2017年10月17日 (火)

東郷青児展みた

二週間前新宿で、損保ジャパン日本興亜美術館でやってる「生誕120年東郷青児展」という展覧会を見た。己の不分明を恥じるのだが、自由が丘の近くに住んでいた関係もあり、東郷青児というと「モンブラン」のケーキの包み紙のイメージしか持ってなかった。そこに描かれたモダンな女性のイメージから、なんか戦後の作家だとばっかり思っていた。
今度の展覧会のタイトルにもあるとおり、120年前にうまれたというのだから、1897年、つまり明治30年生まれという、めっちゃ古い人だったのね。
それにしては絵柄が新しい。
作家の人生については特に探求してないのだけど、展示は年代順に古いものから順に並んでいて、この作家の最初期、19歳だったかな、の作品から始まってた。で、これがなかなかの作品なんだ。彼が10代でヨーロッパに渡った1910年代の終わりころはまさにヨーロッパ絵画の大転換が進行中だった。そこで東郷はそうした変化を自らの中に積極的に取り込んでいったわけ。この時期の暗い色調の作品はブラックやピカソのキュビズムそのものだ。
あと、今たまたま手元にある本に出ていたフェルナン・レジェやオザンファンの絵の印刷物をみていて気づいたのだが、実は東郷の晩年の様式化した美女たちの描き方、身体のパーツを円筒のように見立てて影を描きこむやり方の中に、依然としてキュビズム絵画の特徴が保持されていることがわかったわ。
東郷はまずは圧倒的なキュビズムの影響下から出発し、ついでイタリアでフュチュリストの影響を受けるのね。こうしたヨーロッパ絵画の大変革を己のものとして、1920年代のはじめには、ほぼ独自のスタイルを確立している。年齢で言えばまだ20代の始まり。
東郷ってすごい画家なんだね。

帰国してからは、絵画面では大胆な構成重視の作品を手掛けながら、戦後の様式化した作品に近づいて行くが、そこもひと筋縄ではないように感じた。

特に僕は、30年代のものかな、病院の様子を描いた作品に強く魅了されたのだが、そこには、戦後の作品ではあまり出てこない、「不安」みたいな「深層のエロス」みたいな主題も現れているように感じた。
本の装丁をしたり、雑誌の表紙デザインをしたり。1936年には「丸物デパート」(マルブツって読むんだよね?戦後もしばらくあったと思う。)の食堂の装飾画を藤田嗣治といっしょに制作したりしている。
昭和10年代の東郷青児の活躍は僕がこのブログで問題としている、昭和の世相というものを考える上でも、とても興味深い。ヨーロッパの生活目線をたもちながら、右傾化して行く同時代を生きていく。その困難みたいな面について、その辺の事情はこの展覧会では特に触れていない。作品を見る限りでは淡々と己の作風をつらぬいたようにみえるのだがどうなのだろう。同時代の同じくヨーロッパ文化の冒険者である藤田嗣治が、「戦争画」に取り組んで苦労しているのを見ると、なんか大変だなあと思うのだが、東郷青児の場合はどうだったんだろう?

さて、戦後の活躍もなかなかのものだ。とくに大阪の巨大な建物(商業施設だったっけ?)の壁に油絵で巨大な作品を作るなんてのもすごい試みだ。作品は20年くらいしかもたなかったみたいだけど。

いずれにせよ、東郷青児というと「モンブラン」の包み紙くらいしか思い出さず・・・あと確か昔の渋谷の東急文化会館にも東郷青児の作品があったように思うのだが僕の記憶違いかな?
こうした商業アートとリアルアートのしあわせな結合は素晴らしいのだが、僕のような無教養人は、それ(コマーシャルアート)の平板な大衆性がそのアーティストの全てだと思ってしまうことにもなった。
今回、たまたま火災保険に入ったら代理店の人がサービスでくれた切符のお陰で、素晴らしいアーティストを発見できたのは良かった。

もちろんついでにゴッホの「ひまわり」もみれたし、旧安田火災が建てた建物やそこから見るコクーンタワーや東京の景色も予想外に綺麗で良かったわ。





上の作品は1916年(東郷19歳)
「パラソルさせる女」


美術館から見たコクーンタワー



あー急に寒くなったので、体調を崩したわ。頭がクラクラして外出できない。毎年この時期、同じ病態になる。さっき手帳で確認したら2年前にはこの時期3軒の医者(内科、耳鼻咽喉科、脳神経外科)にかかってた。
みんなは体調崩さないように頑張ってね。じゃ。

2017年10月10日 (火)

作品の「可搬性」portability について

Jeff Wall のバックライトを使った大きな「写真」作品展示の意味について、作品の「タブロー化」ということが言われる。
そのことに関連して、すこし考えてみよう。写真というものは多かれ少なかれ「複製化」可能なものとして、意識されるのだが、タブロー化することによって美術館での展示ということに意味が出てくることになる。そのことが写真の「複製」可能性を左右するわけではないが、鑑賞者の側から言えば、自らが移動して展示場所に出かけてそれをみるということに意味がしょうじる。つまり「わざわざ鑑賞のために移動の不自由を受け入れる」ということである。
前回、アランに関連して、音楽や演劇が「一定時間、鑑賞者を一定の座席などに拘束するという意味での、時間に関わる芸術である」ということを述べた。一方アランによれば、例えば建築や彫刻のような芸術は、鑑賞者がその周りを歩いたり自由に移動したりすることが前提になっている芸術だという。
こうした区別があるとして、従来、絵画作品のようなものは、展示場所である美術館に人が赴くことが前提になっていて、一点しかない作品を鑑賞することが基本であった。このことをたとえばベンヤミンだったら、芸術の「礼拝的価値」と言ったかもしれない。音楽も同様であり、レコード、CDなどの記録媒体や再生装置が高性能化、Hi-Fi 化する前はやはり生演奏の価値が圧倒的に高かった。
現代において、オリジナルの持つアウラがどれだけ減ったのか、改めて考えると、比べることができるわけではないので、いうのは変かもしれないが、ベンヤミンが述べたほどにはアウラが消滅してしまったわけではないようにも思える。今日の大衆社会においては、「オリジナル性」というものそれ自身が、「レアもの」として価値を持つことが市場において共有されていて、オリジナルだ、というだけで経済的価値を持つだけでなく、それを超えて「礼拝的価値」までも生じさせることも可能なのだ。
その辺の問題は、マルセル・デュシャンの挑戦以来、大きな問題提起の系譜があると思う。
で、Wallの場合もそういう美学・美術史的な考察を踏まえながら、写真作品に、一定の展示的な意義を付与する方法を取ったのだと考えることはまあふつうに受け入れられることだろう。

そんなことを踏まえてあらためてその辺の事情を考えてみたいというのが、今日の趣旨であるが、あらかた言いたいことは言ってしまったかんじがする。

アランの区別に関していうと、いまや複製技術によって音楽や演劇も「自宅」で楽しむことができるようになった。「自宅鑑賞者」の立場からは、好きな時に好きなところで止めて、また好きなところから聞いたり見たりできるから、「一定時間の拘束」、緊張関係を保つ時間の拘束はなくなった。写真はもともとそういう面があり、また絵画も写真として複製化して鑑賞できるようになったので、自宅にいて「書物」のような形で手元において楽しめるし、またコンピュータを通じてディスプレイ機器の画像として、いつでもどこでも好きな時にそれを鑑賞できるようになった。

ところが面白いことに、そのように芸術再現の可能性や利便性が今日非常に高まってきたその結果、別のことがらに注目されるようになってきたのでもある。アランは芸術の「表現者」の側の身体使用の規則を重視して論をたてているのだが、むしろ今日の起きているアートをめぐる出来事を考える上では、「鑑賞者」の側の身体使用が問題となってきているということだ。

Wall をはじめとするここ30年くらいの写真表現において作品が「巨大化」し、美術館などの公共空間の壁に架けられることにより、「タブロー化」が進んだことは先ほども述べた通りなのだが、そこで問われているのは、まさに「鑑賞者」がどのように作品に向かうか、その際に準拠枠となるのが、「鑑賞者」の側の身体性なのであるということが意識されるようになったのだろう。
ある作品が「大きい」とか「小さい」というのは物理量の問題ではなく、人間が立って何かを視認する際の視覚の広がりというものとの関連がもっとも強いのだ。このことは実はルネッサンスの最初から強く意識されていたことなのではないか、とも思われる。パースペクティブに関する議論の中でも、例えば彫像の実作にあたって、それがどう見えるかに関して、見る側の目の位置が強く意識されていたことは間違いない。

鑑賞者の側の「身体性」については、従来あまり議論がなかったのだが、今も述べたように、そこが、これからの問題なのだと思う。

THOMAS STRUTH MAKING TIME 2007 というプラド美術館が出した本がある。

まず美術館の内部をその鑑賞者とともに写真に収めたStruth の作品がある。プラド美術館では、そのストルースの作品を、プラド美術館所蔵の絵画展示にわざと絵画の写真であるストルースの写真作品を並べて展示したようだ。そして、この写真集はと言えば、あたかもストルースの作品が美術館における絵画作品展示の写真であるように、その時のストルース作品の展示風景の写真なのである。この展示の試みそのものがとてもアイデアに満ち溢れているだけでなく、写真集が「写真の展示風景の写真である」という風に、問いが問われるものに関わる関係が重複していて、とても面白いものとなっている。この写真集についてだけでもちょっとした論考を必要とするように思える。でも今日はそのことは問題にしない。
とりあえず今日の文脈では、ストルースが美術館の鑑賞者を被写体にしたことと、今日のアートの意味ということに関して、「鑑賞者の身体性」が問われていることとの関係性があることがわかればそれでいい。PRADOで開かれた Making Time ならびにStruth の写真に関する議論はこれからマイケル・フリードの Why Photography Matters     の第5章を検討してからゆっくり検討したい。


そして今後の僕の議論のひとつの方向性として、次のようなものを考えていることを今日は予告して、ここで終わることにしよう。

昔 僕は江戸時代の寺社のありかたについてあれこれ考えていた時期があった。そこで実証研究したことの一つに寺院が行う「御免勧化」の足取りを追うということがあった。これは寺院が幕府の許可を得て、近隣の村々、場合によっては武蔵の国一円から「寄附」をあつめて回る行為である。寺社経営とは基本、檀家・氏子圏をベースとしているのだが、建物の造営など、数百年に一度規模の資金を必要とする際には、基本となる檀家氏子圏では足りず、それをはるかに超える地域の民衆から金品を集めることもあったのである。今はその研究の詳細については述べないが、そのことと関連して、(僕の研究対象ではそのようなことを行った記録は残っていないが)江戸時代の寺社は「出開帳」などが行われることもあったことを指摘したい。これは御本尊の秘仏などをあえて持ち出して「開帳」し、広く信仰者の希求に応え、あるいは寄附を募るといったものであった。

宗教行為に関し、信仰者の身体性に注目する時、信仰者が自ら移動して「聖地」に至る「巡礼」が一方にあるとすると、一方では聖なる存在そのものが自ら移動して信仰者のもとに訪れるという「出開帳」がその対極にあるとは言えないだろうか。

「聖地巡礼と出開帳」

これが、アートをめぐる考察の次というか、先のテーマとなる。では次回をお楽しみに。

じゃ、またね。

2017年10月 6日 (金)

長谷川宏訳 アラン 『芸術の体系』

ココログの他のブログを覗いてみたら、なんとびっくり! まめな人って毎日ブログ更新してるのね! しかも結構内容がある。まあ確かに昔から「日記」というジャンルがあって、まめな人は毎日きちんと「日記」をつけてきたわけで、そのデンでいけば、毎日ブログをこうしんするのも「アリ!」ってことになる。だけど、僕の場合は何か本を読んだり、何かを理解したりってことを前提にしてるので、「本を読む」にしても、「映画を見た」にしても、そう毎日新たな経験をしているわけではない。仮に本を読んだり、映画をみたとしても、よほど心に落ちない限りは何か書く気がしない。何かを「理解」した、というか、ストンと心におちてくるような、情動を伴う強いインパクトがないことについて、ことさらに文章化しようとは思わない。

そんなわけで、なかなかブログをしょっちゅう更新するわけにはいかないのだ。
だが、その一方、この路傍の石のごときブログの文章を喜んでよんでくださるかたもいなくはない、いや、いなくもないどころか、具体的な顔も浮かんでくる。(ただし、約一名)。そうなると、贅沢なことを言っていられない、というか、誰かの喜んでくださるかもしれない様子を思い浮かべるだけで、他者の喜びを我が喜びとしたくなるではないか。
ニュース見てると、なんか偉い人がインタビューを受けて、インタビュアーが最後に「ありがとうございました」というと、「いやいや、どういたしまして」ってな感じで、
「My pleasure !」とか言ってるじゃないですか。

あなたの楽しみが同時に マイ・プレジャーであり、マイ・プレジャーが誰かの楽しみにつながるなら、こんなにステキなことはない。

というわけで、だらだらと書いてきた挙句に、前回のブログで予告した、アランの『芸術の体系』について、ちょっと書いておこう。

この本で、一番面白かったのは、「動く芸術」と「動かない芸術」っていう区別だ。ふつう僕らが考える造形芸術が「動かない芸術」に属していて、ダンス、トーク(雄弁や詩)、ミュージック、演劇なんかが「動く芸術」に属している。これを読むと普段のトーク(会話)も芸術に昇華できるんだってことがわかる。逆にいうと、アートとして理解されない普段の会話は、限りなく「雑音」に近いということになる。
半世紀前までは存在していたと思われる「品のいい家庭」。これは階級とはなんの関係もありません。貧しい家でも金持ちの家でもいいのです。会話が「スタイル」をもち、節度を持って展開するところでは、生活そのものが「アート」だったのではないか、などと考えます。もしかしたら逆かもしれない 。身のこなしや会話が常に至高の存在とかかわり、その意識があるところでは、労働に関する身のこなしや、日常の会話も奔放に逸脱することなく、展開したのではないか?
中世の北欧を舞台にした、イングマル・ベルイマンの映画『処女の泉』というのがある。もちろんこの映画そのものがアートであり、芸術として構成されたものであるのだが、そこで描かれた地方豪族の家族の静謐な、ほとんど会話のない生活様式なんかが、その代表格だ。
現代家族で言えば『東京物語』をはじめ、小津安二郎監督の映画に出てくる家族の会話もとてもスタイリッシュである。
元来、会話というのは、家族間においてさえアートの要素があったのだ。
ここでアートといっているのは、まさにアランが言っているように、情念に縛られて、声帯が緊張してしまい、声がやたらに甲高くなったり、喚くみたいになってしまったり、ということを避けること。より適切に情念を表現するように働くこと、こうしたことだ。話すアートは「雄弁術」や「詩」にその究極の表現を見出すが、美しい詩句の表現は衝突や緊張のないダンスのようなものだ、ということにもなる。

テレビを見ていて常に不快感を感じるのは、登場する人物が常に緊張していて動物の叫びのように言葉を放つことと関係があるのだろう。ここにはアートもなければ美もないことは言うまでもない。これらのことは現代人が置かれている病的な状況というものの鏡でもある。

アランの議論はとてもわかりやすい。人間の肉体のありかた、道具の使い方、そうしたものを一定の鍛錬のもとで自然から解放し、統御されたものとすることがアートの本質なのだ。

声の出し方には声の出し方のアートがあり、身体の動かし方には動かし方のアートがある。

動かない芸術に関しても、同じことだ
。例えば絵画について言えば、画家の身体の使い方と道具(絵の具の扱い、絵筆の使い方)によって根本的に規定されている。こうした議論に深入りするつもりはない。

もうひとつ、僕が面白いとおもう区別がある。音楽や演劇のような、一定の時間見る人を拘束し、「始まりと終わり」のあるタイプのアートと、造形芸術のような、「鑑賞者の時間を拘束しないタイプのアート」の区別である。

このことは結構大きな問題圏を作っているように思える。このところ僕は「写真」に関する本や作品をよく見ているのだが、「写真」と「映画」の関係なんかも結構興味深い。
スチル写真と映画の関係、シンディ・シャーマンの写真が提起した問題、杉本さんの「映画をとった写真」。そもそも何故「絵画」作品が問題となるのか?

そんなことを考えているうちにまたちょっと違ったアイデアが湧いてきたのだが、それはまた次回にしよう。

じゃ、ね。

2017年10月 2日 (月)

花粉アレルギーか?目がボロボロ

いよいよ秋らしくなってきましたね。先日、自家用車(この言葉ってもう使わないのかな?)のaudi A3 を車検に出したんだけど、車検期間中の代車として、ちょっと洒落た車audi A1 が届いた。排気量は1リットルに満たない小さな車なんだけど、乗ってみると実に面白い。週末は特になんの用もないのに近所をドライブして回ったぜい。200キロ近く乗ったのに、油量計の針が8目盛のうち二つぶんしか動いていない。最近の車って燃費がいいんだね。その上、乗って面白い。シャカシャカよく走るし、座席の硬さ感や振動の具合もいいい感じ。その一方、使えないと思ったのはアイドリングストップ機能ね。エンジンかけ直すたびにアイドリングストップのoff ボタン押さなければいけないというのは実に煩わしい。
というわけで、今時はほとんどの人がやらなくなったと思われる「ドライブ」を楽しんできた一週間。そうこうしているうちに日時が過ぎていったね。

さて、ここからがブログの本題。このところ、たまたま目にとまった、 アランの『芸術の体系』を寝る前に読んでいる。ページを開くとすぐに眠ってしまうのでなかなか先に進まない。

(光文社古典新訳文庫『芸術の体系』長谷川宏訳 2008、 Alain : Système des Beaux-Arts Edition nouvell avec notes. Gallimard 1926)

ここで著者のアランAlainについて書いておこう。(この文庫版巻末に翻訳者長谷川宏氏による年譜と解説あり)

アランという名前でたくさんの著作を残したひとは、本名をEmille Auguste Chartier 1868-1951 , と言う人。終生リセの教員として、またjournalism に短文を寄せながら、あれこれ考えてきた人だ。巨視的にみれば、フランスの文化はこうした人文的な教養を持つ「理性人」によって担われてきた。ユマニストとも言えるかもしれないし。文章のスタイルに注目すればモラリストとも言えるだろう。(ちなみに僕が観察する限りでは、日本におけるモラルという言葉の「誤用」は只者ではないので僕のような一般人が何か言っても、もはや変えようもないので、もう諦めるしかないと思っている)。

ここからは個人的な思い出を語りたい。日仏で授業を受けた某教授(ごめんなさい、今ちょっとお名前を思い出せません)が、中級のレッスンで、アランを使っていた。アランの文章は言いたいことがわかるとすらすらと理解できるのだけど、その譬えとかがうまく理解できないと、とんでもなくわからなくなるという意味では、理屈ではどうすることもできない、「エスプリガロワ」の知識人だなあ、と思ってきた。そういう意味ではアランは某教授の示唆するとおりフランス語の理解としては「中級」レベルなのだけれど、なかなかにハードルは高いのであった。

さて話がどんどん外れるのだが、許してもらいたい。日仏時代を思い出して、また、哲学者アランのことを思うたびに、思い出すもうひとりの人物がいる。その方はお名前は、ムッシュ・メイエールという方である。この人こそ僕にとって、「教師とは何か」、「教師はいかにあるべきか」の見本みたいな先生である。僕の心の中には、永遠に「理想の教師」としてのムッシュ・メイエールが刻まれているのだ。

だがそのことを長々と書くには及ぶまい。僕は自分が教師になった後に、「理想の教師」を発見したのだ。
多くの人は若くして出会った師を「理想の師」と捉える。しかしどうなのだろう? それは自分の未熟さに見合っただけの「師」なのではないか?
よく多くの教師志望者が「自分が経験したよい先生のようになろうと思った」などと、恥ずかしげもなく言っている。多くは、自分の未熟さにふさわしい未熟な人間を「師」としただけなのではないか。そして、そのように思ったその瞬間にその人間は進歩することをやめたのではないか、そしてそのことに気づくという最小限の理性の使用もやめてしまったのではないかと僕は疑うのだ。
「愚」人の発見した「愚」グルをグルと思い込む馬鹿さ加減。なぜ気づかないのかなあ。

話を戻そう。ムッシュ・メイエールは、自分がとうてい及ばない、教師の見本であった。教師というものの、奥行きの深さをフランスの文化はいろいろに示してくれる。アランことエミール・シャルティもまた、リセの教師として、行けるところまで行った人だった。
しかしながら、その原理は単純である。デカルトと同じように、常に自分の理性を使って考え、考えて行動し、考えを記述し、そうして人生を進めるというそれだけの事なのだ。

そのアランの書いた『芸術の体系』の新訳を今読んでいて、それなりに発見があることをここに書きたいと思っている。

だがいつものように、本題に入る前にもはや充分に書いてしまった。これ以上書いても、もはや喜んでもらえることはないだろう。
それに今日のところ本当に言いたかったことは、「メイエール先生」という「固有名」をつぶやきたかっただけなのだ。アランをダシにして。そして、もうそのことは言ってしまったので、今日は満足してここで終わるべきなのだろう。

次回はアランの『芸術の体系』の中身を話したい。

だが、改めて思うのだが、人生において「いい先生」に出会えるのは、ほんとうに偶然でしかない。どんなに優れた先生であっても、それを理解できるだけの生徒の側の力量がなければいけない。かといって、生徒が「出来すぎて」いれば、もはや「先生」はいらない。

矛盾である。

さっきも述べたけど、愚人が理解する「師」は、「愚師」でしかない。しかしながら、この場合も最大のアポリアは、その人にとっては、その時点でやっぱり「師」であることは否定のしようがないということなのだ。

教育(パイデイア)という事実に関して、常にこうしたパラドクスがつきまとっていて、そのことがソクラテスという個人を永遠に「問題」とせざるを得ない理由なのでもある。

じゃ、またね。秋の気配が強くなった今、良い子のみんなは「目先の目標」を忘れずに頑張ってね。


2017年9月26日 (火)

Stefan Gronert : Conversation with Jeff Wall

Stefan Gronert と Jeff Wall の対話を読んで、ウオールの考え方がかなり分かったような気になった。出典: JEFF WALL Specific Pictures : Schrimer / Mosel 2016

この対話の中でウオールは 「絵画がタブローtableau という形式で垂直に展示されること、それを見る人々が(絵画を)独立した存在として認知し、かつ関わることができるという事実」をとても大切だと考えた、という。写真についても、(印刷された)写真集を(書物の形で)手にとってみるというよりは、タブローの形で見ることに意義があると気付いたというのである。さらに彼は、「そこにアーティストとして自分にもチャンスがあることに気付いた」と率直に語っている。もともと写真を始める前から、街で日常の風景をスケッチしてきて、それからスタディオでそれに手を加えて作品を作ることをしてきた。だから「スタディオ空間で仕事をすること」を当然のようにしてきたのだとも言っている。

「絵画が自律しているということは、自由社会において、私たちが市民として自律した生活をしているということを逆に照らし出しているように思える」とも語っている。
The autonomy of the picture seems to reflect back to us our autonomous condition as citizens in a free society,・・

こうした作家自身の言葉とグロネールによる前書きの文言を重ねると、ウオールの作品の意図がますますハッキリ見えて来る。

グロネールは前書きへの補足の中で、ウオール作品の特徴をつぎのように要約している。 まず第一にライトボックスの中にフレーミングしてカラー写真を提示していること。(ここからは私の説明ですが)これはみればわかることで、その巨大さ、バーティカルな展示、色彩の圧倒的な力など、ひとつの写真作品が(美術館などの公共空間で)「作品」として鑑賞されることが求められている。第二に、作品の referentiality が特徴だ、と。これはどういうことかというと、例えば Picture for Woman 1979であれば、多くの人が マネの油彩画「 フォリーベルジュールの女性」1882が重要な参照項目になっていることを見抜ける。そういう過去(特に19世紀絵画)の主要な作品への絡み合いが、ほとんど「自由」に作られたとみられるような作品を確固たる「構築物」にしている。それだけではない。写真作品の登場人物の配置には、「ステージ化」とでもいうような、物語の一場面であるかのような作り方がある。これもまた「参照項」のひとつでもある。これをグロネールは cinematographic approach と名付けている。これら二つの事柄を通じて、写真作品というもののあり方として、一瞥しただけで「なんであるか」が判明してしまうという、instant cognition を免れる、あるいは拒否することになる。それが結局はウオールの写真の「作品性」、「タブロー的」性格を作り出しているのである。(これをグロネールは時々masterpiece という言い方で示すこともあるが、ウオールはそういういいかたはしない)。

ここまでがグロネールの議論なのだが、こういうことを念頭に置くと、例えば、ウオールの作品、 A View from an Apartment, 2014-5 の意味が極めて明瞭に現れて来る。
この作品ではグローバル化する社会とドメスティックな領域の関係を探求するウオールの社会学的視点が強く現れているいることがわかると思う。しかもそこでは「窓」が作品のフレーミングの喩になっていて、インテリアのしつらえも「考え抜かれた」ものであることが明瞭になる。ドメスティックな領域と外界が「窓」である「作品」や資本制社会の生み出す「商品」(TVセットや雑誌、棚に置かれた造花など)を通じて相互反照関係が二重、三重に「入れ子的」になっていることが示されている。しかも室内の照明器具の反照が窓に映り込むことによって、その作品の意図はくどいくらい明瞭に提示されるのである。

またそもそも、この作品の第一のレファレンスはフリードによればドラクロアの「アルジェリアの女」1834 とみられる。

以上述べてきたように、ウオール作品が直接的な色彩や構成という感覚に訴える部分で人々の目を捉えることはもちろん、その上で、作品に込められたレファレンスの重層性、そのインテレクチュアルな性格、あるいは「批評的な性格」によって、作品の奥行きが生まれていることを分かってもらえればそれでいい。

今やインスタグラムやSNSを通じて「写真」が未だなかったほどに「過剰」に世間に提供されるようになったのだが、「過剰」の対極にはウオールが切り開いた写真の「作品性」を求めるやりかたもあることを改めて意識に載せることが大切となったのだと思う。

「過剰」と「シンギュラリティ」の関係、これがあらゆる表現芸術ジャンルに関わる問題系を考える手がかりを示しているのだ、と僕は思う。

2017年9月19日 (火)

Atlas : Gerhard Richter

ゲルハルト・リヒターに アトラスという作品がある。ヘルムート・フリーデルにより、書物にもなっている。2006 Thames & Hudson London
オリジナルは 2006 Verlag der Buchhandlung Walther König, Cologne and Helmut Friedel

写真、自分がとった写真、だれかがとった写真、写真をもとにそこに描いたり塗ったりして手を加えたもの、自分が描いたり塗ったりした作品あるいはその写真、などなどが ひとつのページに何個かづつ組み合わされて
(1)Album Photos1962-66から(783)Sils Maria2006 まで、783のナンバリングと題名がついた形のシートとして提示されている。

リヒターは1966年の段階で「作ることはアーチストの活動ではない」と指摘していた。表現のあり方はアートやアーティストの能力とは全く何にも関係がないのであって、問題は何を目に見える形にすべきかということなのだ、とも言っている。

783の作品は、写真であり絵画であり、コラージュであり、オリジナルであり引用であり、これらを通じて、まさに地表の全体が表示されているかのようでもある。

「何がグレートなのかって?絵葉書をコピーすることだってペインティングになるんだってこと。なんだって描かくことができる、なんて 面白いことか! 牝鹿や飛行機、王様、秘書。もはやこれからは何も作り出すことはない。ペインティングの概念に関して理解していることを全て忘れるんだ。色彩、コンポジション、空間の奥行き。そのほかみんなが知っていたり考えたりすることも。それは突然にしてアートの前提条件ではなくなってしまうのだから」(’93)

2017年9月12日 (火)

しかしなんだな

このところ調子にのって書いているうちに、なんかコメント頂いたり、去年の10月にアマゾンから180円くらい入っていたり、と「世間」から反応があったんで、びっくりしたというより、急に妙に人の目を意識するようになった。これは本来の趣旨に反するのだ。本来は「石が書く」的なイメージで始めたのに。どういう意味かは、昨年秋のブログをご覧ください。また、石が書くのであって、「石に書く」ではありません、念のため。

このところマイケル・フリードの写真論を途中まで読んだところで、ジェフ・ウオールのカタログ・レゾネ(2004年の展覧会の時に作られたもの)や、PHAIDONの写真集を注文したり読んだりして、すっかり遠回りしている。それに遅ればせながらロラン・バルトの「カメラ・ルシーダ」を読んだり(まだ途中まで)で、停滞が激しい。
最初見たときは、あれだけナゾ度の高かったウオールも、いろいろ写真集やらその説明など見ているうちに、だんだんとナゾが解けてきて、次第に自分的生活の中の「普通」に入りつつある。
この4月に職場を離れて、日々痛勤の義務がなくなったことを楽しんできたが、それも多少飽きて来て、次の刺激が欲しくなって来たところでもある。

また、ブルーノ・タウトの旅行記の一部を読み、なんであれ新鮮な出会いこそクリエイティブの始まりであることを改めて感じた。

いいわけや、傍証、もっともらしい理屈付けや根拠の提示など、たくさんだ。
こないだも、電車の中で、福永武彦の『草の花』の一場面が浮かんで、これこそ「アートとはなんであるか」ということに関する素晴らしいお話になるじゃないか!と思いついて、それをブログに書こうと思ったのに、なまじ時間があるから、つい、我が家で『草の花』の文庫本を探して見つからなくて、本屋で改めて買うのもばからしく、結局実家の中公版「日本の文学」をとりにいった段階で、最初の新鮮なアイデアを生かそうという気力が失せてしまったのだ。そんなくだらない傍証や言い訳のために時間を費やす自分の馬鹿さ加減に、嫌気がさしたというわけだ。
人生は旅だ。あるだけの材料で思うがままに書き、思うがままに屁でもすればいいのに。何か正しく書こうとか、だれかが読んでるとか、アマゾンから180円入ったとか、そんなバカなことばかり考えるようになったら、まさに「終了」だ。ダウンタウンの浜ちゃんみたいに「ハイ、終了〜」って感じね。
と、いうわけで、話を変えよう。昨日、ルノーのルーテシアという自動車(比較的安価でマニュアルの設定がある珍しい車)のようすを見ようと思って、ららぽーと横浜行くついでに横浜青葉ルノー販売店に思いつき的に寄ったんだ。そんでなんとなく聞かれるままに車歴のことなんか、「客」として話してたんだけど、あれこれ話してたら、お相手してくれた営業の為ガイさん(女性)の自家用車がなんと、MTのABARTH500(左ハンドル)だったとか言われて、ギャフンとなったわ。その後営業がらみでしばらく店のMEGANEのってたとか。なんだよ、若いのにすごいクルマのってるじゃん。自分が直近まで乗っていたマニュアル車といえば、軽自動車だからね・・。
ま、いつもとおんなじような感想ですまないけど、ホント「みんな、凄いね」。
今日はここまで、じゃまたね。

あ、そういえばネットでみたら福永の『草の花』、今でもそこそこ読まれてるみたいだね。自分的には、なんかバルトの punctum がありすぎて、『草の花』を取り上げようとしただけで、めまいが生じるくらいで、遠くにつれていかれそうで、なんかキビシイ。

2017年9月 1日 (金)

おととい蔦屋家電で

ラテ飲みながらブラウジングするつもりで、ボードリヤールの『芸術の陰謀』日本語版2006塚原史 訳 NTT出版、 ほとんど読んじゃった。本が手元にないので、適当なまとめになっちゃうけど、ようするに現代アートは中身がないのに中身があると称して「裸の王様」みたいになっているんだみたいなことをしきりに 述べている。あ、この本は雑誌のインタビューなどをまとめたものなのね。ボードリヤールによれば、現代アートは自らを凡庸であると称し、「無」にむかっているのだと。この本が作られたころフランスでも現代アートブームだったんだろうな。作品がすごい高い値段で取引されるという状況のはしり。ボードリヤールの指摘していることは、まったくその通りなんだけど、ボードリヤールが「批判的」に述べていることは、別に批判でもなんでもなくて、アートはそういうものを構造的に最初から持っているものなんだと僕は思っている。どういうことか説明しよう。アートは「美」に関連するのだが、何が美しいかは、ある意味主観的であり、「趣味判断」に属するともいえる。一方、もうすこし踏み込むと、美しいものは「稀にして困難なものだ」ということについては、まあそこまで反論はおきないだろうと思う。その上でどのような技芸が「稀にして困難」な「美」を現出するのかはそれぞれの時代のテクノロジーのあり方によって決まってくる。そのようなテクノロジーを可能にする知識や実践の水準が問われてくるのだとも言える。

何か「感性的」な美の直接性みたいなものは「ない」。それがあるように思えるのは反省(思考)が足りていないだけのことである。アートが人為的な構成物である以上、アートを通じて意識の志向的対象となっているものは必ずや人為的に構成された何かである他はないのだ。ただし、その構成作用は、個々の作品の製作者が構成するに留まるのではなく、作品をとりまく社会的文脈の中で構成される。仮にそのような社会的文脈を「アートワールド」と言うのであれば、「アートワールド」におけるパフォーマンスがアートの質を決めるのだ。
本来はそのことは(多分)ボードリヤールが自身で述べている事なのではないか。価値の実体のない信用通貨が価値を代理表示しているうちに、ほとんど価値そのものと同化してしまったことはだれでもわかっている事だ。そもそも「実体」なんてものは「もともと無かった」し、そんなものを求めるのはただの「ロマンティック」というものなのだ。順番が逆になっているのだ。
「王様は裸だ」と言うことについては、誰かがそれを言った時、みんなが「王様は裸だ」と笑いだす事が大事である。それが起きる、つまりみんなが同調するのは、「真実」への確信が共有されている、ということであり、それが可能なのはロマンティックな「おとぎ話」だからなのである。同調者がいなければその指摘は宙にすいこまれるだけだろう。
少なくともモノを作る側から言えば、いかなる作品であれ、それらは苦心して「構成」されるものであり、それ以外ではない。ただし、「構成」するためには、それが理解されるための共通のコードがあること、さらに広くは一定のランガージュのようなものが背後にあることが大事なのだ。アート言語の再解釈と再構築がアートの本質をなしている。
だとすると、今更ながら「アートの陰謀」などと言うのも、世間から引退した親父の繰り言ならともかく、あまりまともには受け取れないかと思う。ボードリヤールがインタビューを受けていたちょっと前にフランスではGuy Debord の La Société du Spectacle の第3版が発行されたばかりでちょっとブームになっていたこともあり、対話のなかでそんな話題にも触れている。あるいみ現代アートの置かれた社会的文脈というかアートの社会へのインパクトと言う点では、その大きさは限りなく小さくなって、政治や社会に対してスペクタクル的なインパクトを与えることはなくなっていることは間違いない。その一方でアートが「価値」保存の対象として、世界中で高値で取引されているのはずいぶん皮肉な話だ。今や世界中の資本家が「困難にして稀な」アート作品を手に入れようと、つまり「美」そのものを我が手に入れようと、激烈な競争を繰り広げているのではある。いまやアートは貴金属同様、財貨の一部として資本家の愛玩物の地位に甘んじているのだ。

今日の話は、前回の「偶有性」の話につながる話として書き出したのだけど、そこまでいかないうちに終わってしまうのだ。読んでくれた人、ごめんなさい。
どんな偶然の話か念のため触れておくとこう言うことだ。「蔦屋家電」で席をたってボードリヤールの本を棚に戻した後、岩波新書赤版のブルーノ・タウト『日本美の再発見』1939 が棚にあるのを偶然みつけたのだ。(こちらは購入しました)。ブルーノ・タウトと桂離宮の「美」の発見というのはよく知られた話である。
これに関して、井上章一氏の『作られた桂離宮神話』1986 という本がある。結論を先に言ってしまうと、井上氏の議論はボードリヤールが「芸術の陰謀」という時と同じ問題の立て方をしている。

「神話」はだれかが作ったのであり、井上氏の本のタイトルは「同じ意味内容を繰り返している」だけなのである。そこになんかスキャンダルくさいオーラを持たせようというあたりの構成がまったくボードリヤール的だ。 つまり今日のここでの話のあたまにあったように、批判めいた感じがするけど全然批判にはなってない、むしろ当たり前のことを言おうとしている。ということになる。

直接的な「美」なんて存在しないし、そういうのがあるような気がするのは多かれ少なかれ「ロマンティック」なマボロシなんだから、井上氏が「桂離宮を見てもちっとも感動しない」のは当然「ありうる」ことなのであって、別に井上氏は「自分は亡命者だ」なんて思う必要はない。むしろそんな当たり前のこともわからない周囲の方々の知性の水準を疑うべきなのだと思う。そう言う意味では「作られた・・・」はあまり買わない。対して、タウトの「再発見」は面白い。なぜ面白いのかについては次回だ。なにせ今日は十分長くなった。タウトの話はまた後にしよう。それにタウトの話はこのブログの基本線である昭和10年代文化論に直結してくる話題でもあるのだから。

2017年8月31日 (木)

極極「弱いつながり」について

あぶなく忘れてしまうところだったが今思い出したことがある。つい二、三週間まえのある日、たまたまテレビをつけたら、市民大学講座の番組らしいものがうつった。黒茶っぽい皮膚の色のどこかの文学者が話しをしていて、「文学にとって大事なことは、関係というものであって、どんな民族がどうしたとか、どんな言語がどうした、ということではない。relative、「関係性の文学」 が大事なのだ」みたいなことを話していた。

それを聞いて「なるほど、その通りだな」、と思った。普段から日本の昭和10年代思想がどうしたとか言っている自分がいうのもなんだか矛盾したことを言っているみたいに思うかもしれないが、文学に限らず、社会や芸術とかについて何か考えるときに、別に日本がどうしたということを特別に求めているわけではない。手元にある材料、つまり人とか本とか、出来事とかが、日本のものばかりしか知らないので、どうしたって文学を考えるにしても社会を考えるにしても「日本」のことばっかりになってしまうのであって、何か考えるときに、僕が特別に「日本」にこうなってほしいとかということに入れ込んでいるわけではない。ついつい「日本」のことばかり話題にしてしまうのだが、自分の本意としては、何か「日本」を国際社会の中で優れた国家としたいとか、よくしたいとかといった「上から」目線で言いたいことがあるわけではない。そもそも僕がいようがいまいが「日本」はあるわけで、それはそれで立派にやっていることなのであるから、僕のようななんでもない人がそれについて「あれこれ」言えるわけもないではないか。ただ、つい、枕詞的に「日本が・・」みたいに話してしまうことはよくある。
さっきの文学者の話を聞いて、「その点についてあんまりウカツではいけないな」と思ったのではある。

考えるまでもなく、身の回りにはいろんな文化の生成物が溢れている。着ている洋服はあらかた中国とかアジアの国でできたものだし、インターネットラジオではこのごろイタリアのRadio Uno ばっかり聴いている。知人も「ニホンジン」ばっかりだと思っているが、もしかしたら僕が知らないだけで実はアジアの出身の人が含まれているのかもしれない。こないだも政治家が台湾のナショナリティを持っていることが話題になっていた。

こうやって何か東京の一画にある狭い部屋で書いている自分にとって、「つながり」(関係性)というのがどんな風にあるんだろう、とあらためて考えてみると、実はいろいろあるんだな、と思う。twitter では合衆国大統領の感想も即座に知ることができるし、その対立候補だった人(クリさん)や、民主党の候補者選びでその対抗馬だった人(サンさん)の意見もそこですぐに読むことができる。
もちろん、それらは相互的な関係ではない。こっちは向こうの発言を聞くが、むこうがこっちの発言を聞くわけではない。そもそもそんな片側通行の関係をか「関係」と言えるのかも定かではない。しかしよくよく考えてみると、だいたいの人間関係なんてのは「一方通行」的ではないのか。会社のボスは、君に対して「お前はクビだ、 You are fired ! 」と言えるけど、君からは言えない。それなのに、なんか「相互的な」関係があるように思っているだけなんじゃないのか。「同じ会社に勤める同僚じゃないか!」みたいにいうかもしれないけど、一旦会社を離れてしまえば、実はなんの「関係」もなかったのではないか?
そう考え、あらためて「関係性」のあり方というのを冷静に考えてみると、意外にも「関係性」みたいなものって少ないね、と思う。「家族」とかはとりあえず別にしておくよ。それから「小学校時代の友人」みたいなものも「過去」の関係なんで、とりあえず除いておこう。そうすると、現在という時点での「関係性」としては、むしろ毎日通る商店街でよくものを買う店員さんとかとの関係みたいなものが一番リアルでかつ確かなものにも思えてくる。あとは混んでる電車でぶつかって「不愉快」だと思う名前も知らない人との関係ね。これは感情的にはとても強い関係かもしれない。でもその人と二度とあうことはないだろうけど。それに続いて、メディア現れる政治家とか芸能人とか。でもそういう人との関係は一方通行的だよね。関係性ってなんだろう?
ここで参照しようと思ったのが 東 浩紀 という人の『弱いつながり』2014幻冬社 の議論なんだ。

その本では、海外旅行とかして、たまたま出会った出来事とか知識とかというものが、偶有的な「弱いつながり」でありながら、個人にとって極めて重要なものとなりうることを論じている。

これはその通りだと思うんだよね。chance, accident , もうすこしメンタル強度をおとした言い方をすれば、「偶有的」contingency なものこそ、人生にとって重要なんだろうと思う。

今日はその弱いつながりの連鎖について何かかこうと思ったのだが、もう疲れちゃったのでやめる。ただ、偶有的な連関というものが心的機制の中で占める位置は意外と大きいのだと思う。

例えばさっきまで沖縄の共産主義政治家の映画の話を書いていたけど、それを書きながら、ずっと心にエコーしてたのは、イタリア共産党の創始者にして、活動のほとんどの期間を獄中で送った、あのアントニオ・グラムシのイメージなんだよな。
グラムシの論説の中で有名なものの一つがイタリアにおける「南北格差」を論じて、共産主義運動の中でどのように問題化していくか適切な方向を示したのが  Il problema meridionale だ。グラムシは北部の人間なのだが、そこで適切な方向性を打ちだせるところがグラムシのビッグなところなんだと思う。それとはもちろん別なのだが、ヤマトンチュの政治家が「日本」という政治の舞台でポリティカリーに適切であろうとするときにオキナワはどのように扱われるべきなんだろう、ってこと。そこがきちんとできるかどうかは、とっても重要なんだろうな、ってなんとなく思う。それだけのことなんだけどね。

「弱い弱いつながりを温める」という話題はまた改めて。







瀬長亀次郎の沖縄

おととい、『米軍が最も恐れた男 その名はカメジロー』見た。TBS制作のドキュメンタリーをもとに作られた映画。キャスターをしていた佐古忠彦さんが監督。坂本龍一、大杉漣、山根基世さんなど参加の作品だ。沖縄問題まったく無知な私だが、面白かった。何と言っても映像資料に記録された瀬長亀次郎1907-2001の、それぞれの場面での様子が、いちばんよかった。痩せて骨ばった顔つきに、その人の人生がそのまま現れているように思えた。まさに「不屈」な面構えと言えるのではないか。見ているだけで何かインスパイアされるものがある。
また、前沖縄県知事であった仲井真氏の父親が沖縄経済界の大物で、その線で、米軍統治下の政治に関わっていたことなども触れられ、なるほどなという感じだった。
瀬長をめぐる出来事でもっとも感動的だったのは、瀬長が那覇市長となると、米軍が琉球銀行を使って資金を途絶させたり、水道インフラを使えなくさせたりしたのに対して、市民が「自ら納税に訪れ」市政を支えようとした、というエピソードだ。これこそ「不可視」の共同体を作動させるという意味で、政治の本質をあらわしていると思える。

その後、Wikiをみると、沖縄人民党と日本共産党との関係など、微妙な問題があることがわかった。興味のある方は直接調べていただきたい。Wikiの文章を引用すると、次のように記されている。
「人民党時代、瀬長は共産党員であることを一般には一切秘匿し反米市民活動家としての立場をとっていた。那覇市長時代も瀬長及び人民党と日本共産党との関係は一切秘匿されていた。また、瀬長の活動を記録しているとしている記念館「不屈館」においても、米軍統治下に非公然の日本共産党員であったとは一切認めていない。云々」

そんなこともあって瀬長についてあまりふれられなかったのかなとも思ったが、実は1998年に岩波が映画『カメジロー 沖縄の青春』を作っているし、2005年には小林よしのりも共感的に触れているんだってさ。

たった今Wikiの最後の記述で云々、と書いたところには
「上述の映画やマンガにおいても、瀬長及び人民党による島ぐるみ闘争が日本共産党琉球地方委員会の指導下にあった闘争であることを描いていない」とあるのだが、まあその辺がどうなっているのか、今は知りたいとは思わない。さしあたっては 現在の状況との関連で、こういう映画を作った製作陣に対して、「なんだマスメディアがその気になってきちんとやれば、やれるじゃんか」と思ったことを書いておこう。がんらい大メディアはいろんな資料映像をもってるんだから、いくらでもやれるはずなんだよな。それをやらない今のメディアが酷すぎる、サボりすぎてるってことだろうな。
おとといのユーロスペースでも上映後の誰もいないスクリーンに向かって拍手があがったぞ。
佐古さんてテレビの画面ではおとなしそうな人に見えたけど、なかなか頑張ったじゃないか。

«はるばる四街道で林道郎氏の講演を聞く

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