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「色男」というジャンル



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2018年2月15日 (木)

近況など(絵画という制度)

さてこのところ更新頻度が下がっているが、特に理由はない。今興味を持っているのは、あいかわらず Michael Fried の問題意識を知ること。著名な批評家の割には日本では翻訳や紹介が十分ではない、ということらしい。まえにこのブログでも触れた通り、フリードは美術愛好家であり、評論家であり、同時に詩人でもある面白い人物だ。

彼の『なぜアートとしての写真が、かつてないほどに問題なのか』、を楽しく読み終えたところでもあり、先日 Absorption and Theatricality ; Painting and Beholder in the Age of Didorot 1980 Chicago UP も購入したので、さらに読み進めていきたいと思っているところだ。


それとは別に、20年近く前に、横浜で開かれていたセザンヌ展の際に林道郎氏(現上智大学教授)の講演を聞いた時の自分のメモ(『青空』20 、2001 開成学園 )に書いた内容をendorse するため、ベルナールやガスケの本をいろいろ調べていることもあり、あらためて「絵画という制度」の展開を興味深く探索していきたいと思うきょうこのごろ。

なんでもない Taschen の入門的な記述からもいろいろと刺激をうけているところでもある。「西洋絵画史」というような学問分野があるのかないのかしらないが、もともとは20世紀初頭から大変革をきたした西洋絵画の歴史も、セザンヌどころか、マネにおいてすら、驚くほどの制度内の革新がみられることにあらためてびっくりしている。へんな話、西洋絵画の500年の歴史とは、そのまま、変革の歴史なんじゃないか、みたいな感じもする。今のところマネで止まっているけど、次はクールベに、そしてディドロの批評にまで戻って行かないわけにはいかない。おそらくはフリードの批評が導きの糸となってくれるだろう。


Il faut être absolument moderne !
断じて近代的でなければならぬ(常に今に寄り添っていろ)

というランボーの言葉があるが、西洋絵画の歴史は常にそのような変革を示してきたのだ。
我々をとりまく表象文化の領域で、そのような激烈な問題意識を保ち続けてきたジャンルはあるのだろうか、また自分がそのような課題性を引き受けることはできるのか。そのような問いかけすらなすことなく「自分はアーティストだ」とか「オレは文化人だ」みたいなことでいいのか、ということはある。いいわけがない。そのダメさ加減、停滞のサマは日本の30年代40年代思想を探索する中でイヤというほど理解したことである。(近代の超克どころか近代すら経験していなかったというアイロニー)。

もちろんArthur C. Danto が指摘するように、今や西洋500年の絵画の歴史は「終わり」を迎え、なんでもかんでも「アート」とすることが可能になったのではあるけれど、絵画という制度を通じて、あらためて「歴史」を推進している中心にある力のようなものを感じているところでもある。

なにを言ってるのか理解してもらうことは難しい。僕の探求は常に新たに始まっていることを理解してもらいたい。

また、諸般の事情により皆さんのお手元に届かなかった『部屋・X・喪失』1989 を再刊できれば、と画策もしているけど、まああてにしないでもらいたい。

じゃ。

2018年2月 2日 (金)

HATO詩 2018-02

題 「至らなさ」について

1
世の中には写真が溢れている。
個人が撮った大部分の写真はつまらない。
どうしてつまらないかというと、それが「至らない」からだ。
どういう意味で「至らない」か、というと
当事者(写真を撮った人とか写っている人)にとっては
一枚の写真に明らかな「意味」を読み取れるけど
第三者にとっては、ほとんどの人にとって意味がない
意味がないのは、その写真が「使えない」からだ

2
写真はほとんど「私的」に使用されている
旅先の思い出や 美味しかったものの記憶
家族の歩み

そんな オモイデ や キオク のいちぶとして

だから他人がとった写真は大部分
つまらない

それでも ちょっと綺麗だったり、とか
ちょっと欲望を刺激するようなものがあれば

そういう写真が オモシロイ
ときもある

花が好きだから 花の写真が
身体が好きだから だれかの筋肉の写真が
自動車が好きだから 自動車の写真が
オモシロイ

写真は被写体を提示し 被写体となった具体的なモノへの興味が
見る人をひきつける

つまるところ 写真はメディアであって
メディアそれ自体を楽しむわけではない


3 (少し話題はかわりますが)

世の中にはコトバが溢れている
コトバは役に立つことが多い

「醤油をとってくれ」と言えば醤油がくる
「醤油をとってくれ」といったらアイスが来た ことはない

多くのコトバは意味がただちに伝達され(伝わらなかったりもして)結果をもたらす

コトバもメディアであって
コトバというメディアそれ自体に意味があるのではない

だから 何か コトバを並べたからと言って
すぐに誰かの役に立つ ことは あまりないだろう、
でも

誰かの欲望を刺激したり、誰かの好むものを提示できれば
誰かに喜んでもらえる ことはある


4
詩が好きな人がいる
詩的言語とか言いたい

法律のコトバが好きな人 プログラミング言語が好きな人
フランス語が好きな人
それと同じように
詩のコトバが好きな人がいるだろう

例えばこないだ読んだ吉増剛造のインタビューが書かれた本

これはオモシロイ

大部分は話し言葉なんだけど、詩人が話すとフツウの話し言葉ではない

詩的な話し言葉
である

そういうことが時々あるんじゃないか

ハイデガーがドイツの詩人について書いた本
その本が詩的言語で書かれている
ような

ニーチェにも時々そんなのが


5
スーザン・ソンタグの本を読んでいて
写真の「至らなさ」が
書かれてる

その「至らなさ」は 詩的言語と
共通している

その理由は、単純

メディアとなっているものそれ自体の特性として、意味を十分に伝えられないようにできている

詩のことばは、ことばかずが決定的に少なくて
写真は 一瞬を切り取り 空間・視界の一部しか表現しないから

どちらも説明不足もいいとこ

写真の意味が第三者に伝わるためには
プラスアルファのコトバによる説明が必要だったり

同じように詩的言語もプラスアルファの説明を要する

のか?

まてまて


世の中には 説明不要な写真があるじゃないか
良い写真が説明抜きに人をとらえるように

良い詩は コトバの一閃で
人をとらえるのではないのか

そんなこともあるのではないか

だからどうした、と言われてもこまるが


2018.01.31
HATO

HATO詩 2018- 01

題 「リタイアした後は」


リタイアしたんだから、いっしょにゴルフしよう、とか

ちょっとお酒でも、とか

クラス会とか、同窓会とか、

さそわれても ぼくは行かないよ


集団とか仲間がキライなんじゃない

ひとりでいられる限り
ひとりでやれる限りは
ひとりでやりたい

これは好みの問題だ。

しかし一方で ぼくは言いたい。


君たちが人を愛すること、世界を愛すること

その愛の方法はそれしかないのか?

隣人を愛することと同じくらい あるいはそれ以上に
他者のために祈ることはできないのか? 、と


いままでに会ったことのない誰かへ

思いをめぐらす余裕がやっとできたというのに!

2018年1月19日 (金)

吉増剛造の「自伝」を読む!

今回のシャビもタダだった。老人歓迎日のためである。有難い話である。申し訳ないというような面もある。だからせめて別のところでお金を落とすべきだ、と考えた。併設されているNADiff の店で何か買おう、と行く前から決めていた。NADiff の館内分店に置いてある本は、普通の本屋にはなくて、一方僕にとっては興味津々の本ばかりである。結果、立ち読み時間が長くなり、あれもこれも欲しくなり、結果、どれも買わないということになる。今回もそうなりそうだったが、あらかじめ何か買おうと思っていたので、そのココロの約束は果たさなければならない。結果買ったのが、 吉増剛造『我が詩的自伝 、素手で焔をつかみとれ!』という講談社現代新書である。(2016.4 講談社現代新書2364)

吉増剛造さんの詩については、立ち読みしたことしかない。なんと言ったらいいか、こう言っても何も伝わらないかもしれないが、とても「プロな詩人っぽい」人と思ってきた。生涯「詩人」として活動してきた人という感じ。立ち読みした本の感じでは、めっちゃ尖った字を書く人で、詩のスタイルも霊感に満ち溢れているような、そんな人である。アメリカやヨーロッパでも詩人として大学で講義したり、それから日本ではアーティストの友人が多くて、そして一番の精神的類縁者は折口信夫だ、みたいな感じだな。

『我が詩的自伝』まだ読み始めたばかりだけど、これは2016年3月に林浩平さんを対談相手として話したことを林さんが再構成したものということらしい。2016年というのは年譜では吉増77歳ということになる。77歳にしてこの語りっぷりはすごいね。そして、易しい言葉でざっくばらんにいろんなことが語られているけど、どっからどう見ても、「詩人」そのものだな。考え方、捉え方、そしてこの本もまたひとつの詩作品のようなものだ。
しかしながら、この本にあらわれた吉増は、ある意味「全身詩人そのもの」ではあるけれど、さっき上に書いた「霊感のカタマリ」とはまただいぶ違う感じの人なんだな。そもそも上に書いた吉増のイメージは、その昔、出たばかりの『オシリス、石の神』を東京堂書店の詩の本コーナーで立ち読みした印象から生じたものなんだな。そのころは暇さえあれば立ち読みばかりしていたから。『オシリス、石の神』は巻末の年譜によると、1984年に思潮社から出ていて、吉増45歳の時の作品。吉増のキャリアの中では一番?盛り上がっていたころの作品なんじゃないかな。とにかく意表で、僕にはとてもいけないところにいってしまっている人という印象になったわけだ。

話は変わって。シャビのNADiff でいろいろ本を物色していたんだが、その日は老人歓迎日だったせいか、お店にもそこそこの数の老人が詰めかけていた。と言っても店も小さいし、客の数もしれている。ましてや物を買って帰る人はほとんどいない。店番をしていたのは若い女性で物静かな感じの人。カウンターの白い机の上でしきりにコンピューターの画面をみている。
するろ、ある老爺がその女性に「ナントカ」というタイトルの本は置いてあるのか、みたいなことを尋ねてきた。「そんなに広い店でもあるまいし、自分で探せばいいじゃないか、これだから老人は・・・」的なことを内心思いながら立ち読みをしていた。やがてその老人、店のコンピューターで調べてくれみたいなことになって、店番の子はその人に付き合ってコンピューターを支払いカウンターに移動させて2人でコンピューターの画面をのぞいて、あれこれやりとりしていた。ややあって、意外とあっさりとその老爺はお目当ての本を発見したようだった。そんなことがあってまたしばらくすると、 こんどはまた別の老爺の二人連れが件の店番の娘にあれこれ話しかけていた。支払いに使ったカードが読み取れなくて、それがICチップがどうしたとか揉めている。「そんなのたとえば番号を打ち込むとか別のやり方でできそうだし、現金で払ったっていいじゃないか、・・これだから老人は・・・」的なことを思いながらなおも立ち読みをしていたわけだ。
さんざん立ち読みしたあと、そろそろ外も暗くなってきたので帰ろうと思った時、財布を一階のコインロッカーに置いてきたことを思い出し、いったん取りに戻った。そして、再びお店にもどって、吉増の本を購入したのだ。
ところが、どういうわけか、黙って本を買えばいいものを、ふつうにお金を払って本を受け取った後、不肖ハヤカワ トオル
「NADiffって何の略なんですかね」
などとその女性に話しかけているではないですか!
しかるに、答えていわく、
「さあ〜、何の略ですかね〜、略じゃないんじゃないですかねー」
と、バイトならではの冷たいお返事。

その後帰る途中で思ったものだ。なんでオレは話しかけたりしたのだろう?って。
答えはこういうことではないのか。それは「オレがジジイだからだ」。

しかし、その一方でこうも思ったのだ。彼女にはジジイが話しかけたくなるような何かがあるのではないか?と。

実は特定のジャンルの人から話しかけられやすい人というのがあるのではないか、と。
この場合は高齢男性というジャンル。
彼女にとってはジジイから話しかけられることは普段からよくあることだとすれば、彼女がそのような特殊な能力に気づくことはないだろう。店番をしていれば、そのくらい話しかけられることは彼女は普通だと感じているかもしれないのだ。

先日、新年早々の寒い夕方、近所の公園の川沿いの細道を家内と散歩していた時、木立の中でハトが歩いていた。なんとなくそれを見ていたら、突然前からきた高齢の女性に話しかけられた。
どうやら多摩川にはたくさん鳥がいて、同じ東京でも、(彼女は下町に住んでいる)こちらは(彼女の田舎の)千葉みたいなもんだ、というような話である。そんな話がひとしきり続いた。それにしても不思議なのは、どうして彼女が私たちに向かってそのような話をしたのか、だ。(その細い道を通行しいる人はそこそこおおぜいいた。たまたま私たちが「鳥を見ていた」ことが彼女の中で、なにかのトリガーを引いたのだろう。この都内の公園が「イナカ」であるという判断は、一般的にはあまり適切な判断とは言えない。それにもかかわらず、彼女が私たちにむかってそのようなことを話したのはなぜなのか?

その時にも、私の中のある部分が彼女の中にそういうことを言わないではいられないココロの動きを私が与えてしまったのではないか、という何か自分の人格の中のまずい部分を見るような気持ちがはたらいた、ということがあった。

だからなんなんだよ、と言われても困るが。

W. Eugene Smith ; A Life in Photography ( 東京都写真美術館)

1月17日(水)東京都写真美術館で「ユージンスミス」見てきた。Eugene Smith 1918-1978 は、僕の中では水俣病の患者に寄り添い、また告発する作家という位置付けで、どちらかというと社会的Activistみたいな感じの人、みたいな認識だった。今回、「生誕100年」ということで、その業績の全体を150点ほどの写真で構成する展示を見て、いままで自分が無知で捉えることのできなかったひとりの表現者の姿を発見することとなった。

というわけで、今回の展示を見てユージン・スミスが長いこと『ライフLIFE』というアメリカの写真雑誌で「フォト・エッセイ」というものを発表してきたということを知った。(これはまた別の話題だが写真というものを考える上では、この雑誌はきわめて重要だと思う。)
そして水俣の取材はその長いフォト・ジャーナリストとしてのキャリアのほんの一部分であることも知った。スミスの人となりについて、展示は特に詳しい説明があるわけではない。対日戦に従軍して大怪我をしたことは書いてあったが、水俣で襲われて大怪我をしたことなんかは触れていないくらいのものだ。
スミスの立場は報道写真家とかフォト・ジャーナリストという風にいえるのだろう。そういうところで作品を発表している。スタートは対日戦で、サイパン島での日本人の民間人が逃げ惑う様子とかの「決定的瞬間」みたいなものも撮っている。また沖縄戦で負傷したアメリカ兵士の様子とかも。しかし戦後は工場労働者とか、アメリカの小さな町で働く医師や助産婦の生活とか、スペインの寒村で生活する人々の様子とか、あるいは公害病の患者さん。そういう人の生活に寄り添って、時間をかけて写真をとるというスタイルとなった行く。これがフォト・エッセイということなんだろうか。『ライフ』誌の求めるものがそういうスタイルだったということなのだろうか、その辺もよくわからない。もちろん民衆生活に寄り添うだけでなく、当時すでに有名だったシュバイツアーのランバレネでの生活を報告するというライフ誌の仕事なんかもある。
作品のスタイルについていうと、ほぼ全部がブラック&ホワイトの写真。恐らくは大量に撮ったネガの中から、時間をかけて最良の一枚を現像しているのだろうと思うが、くっきりとした陰影に浮かび上がる人々の表情を非常に美しく切り取ってみせる。スペインの治安警察の人はいかにもそれらしく、何か厳しさと誇りみたいなものを表していていかにもスペインの風土からしか生まれないような人間の顔がそこにある。アメリカの片田舎で働く医師が怪我をした子供を診察するときのなんとも言えぬ表情とか。スペイン寒村の老父の通夜の席に集まる女性たちのさまざまな表情とか。
つまりスミスは人間の表情、顔を捉える作家だとも言えそうだ。顔にいろんな社会関係が端的に表現されているのを捉えるのだ。そう思ってみると、サイパン島での逃げ惑う女性と子供の表情も、さっき「決定的瞬間」みたいに書いたけど、この被写体となった人物の置かれた立場をとてもよく表しているように思える。それは自分のせいではなく、圧倒的な力の前になすすべもなく逃げ惑う「弱者」の表情でもある。そこには圧倒的な力である「アメリカ」と、その力に直接にさらされた一般人という関係が「物」のように表されているのだな。アガンベンの「ホモ・サケル」風に言えば「剥き出しの生」の姿と言ってもいいかもしれない。

「顔」があらわす言葉には尽くせない複雑微妙な襞、それは「ココロの襞」と言った単純なものではなく、むしろ「社会的諸関係の襞」のようなもの、それをスミスはくっきりとした白黒画面の中に位置付けるのだとも言える。

そうしてみると水俣での胎児性患者を捉えた写真の意味もくっきりと見えてくるようだ。それは患者さんの表情を通じて、その母や家族との関係、患者さんと会社関係者の関係、マスコミの関わり方というもの、そういう色々な社会的関係の襞が浮かび上がるような、そういう写真なんだな。スミスの写真のpunctum ( バルト流で)は、まさにうつされた主体の表情、表情と言っちゃうと伝わらない、むしろ「顔の物質性」がそのpunctum の中心にある。










2018年1月 8日 (月)

正月2日は「東京都写真美術館」、旧シャビに行こう

1月2日に東京都写真美術館、TOP行ったわ。いまはシャビって言わないんだね。でもTOPなんて言っても全然個性がないから、あんまり流行らないんじゃないかね。だいたいアートの世界でトップだどうだという発想がいただけない。
ま、それはともかく正月に行く、というのは、その日は3フロアのうち2フロアで入館料がタダだからだ。ヨーロッパの美術館だと無料開放の日が結構頻繁にあったりする。日本では少ない。サービスをよくするより金を取ることばっかり考えて、美術館本来の役割を考えようとしない。地方によくある箱物の展示はまさにこれだ。中身がないのに金だけ取ろうとするから結局はだれも来なくなる。シャビは、その点では結構頑張っていた。だから前はエビゾウ(恵比寿映像祭)の時も結構無料イベント目白押しの時があった。今はどうかな?
いずれにせよ1月2日は無料の上にお店(NADiff)もやってるし、一階のホールでは雅楽の演奏もしてくれる、といいことづくめ。
もちろんタダだから行く、というだけではない。自分としては今まで「アートとしての写真」ということに,そこまで強い問題関心を持ってなかったが、マイケル・フリードの写真論読んで以来、「にわか」で、いろいろ見たくなったということもある。
2階のフロアでは「日本の新進作家vol.14」ということで5人の作家の展示があった。片山真理さんの作品は、展示パネルの巨大化、バックライトの使用、インスタレーションとの複合など、ツボをおさえた手法。そして義足をつけた自分の身体を被写体とするなど、訴える力は強い。武田慎平さんの作品は、カメラレンズを通さずに自然作用による感光、その出来上がった感光体を物質(モノ)として提示するというところに問題意識を感じた。鈴木のぞみさんの作品は具体的な「窓」とか「鏡」を利用して、今はない景観の記憶を定着するなど手法の面白さを感じた一方、そこに浮かび上がる被写体のあり方については、もっと攻めてほしいような感じもした。
3階のフロアでは「アジェのインスピレーション」と題して、アジェ Eugène Atget 1857-1927 のプリントとアジェを紹介したベレニス・アボット、その師であるマン・レイの写真などが展示されている。Walker Evans や Lee Friedlander、そのほか日本の作家のものなどもあり、豊富な展示で楽しめた。しかしながらその一方で、アジェのインスピレーションの本質が明かされているか、というとそうでもないところに限界を感じたのも事実。今回はタダで見たが、これで金が取れるかというとかなり疑問だ。学芸員にはもっと頑張って欲しい。手元にあるものをタダ並べればなんとかなるというものでもあるまい。
今回無料になっていなかったユージン・スミス展はまたの機会に。

写真美術館見学のあとは目黒に歩いて行き、目黒不動と大鳥神社参詣。



2018年1月 4日 (木)

デュシャン詣の思い出(5)

2001年8月ニューヨークのグッゲンハイムでは、フランク・ゲーリー展をやっていた。この建築家を知ってがぜん建築に興味が湧いた。

この展覧会では、ゲーリーが建物を構想するプロセスがわかるようになっていて、とても面白かった。簡単に言ってしまうと、まず最初のプランは紙くずを丸めたみたいな形をしていて、それが次第に具体的なプランに進んでいくのだ。それまで建物とか設計というと、なんか四角い箱に何を詰め込むか、みたいなイメージしか持っていなかったのだが、全く違うアプローチがあることにびっくりした。
そして、次はゲーリーの実際の建築物を見たいという要求が高まり、2005年にベルリンに行った際に、ブランデンブルグ門の脇のDG Bank Headquarter を見にいくことに繋がるのだ。
もうひとつとても気に入ったのはゲーリーの自宅の増築だ。ここにはゲーリーの発想がとてもよく表れていて、自分の家もこんな感じでいじれたらいいな、と思うようになった。
それから、ホィットニーのニューミュージアムではウイリアム・ケントリッジを見た。これも良かった。

そして、メトロポリタンの膨大な収蔵品も隅々まで探索した。

というわけで、思い出話を書いて来たが、この旅行の際の写真やメモなどがどこに行ってしまったのか、全く見つからない。ハーシュホーンで買ったクリフォード・スティルの目録とMOMAで買った特別展の目録とメトロポリタンのガイド本が本棚に入っているだけなのだ。
もともとはフィラデルフィアのデュシャン作品を一度、現物を見たいという、「聖地巡礼」のつもりの旅行だったが、結果的には、「アメリカ人にとっては抽象表現主義は過去のものでしかない」という事実の発見と、フランク・ゲーリーの発見というお土産を得たのだった。
そして文中にも書いたように、ゲーリー建築のひとつとであるベルリンDGバンク見学が、次の2005年のベルリン訪問(目的はどちらかというと「ブレヒト詣」)の楽しみの一つにも繋がることになる。今後書くかどうかわからないが、ベルリンではミースの建築やスケッチを見てますます「建築」の面白さに目覚め、またベッヒャー夫妻の写真展なんかも見ることになるのだ。
また、ニューヨークについてすぐMOMAの切符の列に並んだ時、谷川俊太郎グループがしたのに習って余計な切符を購入したので、あまりいきたいとは思っていなかったWTCのツインタワーに登ったのも、旅行から帰って二週間もしないうちにそれが崩れるのをテレビで見て不思議な気持ちになったということもある。

以上、2001年8月の「デュシャン詣」の思い出をあれこれ書いて来た。そのココロは、まずは巡礼をしたという事実のご報告。そしてさらに皆さんに言いたいことがあるとすれば、それは次のようなことだ。巡礼の本質は目的地に到達することばかりでなく、むしろその探訪のプロセスで新たな出会いがあるというところが大事だということ。いやそのことの方が、巡礼の目的地に至ることよりも、ヨリ意味があるのではないか、と。

そういえばブニュエルの作品に、『銀河 La Voie Lactée』というのがあったな。これはサンチャゴ巡礼の旅行中の出来事を描いている。たった今、僕は、聖地巡礼の本質はそのプロセスにあり、みたいな理屈を述べていた訳だが、ブニュエル作品はいつものように、巡礼にまつわるくだらない理屈を一切合切まるごと吹き飛ばしてしまう。
自分の言ってることを自分で否定するようで申し訳ないが、映画も人生も基本、ブニュエルに学ばなければいけないということはある。
今、この項書き終えてから、明日映画見ようかな、と思って「映画:com」というの見てたら、イメージ・フォーラムでブニュエル特集やってるな。若いうちに一本くらいは見ておいたらいいんじゃネ?

というわけで、「巡礼バンザイ!巡礼とはナンゾヤ?」

2018年1月 3日 (水)

デュシャン詣の思い出(4)

フィラデルフィアから再びバスに乗り、ワシントンD.C.を目指す。バスはいったんボルティモアの停留所により、それからワシントンにはいる。バスから眺めるハイウエイを行く自動車は高級車ばかりで、クリントン(ビルの方ね)時代にアメリカが豊かになったことを改めて感じる。

ワシントン市内は近代的な地下鉄が整備され、街路も美しい。そしてどの建物もアメリカの重要な機関の本部ばかりだ。
ワシントンD.C.に来た目的は、スミソニアン博物館群を訪問することだ。

さて、ワシントンナショナルギャラリーは、これまたウルトラ巨大な美術館なのだが、17年経った今、思い出そうとしてもなんかコレと言った思い出がない。とうか、ニューヨークのメトロポリタン美術館の展示室の記憶とどこかで混じり合ってしまって、わからなくなっているのだ。レオナルドがあったり、フェルメールの(偽作ともいわれる)「赤い帽子の女」があったのは、ナショナルギャラリーだったか、それともメトロポリタンだったか?
すごい作品が多すぎて、見てる人は少なすぎて、レオナルドの作品でさえ、足を止めて見ている人がいない、という展示室の様子だけが記憶に残っている。 ・・と、思って今、手元にあるメトロポリタンのガイドを取り出して見たら、レオナルドのことが出てないから、どうやら記憶に残っている展示室の様子はナショナルギャラリーの思い出なんだな。それにしても何故ナショナルギャラリーの目録がないのだろう?17年前のことで、どうもはっきりしない。

変な話だが、スミソニアン博物館群のひとつであるヒルシュホーン博物館でやっていたクリフォード・スティル Clyfford Still の展示はとても印象的だった。というのも、ニューヨークのMOMAでは、アメリカの抽象表現主義作品をたくさん見たいという望みが満たされなかったからだ。ところで、クリフォード・スティルは、抽象表現主義の画家のひとりであり、巨大な画面を一定の色で塗り尽くすという点ではまさに同時代の代表者の一人なのである。そこで使われている色が主に黒と黄色の反復であって、それらがギザギザに混じっている様子は、僕にとっては、もはや「勘弁してくれ」というくらいに強迫的なのだ。その色調、コンポジションが「好きか?」と聞かれれば、NO! としか言いようのないものだ。解説には第二次大戦の残虐から受けたショックがこの画家を捉えたかのように書いてあった。なんかあまりにも怖くてそれ以上絵画に向かい合っていられないような、そんな感じもした。
ただ、たった今、その時に購入してそれっきりほったらかしてあった展覧会の目録を開いて見たら、その時のbadな印象とはまた別のものを感じる。だからスティルについて、あとできちんと目録の解説を読んでみる必要がありそうだ。

というわけで、デュシャン詣での副産物として、日本ではあまり知られていない(と思われる)スティルという作家に出会ったことがワシントン訪問の成果ということになるのかな。

さて、この後はニューヨークに戻って、メトロポリタン、グッゲンハイム、ニューミュージアムという巨大美術館訪問が続きます。そこでの新たな出会いとその後については、次回で。

2017年12月30日 (土)

デュシャン詣の思い出(3)

フィラデルフィアの美術館は、緑に囲まれた素晴らしい環境にある。近くを流れる川ではなにかパーリ船競争みたいな催し物をやっている。
すっかすかに空いている巨大な美術館にはいると、まずはセザンヌのLes grandes baigneuses と対面。現物見ると三角形の構図ばかりがやけに目立つ作品だ。さらに進むと、なんと巨大なマーク・タンジーMark Tanseyの作品が展示されているではないですか! 日本ではもちろんあまり知られてないわけですが、実は、2001年のその夏の時点では、フィラデルフィア美術館の方もタンジーの価値をまったく認識していなかった!
そしていよいよマルセル・デュシャンの部屋へ!美術館の奥の方のなんの変哲も無い部屋。学校の教室のような、ちょっとくらくて天井の低い四角い部屋にデュシャンのコレクションが展示されている。どちらかというとパッとしない若い頃の油絵作品やら、「階段を降りる裸体」、そして「大ガラス」など、かなりの数の「作品」が展示してある。
ぼくはしばらくその部屋をいったりきたりしていたのだが、なんか大事なものを忘れている気がする。それがなんだかわからないが、展示をすみからすみまで見ても、もうひとつ、目的地に到達していないような、そんな気持ち。
いったん別の場所に行って、そして戻った時に、ほかの観覧者が話しているのを聞いて、思い出した!

探していたけど見つからなかったあの扉と穴は、同じ部屋の隅っこにひっそりとあるので、全然見落としてた!

Étant donées : 1° la chute d’eau, 2° le gaz d’eclairage
ここまで地味だとは!なんといっても木の板に穴があいているだけのものだからね。それにしても、だれもいないうすぐらい場所の隅っこで、ひとり節穴から覗きこんでニヤニヤしているというのは、絵にならない。

というわけで、デュシャン詣は早々に終了。ほかの観覧者がいなかったら、いちばん大切な「与えられたとせよ」を見損なうところだった、というお粗末。

さて2017年末の今の時点で自分としては「エタンドネ(与えられたとせよ)」の重要性に最近気がついたんだな。それは節穴からながめることによって、「写真を撮る」みたいに現実のあり方が変わるってこと。平面絵画の究極の秘密と、そこから飛び出したデュシャンの「発見」が、この最期の作品に凝縮しているように思う。僕は「大ガラス」には、それが「ひびだらけだ」ということ以外にはあまり興味がないのだが、「エタンドネ」が解読できれば、「大ガラス」も含めて、デュシャンのアイデアに関していろんなことが読めて来そうな気がしている。

さて、一旦話をフィラデルフィアに戻そう。

再びダウンタウンの高層ビルを眺めながら、坂を下って街の中心にもどる。そして今度はフィラデルフィアに来たもうひとつの目的を果たすのだ。それは「自由の鐘」Liberty Bell と独立宣言関係の旧蹟訪問である。もちろんベンジャミン・フランクリンの記念館もいかないわけにはいかない。
意外にしょぼい、ひびの入った「自由の鐘」の見学のあとは、フランクリンが手作りした楽器やら機械類を取り急ぎ見た。そしてお土産として、アメリカ独立にかかわる歴史的文書のコピーをまとめた本と、フランクリンの「聖書」とでもいうべき「金持ちになるための教え」を購入。
念のため、正確には『富への道』 The Way to Wealth , a preface to Poor Richard’s Almanack, 1758

でっかい活字で30ページほどのものだ。いまさらながら、マックス・ウエーバー大先生のご高説を伺うまでもなく、アメリカ精神の根本をここから知ることができる。

フィラデルフィアはペンシルバニア州の「首都」だけど、ペンシルバニアとは提督のペンさんが開いた「森の国」という意味だよね。
そのペンさんたちが上陸した港も行ったように記憶している。

フィラデルフィアは見所満載だね。

以上デュシャン詣、フィラデルフィア訪問の件でした。しかし聖地参詣はこれで終わりではありません。次回はワシントンDC の「聖地」訪問です。



2017年12月28日 (木)

デュシャン詣の思い出(2)

2001年の8月、まずはニューヨークに入った。このころ、当地ではインターネットカフェが流行していた。さっそく近くのカフェでアカウントを作ったりする。そしてまず攻めるべきはMOMAだ。最終的な巡礼目的地はフィラデルフィア美術館を訪ねて、「大ガラス」と「・・与えられたとせよ」を見ることだから、MOMAはあくまで「ついで」である。もっとも今回の旅には「ついで」でみるものが満載である。フィラデルフィアではセザンヌの「大水浴」も見なければいけないのだ。ほかにも目的はある。せっかくアメリカにきたのだからジャクソン・ポロックを始めとする「抽象表現主義」の作品を大量に見たい、という目的もある。これも「ついで」である。そのためにMOMAはまっ先に攻略しなければならない。

気持ちのいい青空のもとMOMAのチケット売り場に並んでいたら、直前にならんでいる人が谷川俊太郎氏とそのファミリーであった。なかなか列が進まないなと思っていると、谷川氏たちは列を離れたので、理由を聞いたら、ほかの施設もまわるセット券ならすぐ買えるとのことで、自分もそちらに変更。そのおかげであとで崩壊直前のWTCツインタワーに登ることができた。(危なかったと言えないこともない)。
で、MOMAの展示は意外にしょぼくて残念。(改修中だったのかも)。
なによりびっくりしたのが、ポロックとかロスコとか、期待していたバーネット・ニューマンとかの作品がほとんど全く展示されてなかったこと。
特別展のドイツロマン主義絵画とか、ボナールとかドニとか象徴主義系の絵を集めたBeyond the Easel という展示は充実してた。あと、MOMA付属の映画館でやってる映画も面白かった。

さて、先へ進もう。ニューヨークでのお楽しみは後に残して、聖地へ行かなければならない。
というわけで、バスでPhiladelphia に移動。フィラデルフィアの街の中心から広い道を斜めに上がって行くと、目指す美術館はすぐそこだ。

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