのだ。無限の倍をカメラで覗いて見ると大ぼけの像となった。そして私は優秀な建築は、私の大ぼけ写真の挑戦を受けても溶け残るということを発見した。こうして私は建築耐久テストの旅へと出発した。多くの建築がその過程で溶け去っていった。
(以上、杉本による説明)

この説明は文字通りに受け止めていいのだが、すこしとぼけているような感じを受けないでも無い。というのは意図的にぼかした像を使って作品化するというのは、たとえば同じ頃にゲルハルト・リヒターが積極的にやっていることだし、ボルタンスキーの作品でも、そうしたぼやけた写真が効果をあげていたことは多くの人が知るところだろうから。そして杉本自身は2001年の『松林図』で、このぼかしを使って水墨表現の効果と比較する試みをみごとに成功させている。
同じ頃に ドイツのThomas Ruff は、ありふれた図像表現(たとえばポルノグラフィなど)の解像度の低い図像を巨大な拡大プリント化して、ぼやっとした絵柄の「作品」へとしたてているということもある。いずれにせよ「無限遠の視点を入れて近代建築を相対化するテストを行う」みたいな説明は後付けのように疑ってしまえないでもない。
それにしても杉本による近代建築の写真は奇妙だ。ニューヨーク・シーグラムビルの鋼鉄のラインもぼえんとした紙切れみたいになってしまう。ここに写しだされた光景はどれも素敵だ。近代建築が求めた物質の質量性とでもいったものが、どこかに消え失せて、すべては夢のような、ノスタルジックな世界の産物と化す。クライスラービルの先端の光の煌めきの作品をみていると、遠い昔の記憶に引き込まれていくようだ。

写真とは「死んだもの」「かつてあったがいまは無くなってしまったもの」に関わるのだろうか?そういえば杉本の初期のTHEATERS も、映画的時間の終了をもって撮影が終わるものだった。

人類の世界認識はひたすら「ぼえんとしたもの」から「明晰・判明なもの」へと向かってきたわけだし、知識の中に「曖昧な領域」残さないことが、何か価値があることのように思われている。五感の中で「視覚」的経験と計量化が優位となった。計量のプロセスは本来は身体的なもので、デジタルとは指使いに関わるものだったが、今日ではデジタルとは目盛りの数値の視認へと姿を変えた。

杉本が提供する近代建築のぼけた映像は「視」の作用を近代の常識から、見ることの古形へとつれもどすものでもあるかのようだ。

2017年12月 7日 (木)

杉本博司さんの作品から(前回の続き)

1974年、ニューヨークに着いたばかりの私は、ニューヨーク見学を始めた。自然史博物館にたどり着いた時、私は奇妙な発見をした。剥製の動物たちが書割の前に置かれて、いかにも作り物に見える。しかしそれを片目を閉じて見た瞬間、遠近感が消失して急に本物のように見えたのだ。わたしはカメラのように世界を眺める方法を発見した。どんな虚像でも、一度写真に撮ってしまえば、実像になるのだ。


これはジオラマDioramas1975-1999につけられた杉本の文章だ。ここには非常に多くの考えるヒントが含まれている。



写真はもともと、ルネサンス期のカメラオブスキュラ(暗い部屋)の当初から、ひとつの視点(ひとつの覗き穴)からみる世界像としてあった、ということだ。パースペクティブ(一点透視)という方法はそもそもヨーロッパの平面絵画の始まりとともに、欠かせない技法となっていた。単に画家が片目をつむって対象のプロポーションを図るといった身体技法である場合もあれば、厳密に計測用の暗箱を用意して対象をとらえることもあったろう。あるいはもっと大きな部屋を用意して、画布の上に正確に対象の形態をなぞることもあったろう。

ポイントは、それが単一の覗き穴の作用である、ということだ。これは人間の視野が自然な両眼視の上に成り立っていることと正面から矛盾対立する。大きな建物や遠景の野山を描画する際には、両眼視と単眼視の間にはおおきな齟齬はおきないが、比較的近い対象を描く時には(左右の眼に写った像の違いが生じるので)問題が生じる。

デカルトは『屈折光学』の第五講
「眼底で形づくられる形像について」において、対象、眼球の表面、眼底に結ばれる像、のメカニカルな関係を、比喩というよりは実際に動物の眼を使用した具体例として記述している(第12図)。

下の写真を参照。




さらに、両眼にはいった光像が、両眼から視神経脳内作用を引き起こす様子も記述している。第14図、下の写真を参照。






また、第六講「視覚について」で、第14図に基づき、眼球メカニズムと対象の位置の認識についても論じ、視覚・脳内メカニズムと実際の位置関係の誤認についても論じている。

僕がここで述べたいのは、視覚に関する身体メカニズムをあれこれすることではない。デカルトの議論で常に前提になっているのは視覚メカニズムの「透明性」である。デカルトの語彙で言えば「明晰」かつ「判明」であることだ。視覚像が記述される時につねに前提となっているのは、外界と視覚像の間を媒介するメカニズムには「それ自体として」その客体像を「変容させる」可能性は残されていない。それをみとめることは「物体」に「精神」の位置を与えることになるのだから、デカルトの議論からはありえない。

ところで光像認識の実際の物理プロセスはどうか、というとじつは現実はそこまではっきりしない。むしろ「明晰判明」に一義的に決定できないのではないか、と思う。左右両眼の視差が対象物の「奥行き」認識に関係があると言われる。左目の光学像と右目の光学像の明らかな視差を脳内で統一するようなメカニズムを思い描くこともできようが、そこも簡単ではない。左右眼の水晶体保持力などの身体物理的能力も同一ではない。要するに左右の視力にも差がある。

セザンヌあたりからキュビズムに至る対象認識の再構築にもとづく作品制作の流れは、こうした、言ってみればアーティストたちの「視認」に対する現象学的還元の長いプロセスを経過して始めて可能になった。


一点透視の機械的メカニズムは「生」の生き生きとしたありかたからは明らかに逸脱している。それは「生きられた世界」ではなく、単眼レンズに規定された、メカニズムの所産である。その意味では、写真とは「生」の敵対物であり、その究極の名称は「死」なのである。

Ultimately, what I am seeking in the photograph taken of me ( the “intention” according to which I look at it ) is Death: Death is the eidos of that Photograph.

Roland Barthes CAMERA LUCIDA

話を戻すと、生きられた世界の描く絵は、必ずしもクリアな描像ばかりではない。

杉本の『建築』Architecture 1997-2002 の写真群は、このことを示そうとしているかのようでもある。モダニズム建築は、くっきりとした水平あるいは垂直の直線、その妥当なプロポーションによって、あるいはそのような直線とはっきりとした対をなす曲線の構成的な意志によって成り立っている。

ところが、杉本はこうした建造物をあえて焦点を無限遠に結んだカメラで撮影する。出来上がったのは、「大ぼけ」の建築写真である。

これら作品についての杉本の解説は次のようなものだ。

(以下は次回)




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