2017年11月20日 (月)

「愛のムチ」で人は走って、車にぶつかる

目黒シネマで Damian Chazell の WHIPLASH ( 邦題は「セッション」 見たわ。2014年の作品。作品としての完成度は高く、さすが、という感じだが、内容からいうと、正直気持ちが重たくなった。「教育とは何か」という問いが、含まれていて、しかも僕としては、これは教育に名を借りたサイコパスの所業を表していて、一切そこには肯定的なものはないと考えているからだ。にもかかわらず、「教育ということが含むパラドクシカルな性質」によって、結果的に肯定されてしまうことがしばしばあるし、そもそもこの映画だって、最後はある種の肯定的なものが示されることなしには終わることができないわけなので、なおさらである。

それから、このところDiana Krall のCDを何枚か聞いていて、ジャズに気持ちが動いているところでもあったので、クラシックはもちろん、ジャズも含めておよそ「音楽の修練」の中にある「規律訓練」の要素をどう考えるか、ますますいろいろ考えさせられ、なんか嫌な気分になったのだ。

僕の結論から言っちゃうと、「教育」に名を借りて、そこにサイコパスが跋扈する場所があることは間違いない。とくに楽器のあつかいとか、スポーツにおける身体利用などに関連して、どうしても繰り返し「規律訓練」を行うことが必要なことがある以上、どうしてもそのへんに教育の重点がおかれがちになることはわからないではない。しかしながら、そうであればあるほど、タイトルが示しているような「愛のムチ」というのものが、教育を巡る普通人の言説の中にロマンチックな思い込みとして確固たるものになっていくのである。

身も蓋もない言い方をすれば、そもそも「天才」は自らを発見し、伸ばしていくものであって、そのノウハウを持つものが天才なのである。チャーリー・パーカーはシンバルを投げつけられたから目覚めたのではなく、どんなきっかけであれ、自らの努力で道を開いていけたのだ。
「厳しい師」の教えで「道を開いた」人の開いた道は、「すでに師が開いた道」でしかない。「厳しい師」に従う人は永遠にその関係の中において師に隷属しているだけなのである。この映画が示しているように、「師」との間に作られる「主人」と「奴隷」という二者関係を乗り越えた先にしか、天賦の才を生かせる「主体」は現れない。

ちょっと話がずれるが、音楽学校でジャズのドラムを叩く主人公が、「師」からしきりに速いテンポで叩くことが要求されていた。たしかにジャズにおける演奏の「スピード感」とでもいうものにはなんか独特のものがあるように思う。
チャーリー・パーカーが残したCD録音を聞いていると、なんでもない旋律もやたらスピード感のあるものとして聞こえるのが不思議だ。
スピード感は、たんなる物理的な速さではない。むしろ演奏の「白熱」ということに関係がある。
それは、その演奏の場の雰囲気も関係があるのだと思う。このところ聞いていたダイアナ・クロールの録音でも、「パリ・ライブ」の演奏にはなんとも言えない白熱があるように思ったものだ。
表現芸術には十分な規律訓練がもたらす技量の上に、どうしてもなんらかのプラスアルファのメンタルな要素が必要だ。アーティストの表現力を鍛えるのは、「師弟関係」の枠の中で形成される「対幻想」では足りない。表現者の人生行路におけるヨリ複雑で底の深いメンタルな「経験」が大切なのだと思う。それを作るのは社会であり、表現の担い手が社会的不正を経験したり、耐えたりというたぐいの真の感性的経験が表現に結びつくのだと思う。それは表現者の感性の質に由来するのであって、この映画の「教師」が示しているような、単なるgymnastiqueにしか還元できないような教師の与える「厳しさ」では、どうしても足りないことは自明である。


教育に関わる場でこの種の「教師」を見てきたし、その種の教師が、「良い師」であるかのような評判を見聞きするにつけ、いやな感じを抱いてきた。

そんなこともあって、今回の映画をっ見ても、ぶっちゃけ「勘弁してくれ」みたいな感じになったのだ。

それにしても、そういうサイコパス教師のもとで、素直な学生がどんどんそのペースに引き込まれていく様子をここまで対象化して、客観的に描けるところがすごいな、と思う。チャゼル監督、20代半ばすぎくらいのころの作品でしょ?
これは監督自身の経験にもとづくのか?もしそうなら、まさにこれこそ教育のパラドクスだよね。

センセイと生徒の関係について、今日の文章の最初の方で書いたような、「ロマンチックな人」が、世の中には多いような気がするのだが、そういう風潮もなんとかならないものかなと思うね。

ま、今日はここまでにしとく。映画をみた「目黒シネマ」、今回初めて行ったけど、座席も綺麗でいい映画館だった。値段も安いし、また行きたい。

あと少し触れたいのは、チリ人監督のパブロ・ネルーダに関する映画ね。それから自宅でみた 90年代の香港ニューシネマ関係。ジャズに関しては、Nat ‘king’ Cole Trio の録音とか。でも今日は十分たくさん書いたからこれで満足しよう。じゃ、またね。

2017年11月11日 (土)

André Gorz の「ラブレター」

我が年中行事でもある神保町ブックフェスティバル初日。行ったのが先週の金曜日。今年は白水社が良かったね。全集の端本が安く出てた。
ちょっと隠れたところにフランス図書というのがあって、フランス語の本を安く出していた。実店舗はなくて、普段はインターネット上の店舗で商売をしているらしい。そこでとくに脈絡もなくfolioのシリーズから何冊か買ったのだが、そのひとつが標題のアンドレ・ゴルツという作家のもの。Lettre à D, Histoire d’un amourというタイトルが付いている。著者であるアンドレ・ゴルツは本名を Gérard Horst といい、ウイーン生まれ。エクスプレスやヌーベルオブセルヴァトールなどのジャーナリズムでは Michel Bosquet という名前で執筆していた。この名前は聞いたことがある。
巻末の著作目録をみるとこの著者はどちらかというと経済・社会・労働に関する著作が多い。今回買ったのはその人が書いた「小説」みたいなもの。100ページもない薄い本だ。小説みたいなものといったけど、読んでみるとこれは創作ではなく、実際の伴侶、Dorineさんに宛てた手紙という形式をとって、出会いから現在までを綴ったものとなっている。そして著者はこの本を2006年にGaliléeから出版したのだが、その翌年に亡くなっている。
今、本文82ページのうち52ページまで読んだところ。中身は身の回りに起きたことを語るという意味では「自叙伝」のようではあるけれど、あくまで内容は「私」から見た「君」と過ごした時間、そこで起きたことと考えたことがまとめられている。

「今君は82歳になろうとして、身体もすっかり小さくなってしまったけど、君はいつも綺麗で、今も僕は今までと同じそしてそれ以上に君のことを愛している。58年間一緒に過ごしてきたけど、ただ君の熱いカラダを感じること、それなしには僕の胸はポッカリと虚ろになってしまうのだと改めて思う」(冒頭のところの意訳)
てな感じの「アイのコクハク」の書なのである。

「告白」という言語化作業を通じて人生の浄化を望む伝統というのが、ヨーロッパの「人文知」の底流にあるようだ。他者との関係についての、愛の思想とも言えるそれは、アウグスティヌスに始まり、ルソーが発展させ、いわば人文知の伝統が大きな「枠組み」として保持しているものだ。

「私とあなた」、「ボクとキミ」といういわば「私的」な関係が一定の意味を持ち「普遍化」可能なのだということが前提となっていることを改めて感じる。

このことの持つポジティブな意味は改めて言うほどのことではないかもしれない。けれども、常に確認して起きたいことなのだが、およそ言論とかあるいはもっと広げて表現とかいったものを構成しようとするものにとって、根本に「愛の思想」がなければ、その表現は空虚だということだけは言えるだろう。

今なんとなく僕の中にあるイメージは、ハンナ・アレントである。彼女は全体主義の歴史的形成を論じ、あるいは世界における人間のあり方を、「余暇」とか「仕事」や「労働」という観点からあれこれ論じるのだが、その彼女の中には常に「アウグスティヌスにおける愛の思想」から、ハイデガー「存在論」へと斜行する言説線があるようにかんじている。

『存在の耐えられない軽さ』の著者、ミラン・クンデラはその「小説論」で小説というジャンルを「ヨーロッパ」と等置している。このことはなかなかに問題含みな発言だが、そういう風に言いたくなるような、僕の言葉で言えば「人文知」に関わる伝統のようなものがあるのだろう。
もっとわかりやすく、有り体に言えば、次のようになる。
要するに僕らが何かアートであれ、作品であれ、テレビを視聴するのであれ、およそ表現というものに接するときはいつでも、「そこに愛はあるか?」と問い直してもいいのではないか、と。

どのようなファクト・オリエンテッドな議論であれ、それを議論する枠組みの中に愛が欠けていれば、それは傾聴するに値しない、ぐらいの態度はどうしても必要だろう。
いつもと同じフレーズを繰り返すようだが、現代は「言説によって飽和している」。言説と称するものが、電子空間の上に「限りなく」存在する。

このブログもまた同じことだ。

そういうことを問題とする時に次のような言葉もまた真実になるのではないか? (このブログをかなり前から読んでいる人にしかわからなくて申し訳ない)、すなわち

「その石に愛はありますか?」、と。

2017年11月 5日 (日)

TAIPEI 飯

なんだまたサボってるな、とのご意見もありましょうが、お許しください。暇つぶしを兼ねて台北に行きました。


猫空

こんなもん乗って。





こんなもん食べて。

中山にあるMOCA(台北現代アートミュージアム)ではLGBTQとか身体性と言ったことをテーマとしたアジアの若手アーティストの作品が展示されていました。
例えばこんなビデオインスタレーションとか



あるいはジェフ・ウオール流をなぞったこんな写真作品とか



台湾は民主進歩党の蔡英文さんが総統となり、司法の場でもLGBTQの権利問題が注目され、かなり前向きな取り組みが進んでいる様子を知ることができましたね。

もちろんみんながよく知っている「白菜」もじっくり見ました。


故宮は夜景もいいですね



昨年の4月に台湾に行った時にも思ったし、今回ますます感じたことの一つは、MRTの路線や運行状況の利便性がますます拡大していることですかね。悠遊カード一枚で殆どの場所にストレスフリーで移動できるのはすごいことです。駅構内も広いし。そこら辺はインフラ整備が早かったパリのメトロのダメさ加減が一方にあり、東京はその中間、と言いたいところですが、東京はどちらかというとパリのメトロのダメさ加減に近い感じもあります。あれほどひどくはないけど。
今回フライトは羽田ー松山線だったので、行くのも楽チンでした。もっとも桃園にもメトロ路線が延長されたので、これからは桃園利用もアリなのかもしれません。それから、今円安に動いているせいか、1元=4円となっており、庶民が食べる食べ物なんかで比較する限り、ちょっと大げさになるかもしれないけど日本の方が物価が安いような感じになってきている。
あくまで感覚的なものですが、JPYの購買力がますます低くなり、結果「日本」がますますビンボーになりつつあるのではないか、というような印象も持ちました。(あくまで主観的な感想です)。

アートをめぐる状況については、先ほども言及したように、MOCAの展示では課題性とか取り組みとかのあり方がとてもはっきりしていたと思います。館内では、展示作品の作家が作品に込めたメッセージなんかを同時にビデオで流していて、そういう点でもわかりやすかったですね。(あまり比べるようなものではないですけど、先般見たヨコトリなんかではそういう主題性が曖昧な印象を受けました)。

近くて楽チンな台北でくつろいで、羽田に着いた途端! 鼻水とクシャミが止まらなくなった!多摩川にまだ残る黄色い花のセイか?

2017年10月25日 (水)

動くな、死ね、甦れ!

先週末、季節の変わり目の体調不良をようやく終了。体調不良中は終日 Diana Krall を聴きながらすごしておりました。その後は ヴィターリー・カネフスキーの『動くな、死ね、甦れ!』1989. を見たり、もはや会期末となった『横浜トリエンナーレ2017』を2日かけて見た。

スマホの電源を入れるとついなんとなく見てしまうツイッターの発言。選挙があったせいもあるのだろうが、政治がらみのつぶやきがあれこれ。いろいろな立場の方があれこれ発言しているのをみていて、なんか楽しめない。どうして楽しめないのかなと思っていたのだが、映画館で上映前の予告編みていた時にヒラメイタ。

なんか、政治的意見って、芝居くさいよね。何かこっちに訴えかけているのだが、本当に訴えるというよりは、芝居くさいというか、こっちの出方を伺っているような、そんな含みがある。

だれかのことをのことを思いっきりくさしてみたり(「ディスったり」っていうのかな?)する「つぶやき」が満ちている。たとえ口喧嘩でも、他人のケンカを見たいとは思わない。

本当に言いたいことがある人は、そんな風に芝居かかって訴えることはないのではないかな?
君のことを好きな人がいるとして、君がその人に視線を向ける時、その人はあえて目を逸らすのではないのか?

「愛」とは「没入」への視線ではないか、と言いたい。

いろいろ訳あって、先日三島の「豊饒の海第一巻」『春の雪』読んだ。冒頭ちかく主人公松枝清顕が、園遊の場で池の向こうに幼馴染の綾倉聡子を見るところから、すでに三島のこだわる「何か」が強く作用しているのを感じる。
漱石の三四郎が池の向こうに佇む女を見たときの視線と比べてもしょうがないが、同じく「他者」の存在を感知する若者が描かれているといっても、そのこだわりの強さという点では、三島の松枝清顕の視線の強さはただものではない。

他者のまなざしを自分に向けることが「愛」であるかのごとく世間では語られるが、まあそれは大したことではない。他者が凜としてそれ自身の世界にある、その意味では自己とは切り離されていることが、「愛」の条件ではないのか。

あー、まとまらないな。
ツイッターなんか見ていて、不愉快なのは、「愛」がまったく感じられないからなんだよね。エクリチュールには二種類あって、他者の「他者性」をみとめてそこに備給されるエネルギーが問題となるタイプの書き物と、そうした心的プロセスがまったく介在しない文章と二つあるんだと思う。政治が関わる発言ではその辺の「心的プロセス」が全く欠けているものばかりになってることが僕の不満なんだろうな。

カネフスキーについて、是枝裕和の言葉がパンフレットに載っていて、「ドキュメントとフィクションの境界、それに対する眼差しとアプローチが云々」と言っている。
およそアート、ファインアートの全体が関わるなにかがそこにある。おそらくカネフスキーは自身が生きたスターリン時代の荒れた世相の全体を描き出したかったんだろう。そういう時代にありえた「生」のありように対する強い(肯定的な)こだわりがこの映画の土台なのだ。最後のところの「カメラを止めるな、よく見ておけ」というメッセージこそ、さっき言った備給された心的エネルギーの表現なのだ。

明らかな劇映画であるこの作品について、是枝が「ドキュメンタリー」のようであるかのごとくに言っているのは、出演している人たちが「芝居くささ」を全く感じさせないからなのだ。「芝居くささがない」ということを別の言い方をすれば、そこにでてくる人がもっぱら「自分自身の世界に没入しているように見える」ことである、とも言える。
彼らは観客である我々になにも求めはしない。我々も彼らになにも与えることはできない、ただ物事の運びに、そしてスクリーンに現れたそれぞれの生のありように対して、「そのようにもありえたのかな」と思うだけである。
それでいい。それが大切なのだ。

大部分の見世物は「求めてくる」。笑ってください、泣いてください、共感してください、とうるさい。
政治をめぐるツイートも同じだ。
共感を強制してくる。この強制が暴力の起源であることに全く気づかない。
真の政治的人間は強制しない。ただ本人がなにごとかに没入しているだけだ。

愛とはそのような他者の「没入」に対するまなざしのことなのだろう。

下にユーロスペースの入り口の写真を掲げておく。主人公の斜めに向けられた視線がアートの勝利を示しているのだ。



ついでにトリエンナーレの作品からひとつ。



2017年10月17日 (火)

東郷青児展みた

二週間前新宿で、損保ジャパン日本興亜美術館でやってる「生誕120年東郷青児展」という展覧会を見た。己の不分明を恥じるのだが、自由が丘の近くに住んでいた関係もあり、東郷青児というと「モンブラン」のケーキの包み紙のイメージしか持ってなかった。そこに描かれたモダンな女性のイメージから、なんか戦後の作家だとばっかり思っていた。
今度の展覧会のタイトルにもあるとおり、120年前にうまれたというのだから、1897年、つまり明治30年生まれという、めっちゃ古い人だったのね。
それにしては絵柄が新しい。
作家の人生については特に探求してないのだけど、展示は年代順に古いものから順に並んでいて、この作家の最初期、19歳だったかな、の作品から始まってた。で、これがなかなかの作品なんだ。彼が10代でヨーロッパに渡った1910年代の終わりころはまさにヨーロッパ絵画の大転換が進行中だった。そこで東郷はそうした変化を自らの中に積極的に取り込んでいったわけ。この時期の暗い色調の作品はブラックやピカソのキュビズムそのものだ。
あと、今たまたま手元にある本に出ていたフェルナン・レジェやオザンファンの絵の印刷物をみていて気づいたのだが、実は東郷の晩年の様式化した美女たちの描き方、身体のパーツを円筒のように見立てて影を描きこむやり方の中に、依然としてキュビズム絵画の特徴が保持されていることがわかったわ。
東郷はまずは圧倒的なキュビズムの影響下から出発し、ついでイタリアでフュチュリストの影響を受けるのね。こうしたヨーロッパ絵画の大変革を己のものとして、1920年代のはじめには、ほぼ独自のスタイルを確立している。年齢で言えばまだ20代の始まり。
東郷ってすごい画家なんだね。

帰国してからは、絵画面では大胆な構成重視の作品を手掛けながら、戦後の様式化した作品に近づいて行くが、そこもひと筋縄ではないように感じた。

特に僕は、30年代のものかな、病院の様子を描いた作品に強く魅了されたのだが、そこには、戦後の作品ではあまり出てこない、「不安」みたいな「深層のエロス」みたいな主題も現れているように感じた。
本の装丁をしたり、雑誌の表紙デザインをしたり。1936年には「丸物デパート」(マルブツって読むんだよね?戦後もしばらくあったと思う。)の食堂の装飾画を藤田嗣治といっしょに制作したりしている。
昭和10年代の東郷青児の活躍は僕がこのブログで問題としている、昭和の世相というものを考える上でも、とても興味深い。ヨーロッパの生活目線をたもちながら、右傾化して行く同時代を生きていく。その困難みたいな面について、その辺の事情はこの展覧会では特に触れていない。作品を見る限りでは淡々と己の作風をつらぬいたようにみえるのだがどうなのだろう。同時代の同じくヨーロッパ文化の冒険者である藤田嗣治が、「戦争画」に取り組んで苦労しているのを見ると、なんか大変だなあと思うのだが、東郷青児の場合はどうだったんだろう?

さて、戦後の活躍もなかなかのものだ。とくに大阪の巨大な建物(商業施設だったっけ?)の壁に油絵で巨大な作品を作るなんてのもすごい試みだ。作品は20年くらいしかもたなかったみたいだけど。

いずれにせよ、東郷青児というと「モンブラン」の包み紙くらいしか思い出さず・・・あと確か昔の渋谷の東急文化会館にも東郷青児の作品があったように思うのだが僕の記憶違いかな?
こうした商業アートとリアルアートのしあわせな結合は素晴らしいのだが、僕のような無教養人は、それ(コマーシャルアート)の平板な大衆性がそのアーティストの全てだと思ってしまうことにもなった。
今回、たまたま火災保険に入ったら代理店の人がサービスでくれた切符のお陰で、素晴らしいアーティストを発見できたのは良かった。

もちろんついでにゴッホの「ひまわり」もみれたし、旧安田火災が建てた建物やそこから見るコクーンタワーや東京の景色も予想外に綺麗で良かったわ。





上の作品は1916年(東郷19歳)
「パラソルさせる女」


美術館から見たコクーンタワー



あー急に寒くなったので、体調を崩したわ。頭がクラクラして外出できない。毎年この時期、同じ病態になる。さっき手帳で確認したら2年前にはこの時期3軒の医者(内科、耳鼻咽喉科、脳神経外科)にかかってた。
みんなは体調崩さないように頑張ってね。じゃ。

2017年10月10日 (火)

作品の「可搬性」portability について

Jeff Wall のバックライトを使った大きな「写真」作品展示の意味について、作品の「タブロー化」ということが言われる。
そのことに関連して、すこし考えてみよう。写真というものは多かれ少なかれ「複製化」可能なものとして、意識されるのだが、タブロー化することによって美術館での展示ということに意味が出てくることになる。そのことが写真の「複製」可能性を左右するわけではないが、鑑賞者の側から言えば、自らが移動して展示場所に出かけてそれをみるということに意味がしょうじる。つまり「わざわざ鑑賞のために移動の不自由を受け入れる」ということである。
前回、アランに関連して、音楽や演劇が「一定時間、鑑賞者を一定の座席などに拘束するという意味での、時間に関わる芸術である」ということを述べた。一方アランによれば、例えば建築や彫刻のような芸術は、鑑賞者がその周りを歩いたり自由に移動したりすることが前提になっている芸術だという。
こうした区別があるとして、従来、絵画作品のようなものは、展示場所である美術館に人が赴くことが前提になっていて、一点しかない作品を鑑賞することが基本であった。このことをたとえばベンヤミンだったら、芸術の「礼拝的価値」と言ったかもしれない。音楽も同様であり、レコード、CDなどの記録媒体や再生装置が高性能化、Hi-Fi 化する前はやはり生演奏の価値が圧倒的に高かった。
現代において、オリジナルの持つアウラがどれだけ減ったのか、改めて考えると、比べることができるわけではないので、いうのは変かもしれないが、ベンヤミンが述べたほどにはアウラが消滅してしまったわけではないようにも思える。今日の大衆社会においては、「オリジナル性」というものそれ自身が、「レアもの」として価値を持つことが市場において共有されていて、オリジナルだ、というだけで経済的価値を持つだけでなく、それを超えて「礼拝的価値」までも生じさせることも可能なのだ。
その辺の問題は、マルセル・デュシャンの挑戦以来、大きな問題提起の系譜があると思う。
で、Wallの場合もそういう美学・美術史的な考察を踏まえながら、写真作品に、一定の展示的な意義を付与する方法を取ったのだと考えることはまあふつうに受け入れられることだろう。

そんなことを踏まえてあらためてその辺の事情を考えてみたいというのが、今日の趣旨であるが、あらかた言いたいことは言ってしまったかんじがする。

アランの区別に関していうと、いまや複製技術によって音楽や演劇も「自宅」で楽しむことができるようになった。「自宅鑑賞者」の立場からは、好きな時に好きなところで止めて、また好きなところから聞いたり見たりできるから、「一定時間の拘束」、緊張関係を保つ時間の拘束はなくなった。写真はもともとそういう面があり、また絵画も写真として複製化して鑑賞できるようになったので、自宅にいて「書物」のような形で手元において楽しめるし、またコンピュータを通じてディスプレイ機器の画像として、いつでもどこでも好きな時にそれを鑑賞できるようになった。

ところが面白いことに、そのように芸術再現の可能性や利便性が今日非常に高まってきたその結果、別のことがらに注目されるようになってきたのでもある。アランは芸術の「表現者」の側の身体使用の規則を重視して論をたてているのだが、むしろ今日の起きているアートをめぐる出来事を考える上では、「鑑賞者」の側の身体使用が問題となってきているということだ。

Wall をはじめとするここ30年くらいの写真表現において作品が「巨大化」し、美術館などの公共空間の壁に架けられることにより、「タブロー化」が進んだことは先ほども述べた通りなのだが、そこで問われているのは、まさに「鑑賞者」がどのように作品に向かうか、その際に準拠枠となるのが、「鑑賞者」の側の身体性なのであるということが意識されるようになったのだろう。
ある作品が「大きい」とか「小さい」というのは物理量の問題ではなく、人間が立って何かを視認する際の視覚の広がりというものとの関連がもっとも強いのだ。このことは実はルネッサンスの最初から強く意識されていたことなのではないか、とも思われる。パースペクティブに関する議論の中でも、例えば彫像の実作にあたって、それがどう見えるかに関して、見る側の目の位置が強く意識されていたことは間違いない。

鑑賞者の側の「身体性」については、従来あまり議論がなかったのだが、今も述べたように、そこが、これからの問題なのだと思う。

THOMAS STRUTH MAKING TIME 2007 というプラド美術館が出した本がある。

まず美術館の内部をその鑑賞者とともに写真に収めたStruth の作品がある。プラド美術館では、そのストルースの作品を、プラド美術館所蔵の絵画展示にわざと絵画の写真であるストルースの写真作品を並べて展示したようだ。そして、この写真集はと言えば、あたかもストルースの作品が美術館における絵画作品展示の写真であるように、その時のストルース作品の展示風景の写真なのである。この展示の試みそのものがとてもアイデアに満ち溢れているだけでなく、写真集が「写真の展示風景の写真である」という風に、問いが問われるものに関わる関係が重複していて、とても面白いものとなっている。この写真集についてだけでもちょっとした論考を必要とするように思える。でも今日はそのことは問題にしない。
とりあえず今日の文脈では、ストルースが美術館の鑑賞者を被写体にしたことと、今日のアートの意味ということに関して、「鑑賞者の身体性」が問われていることとの関係性があることがわかればそれでいい。PRADOで開かれた Making Time ならびにStruth の写真に関する議論はこれからマイケル・フリードの Why Photography Matters     の第5章を検討してからゆっくり検討したい。


そして今後の僕の議論のひとつの方向性として、次のようなものを考えていることを今日は予告して、ここで終わることにしよう。

昔 僕は江戸時代の寺社のありかたについてあれこれ考えていた時期があった。そこで実証研究したことの一つに寺院が行う「御免勧化」の足取りを追うということがあった。これは寺院が幕府の許可を得て、近隣の村々、場合によっては武蔵の国一円から「寄附」をあつめて回る行為である。寺社経営とは基本、檀家・氏子圏をベースとしているのだが、建物の造営など、数百年に一度規模の資金を必要とする際には、基本となる檀家氏子圏では足りず、それをはるかに超える地域の民衆から金品を集めることもあったのである。今はその研究の詳細については述べないが、そのことと関連して、(僕の研究対象ではそのようなことを行った記録は残っていないが)江戸時代の寺社は「出開帳」などが行われることもあったことを指摘したい。これは御本尊の秘仏などをあえて持ち出して「開帳」し、広く信仰者の希求に応え、あるいは寄附を募るといったものであった。

宗教行為に関し、信仰者の身体性に注目する時、信仰者が自ら移動して「聖地」に至る「巡礼」が一方にあるとすると、一方では聖なる存在そのものが自ら移動して信仰者のもとに訪れるという「出開帳」がその対極にあるとは言えないだろうか。

「聖地巡礼と出開帳」

これが、アートをめぐる考察の次というか、先のテーマとなる。では次回をお楽しみに。

じゃ、またね。

2017年10月 6日 (金)

長谷川宏訳 アラン 『芸術の体系』

ココログの他のブログを覗いてみたら、なんとびっくり! まめな人って毎日ブログ更新してるのね! しかも結構内容がある。まあ確かに昔から「日記」というジャンルがあって、まめな人は毎日きちんと「日記」をつけてきたわけで、そのデンでいけば、毎日ブログをこうしんするのも「アリ!」ってことになる。だけど、僕の場合は何か本を読んだり、何かを理解したりってことを前提にしてるので、「本を読む」にしても、「映画を見た」にしても、そう毎日新たな経験をしているわけではない。仮に本を読んだり、映画をみたとしても、よほど心に落ちない限りは何か書く気がしない。何かを「理解」した、というか、ストンと心におちてくるような、情動を伴う強いインパクトがないことについて、ことさらに文章化しようとは思わない。

そんなわけで、なかなかブログをしょっちゅう更新するわけにはいかないのだ。
だが、その一方、この路傍の石のごときブログの文章を喜んでよんでくださるかたもいなくはない、いや、いなくもないどころか、具体的な顔も浮かんでくる。(ただし、約一名)。そうなると、贅沢なことを言っていられない、というか、誰かの喜んでくださるかもしれない様子を思い浮かべるだけで、他者の喜びを我が喜びとしたくなるではないか。
ニュース見てると、なんか偉い人がインタビューを受けて、インタビュアーが最後に「ありがとうございました」というと、「いやいや、どういたしまして」ってな感じで、
「My pleasure !」とか言ってるじゃないですか。

あなたの楽しみが同時に マイ・プレジャーであり、マイ・プレジャーが誰かの楽しみにつながるなら、こんなにステキなことはない。

というわけで、だらだらと書いてきた挙句に、前回のブログで予告した、アランの『芸術の体系』について、ちょっと書いておこう。

この本で、一番面白かったのは、「動く芸術」と「動かない芸術」っていう区別だ。ふつう僕らが考える造形芸術が「動かない芸術」に属していて、ダンス、トーク(雄弁や詩)、ミュージック、演劇なんかが「動く芸術」に属している。これを読むと普段のトーク(会話)も芸術に昇華できるんだってことがわかる。逆にいうと、アートとして理解されない普段の会話は、限りなく「雑音」に近いということになる。
半世紀前までは存在していたと思われる「品のいい家庭」。これは階級とはなんの関係もありません。貧しい家でも金持ちの家でもいいのです。会話が「スタイル」をもち、節度を持って展開するところでは、生活そのものが「アート」だったのではないか、などと考えます。もしかしたら逆かもしれない 。身のこなしや会話が常に至高の存在とかかわり、その意識があるところでは、労働に関する身のこなしや、日常の会話も奔放に逸脱することなく、展開したのではないか?
中世の北欧を舞台にした、イングマル・ベルイマンの映画『処女の泉』というのがある。もちろんこの映画そのものがアートであり、芸術として構成されたものであるのだが、そこで描かれた地方豪族の家族の静謐な、ほとんど会話のない生活様式なんかが、その代表格だ。
現代家族で言えば『東京物語』をはじめ、小津安二郎監督の映画に出てくる家族の会話もとてもスタイリッシュである。
元来、会話というのは、家族間においてさえアートの要素があったのだ。
ここでアートといっているのは、まさにアランが言っているように、情念に縛られて、声帯が緊張してしまい、声がやたらに甲高くなったり、喚くみたいになってしまったり、ということを避けること。より適切に情念を表現するように働くこと、こうしたことだ。話すアートは「雄弁術」や「詩」にその究極の表現を見出すが、美しい詩句の表現は衝突や緊張のないダンスのようなものだ、ということにもなる。

テレビを見ていて常に不快感を感じるのは、登場する人物が常に緊張していて動物の叫びのように言葉を放つことと関係があるのだろう。ここにはアートもなければ美もないことは言うまでもない。これらのことは現代人が置かれている病的な状況というものの鏡でもある。

アランの議論はとてもわかりやすい。人間の肉体のありかた、道具の使い方、そうしたものを一定の鍛錬のもとで自然から解放し、統御されたものとすることがアートの本質なのだ。

声の出し方には声の出し方のアートがあり、身体の動かし方には動かし方のアートがある。

動かない芸術に関しても、同じことだ
。例えば絵画について言えば、画家の身体の使い方と道具(絵の具の扱い、絵筆の使い方)によって根本的に規定されている。こうした議論に深入りするつもりはない。

もうひとつ、僕が面白いとおもう区別がある。音楽や演劇のような、一定の時間見る人を拘束し、「始まりと終わり」のあるタイプのアートと、造形芸術のような、「鑑賞者の時間を拘束しないタイプのアート」の区別である。

このことは結構大きな問題圏を作っているように思える。このところ僕は「写真」に関する本や作品をよく見ているのだが、「写真」と「映画」の関係なんかも結構興味深い。
スチル写真と映画の関係、シンディ・シャーマンの写真が提起した問題、杉本さんの「映画をとった写真」。そもそも何故「絵画」作品が問題となるのか?

そんなことを考えているうちにまたちょっと違ったアイデアが湧いてきたのだが、それはまた次回にしよう。

じゃ、ね。

2017年10月 2日 (月)

花粉アレルギーか?目がボロボロ

いよいよ秋らしくなってきましたね。先日、自家用車(この言葉ってもう使わないのかな?)のaudi A3 を車検に出したんだけど、車検期間中の代車として、ちょっと洒落た車audi A1 が届いた。排気量は1リットルに満たない小さな車なんだけど、乗ってみると実に面白い。週末は特になんの用もないのに近所をドライブして回ったぜい。200キロ近く乗ったのに、油量計の針が8目盛のうち二つぶんしか動いていない。最近の車って燃費がいいんだね。その上、乗って面白い。シャカシャカよく走るし、座席の硬さ感や振動の具合もいいい感じ。その一方、使えないと思ったのはアイドリングストップ機能ね。エンジンかけ直すたびにアイドリングストップのoff ボタン押さなければいけないというのは実に煩わしい。
というわけで、今時はほとんどの人がやらなくなったと思われる「ドライブ」を楽しんできた一週間。そうこうしているうちに日時が過ぎていったね。

さて、ここからがブログの本題。このところ、たまたま目にとまった、 アランの『芸術の体系』を寝る前に読んでいる。ページを開くとすぐに眠ってしまうのでなかなか先に進まない。

(光文社古典新訳文庫『芸術の体系』長谷川宏訳 2008、 Alain : Système des Beaux-Arts Edition nouvell avec notes. Gallimard 1926)

ここで著者のアランAlainについて書いておこう。(この文庫版巻末に翻訳者長谷川宏氏による年譜と解説あり)

アランという名前でたくさんの著作を残したひとは、本名をEmille Auguste Chartier 1868-1951 , と言う人。終生リセの教員として、またjournalism に短文を寄せながら、あれこれ考えてきた人だ。巨視的にみれば、フランスの文化はこうした人文的な教養を持つ「理性人」によって担われてきた。ユマニストとも言えるかもしれないし。文章のスタイルに注目すればモラリストとも言えるだろう。(ちなみに僕が観察する限りでは、日本におけるモラルという言葉の「誤用」は只者ではないので僕のような一般人が何か言っても、もはや変えようもないので、もう諦めるしかないと思っている)。

ここからは個人的な思い出を語りたい。日仏で授業を受けた某教授(ごめんなさい、今ちょっとお名前を思い出せません)が、中級のレッスンで、アランを使っていた。アランの文章は言いたいことがわかるとすらすらと理解できるのだけど、その譬えとかがうまく理解できないと、とんでもなくわからなくなるという意味では、理屈ではどうすることもできない、「エスプリガロワ」の知識人だなあ、と思ってきた。そういう意味ではアランは某教授の示唆するとおりフランス語の理解としては「中級」レベルなのだけれど、なかなかにハードルは高いのであった。

さて話がどんどん外れるのだが、許してもらいたい。日仏時代を思い出して、また、哲学者アランのことを思うたびに、思い出すもうひとりの人物がいる。その方はお名前は、ムッシュ・メイエールという方である。この人こそ僕にとって、「教師とは何か」、「教師はいかにあるべきか」の見本みたいな先生である。僕の心の中には、永遠に「理想の教師」としてのムッシュ・メイエールが刻まれているのだ。

だがそのことを長々と書くには及ぶまい。僕は自分が教師になった後に、「理想の教師」を発見したのだ。
多くの人は若くして出会った師を「理想の師」と捉える。しかしどうなのだろう? それは自分の未熟さに見合っただけの「師」なのではないか?
よく多くの教師志望者が「自分が経験したよい先生のようになろうと思った」などと、恥ずかしげもなく言っている。多くは、自分の未熟さにふさわしい未熟な人間を「師」としただけなのではないか。そして、そのように思ったその瞬間にその人間は進歩することをやめたのではないか、そしてそのことに気づくという最小限の理性の使用もやめてしまったのではないかと僕は疑うのだ。
「愚」人の発見した「愚」グルをグルと思い込む馬鹿さ加減。なぜ気づかないのかなあ。

話を戻そう。ムッシュ・メイエールは、自分がとうてい及ばない、教師の見本であった。教師というものの、奥行きの深さをフランスの文化はいろいろに示してくれる。アランことエミール・シャルティもまた、リセの教師として、行けるところまで行った人だった。
しかしながら、その原理は単純である。デカルトと同じように、常に自分の理性を使って考え、考えて行動し、考えを記述し、そうして人生を進めるというそれだけの事なのだ。

そのアランの書いた『芸術の体系』の新訳を今読んでいて、それなりに発見があることをここに書きたいと思っている。

だがいつものように、本題に入る前にもはや充分に書いてしまった。これ以上書いても、もはや喜んでもらえることはないだろう。
それに今日のところ本当に言いたかったことは、「メイエール先生」という「固有名」をつぶやきたかっただけなのだ。アランをダシにして。そして、もうそのことは言ってしまったので、今日は満足してここで終わるべきなのだろう。

次回はアランの『芸術の体系』の中身を話したい。

だが、改めて思うのだが、人生において「いい先生」に出会えるのは、ほんとうに偶然でしかない。どんなに優れた先生であっても、それを理解できるだけの生徒の側の力量がなければいけない。かといって、生徒が「出来すぎて」いれば、もはや「先生」はいらない。

矛盾である。

さっきも述べたけど、愚人が理解する「師」は、「愚師」でしかない。しかしながら、この場合も最大のアポリアは、その人にとっては、その時点でやっぱり「師」であることは否定のしようがないということなのだ。

教育(パイデイア)という事実に関して、常にこうしたパラドクスがつきまとっていて、そのことがソクラテスという個人を永遠に「問題」とせざるを得ない理由なのでもある。

じゃ、またね。秋の気配が強くなった今、良い子のみんなは「目先の目標」を忘れずに頑張ってね。


2017年9月26日 (火)

Stefan Gronert : Conversation with Jeff Wall

Stefan Gronert と Jeff Wall の対話を読んで、ウオールの考え方がかなり分かったような気になった。出典: JEFF WALL Specific Pictures : Schrimer / Mosel 2016

この対話の中でウオールは 「絵画がタブローtableau という形式で垂直に展示されること、それを見る人々が(絵画を)独立した存在として認知し、かつ関わることができるという事実」をとても大切だと考えた、という。写真についても、(印刷された)写真集を(書物の形で)手にとってみるというよりは、タブローの形で見ることに意義があると気付いたというのである。さらに彼は、「そこにアーティストとして自分にもチャンスがあることに気付いた」と率直に語っている。もともと写真を始める前から、街で日常の風景をスケッチしてきて、それからスタディオでそれに手を加えて作品を作ることをしてきた。だから「スタディオ空間で仕事をすること」を当然のようにしてきたのだとも言っている。

「絵画が自律しているということは、自由社会において、私たちが市民として自律した生活をしているということを逆に照らし出しているように思える」とも語っている。
The autonomy of the picture seems to reflect back to us our autonomous condition as citizens in a free society,・・

こうした作家自身の言葉とグロネールによる前書きの文言を重ねると、ウオールの作品の意図がますますハッキリ見えて来る。

グロネールは前書きへの補足の中で、ウオール作品の特徴をつぎのように要約している。 まず第一にライトボックスの中にフレーミングしてカラー写真を提示していること。(ここからは私の説明ですが)これはみればわかることで、その巨大さ、バーティカルな展示、色彩の圧倒的な力など、ひとつの写真作品が(美術館などの公共空間で)「作品」として鑑賞されることが求められている。第二に、作品の referentiality が特徴だ、と。これはどういうことかというと、例えば Picture for Woman 1979であれば、多くの人が マネの油彩画「 フォリーベルジュールの女性」1882が重要な参照項目になっていることを見抜ける。そういう過去(特に19世紀絵画)の主要な作品への絡み合いが、ほとんど「自由」に作られたとみられるような作品を確固たる「構築物」にしている。それだけではない。写真作品の登場人物の配置には、「ステージ化」とでもいうような、物語の一場面であるかのような作り方がある。これもまた「参照項」のひとつでもある。これをグロネールは cinematographic approach と名付けている。これら二つの事柄を通じて、写真作品というもののあり方として、一瞥しただけで「なんであるか」が判明してしまうという、instant cognition を免れる、あるいは拒否することになる。それが結局はウオールの写真の「作品性」、「タブロー的」性格を作り出しているのである。(これをグロネールは時々masterpiece という言い方で示すこともあるが、ウオールはそういういいかたはしない)。

ここまでがグロネールの議論なのだが、こういうことを念頭に置くと、例えば、ウオールの作品、 A View from an Apartment, 2014-5 の意味が極めて明瞭に現れて来る。
この作品ではグローバル化する社会とドメスティックな領域の関係を探求するウオールの社会学的視点が強く現れているいることがわかると思う。しかもそこでは「窓」が作品のフレーミングの喩になっていて、インテリアのしつらえも「考え抜かれた」ものであることが明瞭になる。ドメスティックな領域と外界が「窓」である「作品」や資本制社会の生み出す「商品」(TVセットや雑誌、棚に置かれた造花など)を通じて相互反照関係が二重、三重に「入れ子的」になっていることが示されている。しかも室内の照明器具の反照が窓に映り込むことによって、その作品の意図はくどいくらい明瞭に提示されるのである。

またそもそも、この作品の第一のレファレンスはフリードによればドラクロアの「アルジェリアの女」1834 とみられる。

以上述べてきたように、ウオール作品が直接的な色彩や構成という感覚に訴える部分で人々の目を捉えることはもちろん、その上で、作品に込められたレファレンスの重層性、そのインテレクチュアルな性格、あるいは「批評的な性格」によって、作品の奥行きが生まれていることを分かってもらえればそれでいい。

今やインスタグラムやSNSを通じて「写真」が未だなかったほどに「過剰」に世間に提供されるようになったのだが、「過剰」の対極にはウオールが切り開いた写真の「作品性」を求めるやりかたもあることを改めて意識に載せることが大切となったのだと思う。

「過剰」と「シンギュラリティ」の関係、これがあらゆる表現芸術ジャンルに関わる問題系を考える手がかりを示しているのだ、と僕は思う。

2017年9月19日 (火)

Atlas : Gerhard Richter

ゲルハルト・リヒターに アトラスという作品がある。ヘルムート・フリーデルにより、書物にもなっている。2006 Thames & Hudson London
オリジナルは 2006 Verlag der Buchhandlung Walther König, Cologne and Helmut Friedel

写真、自分がとった写真、だれかがとった写真、写真をもとにそこに描いたり塗ったりして手を加えたもの、自分が描いたり塗ったりした作品あるいはその写真、などなどが ひとつのページに何個かづつ組み合わされて
(1)Album Photos1962-66から(783)Sils Maria2006 まで、783のナンバリングと題名がついた形のシートとして提示されている。

リヒターは1966年の段階で「作ることはアーチストの活動ではない」と指摘していた。表現のあり方はアートやアーティストの能力とは全く何にも関係がないのであって、問題は何を目に見える形にすべきかということなのだ、とも言っている。

783の作品は、写真であり絵画であり、コラージュであり、オリジナルであり引用であり、これらを通じて、まさに地表の全体が表示されているかのようでもある。

「何がグレートなのかって?絵葉書をコピーすることだってペインティングになるんだってこと。なんだって描かくことができる、なんて 面白いことか! 牝鹿や飛行機、王様、秘書。もはやこれからは何も作り出すことはない。ペインティングの概念に関して理解していることを全て忘れるんだ。色彩、コンポジション、空間の奥行き。そのほかみんなが知っていたり考えたりすることも。それは突然にしてアートの前提条件ではなくなってしまうのだから」(’93)

«しかしなんだな

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近の記事から

  • ザッハリッヒに・・・
  • 黄組健児
  • 色男というジャンル

amazon

  • シューマッハー 『宴のあとの経済学』
  • シューマッハー 『スモール イズ ビューティフル』
  • 加藤周一『日本文学史序説・下』
  • 加藤周一『日本文学史序説・上』

amazon !

無料ブログはココログ

楽天