2017年9月19日 (火)

Atlas : Gerhard Richter

ゲルハルト・リヒターに アトラスという作品がある。ヘルムート・フリーデルにより、書物にもなっている。2006 Thames & Hudson London
オリジナルは 2006 Verlag der Buchhandlung Walther König, Cologne and Helmut Friedel

写真、自分がとった写真、だれかがとった写真、写真をもとにそこに描いたり塗ったりして手を加えたもの、自分が描いたり塗ったりした作品あるいはその写真、などなどが ひとつのページに何個かづつ組み合わされて
(1)Album Photos1962-66から(783)Sils Maria2006 まで、783のナンバリングと題名がついた形のシートとして提示されている。

リヒターは1966年の段階で「作ることはアーチストの活動ではない」と指摘していた。表現のあり方はアートやアーティストの能力とは全く何にも関係がないのであって、問題は何を目に見える形にすべきかということなのだ、とも言っている。

783の作品は、写真であり絵画であり、コラージュであり、オリジナルであり引用であり、これらを通じて、まさに地表の全体が表示されているかのようでもある。

「何がグレートなのかって?絵葉書をコピーすることだってペインティングになるんだってこと。なんだって描かくことができる、なんて 面白いことか! 牝鹿や飛行機、王様、秘書。もはやこれからは何も作り出すことはない。ペインティングの概念に関して理解していることを全て忘れるんだ。色彩、コンポジション、空間の奥行き。そのほかみんなが知っていたり考えたりすることも。それは突然にしてアートの前提条件ではなくなってしまうのだから」(’93)

2017年9月12日 (火)

しかしなんだな

このところ調子にのって書いているうちに、なんかコメント頂いたり、去年の10月にアマゾンから180円くらい入っていたり、と「世間」から反応があったんで、びっくりしたというより、急に妙に人の目を意識するようになった。これは本来の趣旨に反するのだ。本来は「石が書く」的なイメージで始めたのに。どういう意味かは、昨年秋のブログをご覧ください。また、石が書くのであって、「石に書く」ではありません、念のため。

このところマイケル・フリードの写真論を途中まで読んだところで、ジェフ・ウオールのカタログ・レゾネ(2004年の展覧会の時に作られたもの)や、PHAIDONの写真集を注文したり読んだりして、すっかり遠回りしている。それに遅ればせながらロラン・バルトの「カメラ・ルシーダ」を読んだり(まだ途中まで)で、停滞が激しい。
最初見たときは、あれだけナゾ度の高かったウオールも、いろいろ写真集やらその説明など見ているうちに、だんだんとナゾが解けてきて、次第に自分的生活の中の「普通」に入りつつある。
この4月に職場を離れて、日々痛勤の義務がなくなったことを楽しんできたが、それも多少飽きて来て、次の刺激が欲しくなって来たところでもある。

また、ブルーノ・タウトの旅行記の一部を読み、なんであれ新鮮な出会いこそクリエイティブの始まりであることを改めて感じた。

いいわけや、傍証、もっともらしい理屈付けや根拠の提示など、たくさんだ。
こないだも、電車の中で、福永武彦の『草の花』の一場面が浮かんで、これこそ「アートとはなんであるか」ということに関する素晴らしいお話になるじゃないか!と思いついて、それをブログに書こうと思ったのに、なまじ時間があるから、つい、我が家で『草の花』の文庫本を探して見つからなくて、本屋で改めて買うのもばからしく、結局実家の中公版「日本の文学」をとりにいった段階で、最初の新鮮なアイデアを生かそうという気力が失せてしまったのだ。そんなくだらない傍証や言い訳のために時間を費やす自分の馬鹿さ加減に、嫌気がさしたというわけだ。
人生は旅だ。あるだけの材料で思うがままに書き、思うがままに屁でもすればいいのに。何か正しく書こうとか、だれかが読んでるとか、アマゾンから180円入ったとか、そんなバカなことばかり考えるようになったら、まさに「終了」だ。ダウンタウンの浜ちゃんみたいに「ハイ、終了〜」って感じね。
と、いうわけで、話を変えよう。昨日、ルノーのルーテシアという自動車(比較的安価でマニュアルの設定がある珍しい車)のようすを見ようと思って、ららぽーと横浜行くついでに横浜青葉ルノー販売店に思いつき的に寄ったんだ。そんでなんとなく聞かれるままに車歴のことなんか、「客」として話してたんだけど、あれこれ話してたら、お相手してくれた営業の為ガイさん(女性)の自家用車がなんと、MTのABARTH500(左ハンドル)だったとか言われて、ギャフンとなったわ。その後営業がらみでしばらく店のMEGANEのってたとか。なんだよ、若いのにすごいクルマのってるじゃん。自分が直近まで乗っていたマニュアル車といえば、軽自動車だからね・・。
ま、いつもとおんなじような感想ですまないけど、ホント「みんな、凄いね」。
今日はここまで、じゃまたね。

あ、そういえばネットでみたら福永の『草の花』、今でもそこそこ読まれてるみたいだね。自分的には、なんかバルトの punctum がありすぎて、『草の花』を取り上げようとしただけで、めまいが生じるくらいで、遠くにつれていかれそうで、なんかキビシイ。

2017年9月 1日 (金)

おととい蔦屋家電で

ラテ飲みながらブラウジングするつもりで、ボードリヤールの『芸術の陰謀』日本語版2006塚原史 訳 NTT出版、 ほとんど読んじゃった。本が手元にないので、適当なまとめになっちゃうけど、ようするに現代アートは中身がないのに中身があると称して「裸の王様」みたいになっているんだみたいなことをしきりに 述べている。あ、この本は雑誌のインタビューなどをまとめたものなのね。ボードリヤールによれば、現代アートは自らを凡庸であると称し、「無」にむかっているのだと。この本が作られたころフランスでも現代アートブームだったんだろうな。作品がすごい高い値段で取引されるという状況のはしり。ボードリヤールの指摘していることは、まったくその通りなんだけど、ボードリヤールが「批判的」に述べていることは、別に批判でもなんでもなくて、アートはそういうものを構造的に最初から持っているものなんだと僕は思っている。どういうことか説明しよう。アートは「美」に関連するのだが、何が美しいかは、ある意味主観的であり、「趣味判断」に属するともいえる。一方、もうすこし踏み込むと、美しいものは「稀にして困難なものだ」ということについては、まあそこまで反論はおきないだろうと思う。その上でどのような技芸が「稀にして困難」な「美」を現出するのかはそれぞれの時代のテクノロジーのあり方によって決まってくる。そのようなテクノロジーを可能にする知識や実践の水準が問われてくるのだとも言える。

何か「感性的」な美の直接性みたいなものは「ない」。それがあるように思えるのは反省(思考)が足りていないだけのことである。アートが人為的な構成物である以上、アートを通じて意識の志向的対象となっているものは必ずや人為的に構成された何かである他はないのだ。ただし、その構成作用は、個々の作品の製作者が構成するに留まるのではなく、作品をとりまく社会的文脈の中で構成される。仮にそのような社会的文脈を「アートワールド」と言うのであれば、「アートワールド」におけるパフォーマンスがアートの質を決めるのだ。
本来はそのことは(多分)ボードリヤールが自身で述べている事なのではないか。価値の実体のない信用通貨が価値を代理表示しているうちに、ほとんど価値そのものと同化してしまったことはだれでもわかっている事だ。そもそも「実体」なんてものは「もともと無かった」し、そんなものを求めるのはただの「ロマンティック」というものなのだ。順番が逆になっているのだ。
「王様は裸だ」と言うことについては、誰かがそれを言った時、みんなが「王様は裸だ」と笑いだす事が大事である。それが起きる、つまりみんなが同調するのは、「真実」への確信が共有されている、ということであり、それが可能なのはロマンティックな「おとぎ話」だからなのである。同調者がいなければその指摘は宙にすいこまれるだけだろう。
少なくともモノを作る側から言えば、いかなる作品であれ、それらは苦心して「構成」されるものであり、それ以外ではない。ただし、「構成」するためには、それが理解されるための共通のコードがあること、さらに広くは一定のランガージュのようなものが背後にあることが大事なのだ。アート言語の再解釈と再構築がアートの本質をなしている。
だとすると、今更ながら「アートの陰謀」などと言うのも、世間から引退した親父の繰り言ならともかく、あまりまともには受け取れないかと思う。ボードリヤールがインタビューを受けていたちょっと前にフランスではGuy Debord の La Société du Spectacle の第3版が発行されたばかりでちょっとブームになっていたこともあり、対話のなかでそんな話題にも触れている。あるいみ現代アートの置かれた社会的文脈というかアートの社会へのインパクトと言う点では、その大きさは限りなく小さくなって、政治や社会に対してスペクタクル的なインパクトを与えることはなくなっていることは間違いない。その一方でアートが「価値」保存の対象として、世界中で高値で取引されているのはずいぶん皮肉な話だ。今や世界中の資本家が「困難にして稀な」アート作品を手に入れようと、つまり「美」そのものを我が手に入れようと、激烈な競争を繰り広げているのではある。いまやアートは貴金属同様、財貨の一部として資本家の愛玩物の地位に甘んじているのだ。

今日の話は、前回の「偶有性」の話につながる話として書き出したのだけど、そこまでいかないうちに終わってしまうのだ。読んでくれた人、ごめんなさい。
どんな偶然の話か念のため触れておくとこう言うことだ。「蔦屋家電」で席をたってボードリヤールの本を棚に戻した後、岩波新書赤版のブルーノ・タウト『日本美の再発見』1939 が棚にあるのを偶然みつけたのだ。(こちらは購入しました)。ブルーノ・タウトと桂離宮の「美」の発見というのはよく知られた話である。
これに関して、井上章一氏の『作られた桂離宮神話』1986 という本がある。結論を先に言ってしまうと、井上氏の議論はボードリヤールが「芸術の陰謀」という時と同じ問題の立て方をしている。

「神話」はだれかが作ったのであり、井上氏の本のタイトルは「同じ意味内容を繰り返している」だけなのである。そこになんかスキャンダルくさいオーラを持たせようというあたりの構成がまったくボードリヤール的だ。 つまり今日のここでの話のあたまにあったように、批判めいた感じがするけど全然批判にはなってない、むしろ当たり前のことを言おうとしている。ということになる。

直接的な「美」なんて存在しないし、そういうのがあるような気がするのは多かれ少なかれ「ロマンティック」なマボロシなんだから、井上氏が「桂離宮を見てもちっとも感動しない」のは当然「ありうる」ことなのであって、別に井上氏は「自分は亡命者だ」なんて思う必要はない。むしろそんな当たり前のこともわからない周囲の方々の知性の水準を疑うべきなのだと思う。そう言う意味では「作られた・・・」はあまり買わない。対して、タウトの「再発見」は面白い。なぜ面白いのかについては次回だ。なにせ今日は十分長くなった。タウトの話はまた後にしよう。それにタウトの話はこのブログの基本線である昭和10年代文化論に直結してくる話題でもあるのだから。

2017年8月31日 (木)

極極「弱いつながり」について

あぶなく忘れてしまうところだったが今思い出したことがある。つい二、三週間まえのある日、たまたまテレビをつけたら、市民大学講座の番組らしいものがうつった。黒茶っぽい皮膚の色のどこかの文学者が話しをしていて、「文学にとって大事なことは、関係というものであって、どんな民族がどうしたとか、どんな言語がどうした、ということではない。relative、「関係性の文学」 が大事なのだ」みたいなことを話していた。

それを聞いて「なるほど、その通りだな」、と思った。普段から日本の昭和10年代思想がどうしたとか言っている自分がいうのもなんだか矛盾したことを言っているみたいに思うかもしれないが、文学に限らず、社会や芸術とかについて何か考えるときに、別に日本がどうしたということを特別に求めているわけではない。手元にある材料、つまり人とか本とか、出来事とかが、日本のものばかりしか知らないので、どうしたって文学を考えるにしても社会を考えるにしても「日本」のことばっかりになってしまうのであって、何か考えるときに、僕が特別に「日本」にこうなってほしいとかということに入れ込んでいるわけではない。ついつい「日本」のことばかり話題にしてしまうのだが、自分の本意としては、何か「日本」を国際社会の中で優れた国家としたいとか、よくしたいとかといった「上から」目線で言いたいことがあるわけではない。そもそも僕がいようがいまいが「日本」はあるわけで、それはそれで立派にやっていることなのであるから、僕のようななんでもない人がそれについて「あれこれ」言えるわけもないではないか。ただ、つい、枕詞的に「日本が・・」みたいに話してしまうことはよくある。
さっきの文学者の話を聞いて、「その点についてあんまりウカツではいけないな」と思ったのではある。

考えるまでもなく、身の回りにはいろんな文化の生成物が溢れている。着ている洋服はあらかた中国とかアジアの国でできたものだし、インターネットラジオではこのごろイタリアのRadio Uno ばっかり聴いている。知人も「ニホンジン」ばっかりだと思っているが、もしかしたら僕が知らないだけで実はアジアの出身の人が含まれているのかもしれない。こないだも政治家が台湾のナショナリティを持っていることが話題になっていた。

こうやって何か東京の一画にある狭い部屋で書いている自分にとって、「つながり」(関係性)というのがどんな風にあるんだろう、とあらためて考えてみると、実はいろいろあるんだな、と思う。twitter では合衆国大統領の感想も即座に知ることができるし、その対立候補だった人(クリさん)や、民主党の候補者選びでその対抗馬だった人(サンさん)の意見もそこですぐに読むことができる。
もちろん、それらは相互的な関係ではない。こっちは向こうの発言を聞くが、むこうがこっちの発言を聞くわけではない。そもそもそんな片側通行の関係をか「関係」と言えるのかも定かではない。しかしよくよく考えてみると、だいたいの人間関係なんてのは「一方通行」的ではないのか。会社のボスは、君に対して「お前はクビだ、 You are fired ! 」と言えるけど、君からは言えない。それなのに、なんか「相互的な」関係があるように思っているだけなんじゃないのか。「同じ会社に勤める同僚じゃないか!」みたいにいうかもしれないけど、一旦会社を離れてしまえば、実はなんの「関係」もなかったのではないか?
そう考え、あらためて「関係性」のあり方というのを冷静に考えてみると、意外にも「関係性」みたいなものって少ないね、と思う。「家族」とかはとりあえず別にしておくよ。それから「小学校時代の友人」みたいなものも「過去」の関係なんで、とりあえず除いておこう。そうすると、現在という時点での「関係性」としては、むしろ毎日通る商店街でよくものを買う店員さんとかとの関係みたいなものが一番リアルでかつ確かなものにも思えてくる。あとは混んでる電車でぶつかって「不愉快」だと思う名前も知らない人との関係ね。これは感情的にはとても強い関係かもしれない。でもその人と二度とあうことはないだろうけど。それに続いて、メディア現れる政治家とか芸能人とか。でもそういう人との関係は一方通行的だよね。関係性ってなんだろう?
ここで参照しようと思ったのが 東 浩紀 という人の『弱いつながり』2014幻冬社 の議論なんだ。

その本では、海外旅行とかして、たまたま出会った出来事とか知識とかというものが、偶有的な「弱いつながり」でありながら、個人にとって極めて重要なものとなりうることを論じている。

これはその通りだと思うんだよね。chance, accident , もうすこしメンタル強度をおとした言い方をすれば、「偶有的」contingency なものこそ、人生にとって重要なんだろうと思う。

今日はその弱いつながりの連鎖について何かかこうと思ったのだが、もう疲れちゃったのでやめる。ただ、偶有的な連関というものが心的機制の中で占める位置は意外と大きいのだと思う。

例えばさっきまで沖縄の共産主義政治家の映画の話を書いていたけど、それを書きながら、ずっと心にエコーしてたのは、イタリア共産党の創始者にして、活動のほとんどの期間を獄中で送った、あのアントニオ・グラムシのイメージなんだよな。
グラムシの論説の中で有名なものの一つがイタリアにおける「南北格差」を論じて、共産主義運動の中でどのように問題化していくか適切な方向を示したのが  Il problema meridionale だ。グラムシは北部の人間なのだが、そこで適切な方向性を打ちだせるところがグラムシのビッグなところなんだと思う。それとはもちろん別なのだが、ヤマトンチュの政治家が「日本」という政治の舞台でポリティカリーに適切であろうとするときにオキナワはどのように扱われるべきなんだろう、ってこと。そこがきちんとできるかどうかは、とっても重要なんだろうな、ってなんとなく思う。それだけのことなんだけどね。

「弱い弱いつながりを温める」という話題はまた改めて。







瀬長亀次郎の沖縄

おととい、『米軍が最も恐れた男 その名はカメジロー』見た。TBS制作のドキュメンタリーをもとに作られた映画。キャスターをしていた佐古忠彦さんが監督。坂本龍一、大杉漣、山根基世さんなど参加の作品だ。沖縄問題まったく無知な私だが、面白かった。何と言っても映像資料に記録された瀬長亀次郎1907-2001の、それぞれの場面での様子が、いちばんよかった。痩せて骨ばった顔つきに、その人の人生がそのまま現れているように思えた。まさに「不屈」な面構えと言えるのではないか。見ているだけで何かインスパイアされるものがある。
また、前沖縄県知事であった仲井真氏の父親が沖縄経済界の大物で、その線で、米軍統治下の政治に関わっていたことなども触れられ、なるほどなという感じだった。
瀬長をめぐる出来事でもっとも感動的だったのは、瀬長が那覇市長となると、米軍が琉球銀行を使って資金を途絶させたり、水道インフラを使えなくさせたりしたのに対して、市民が「自ら納税に訪れ」市政を支えようとした、というエピソードだ。これこそ「不可視」の共同体を作動させるという意味で、政治の本質をあらわしていると思える。

その後、Wikiをみると、沖縄人民党と日本共産党との関係など、微妙な問題があることがわかった。興味のある方は直接調べていただきたい。Wikiの文章を引用すると、次のように記されている。
「人民党時代、瀬長は共産党員であることを一般には一切秘匿し反米市民活動家としての立場をとっていた。那覇市長時代も瀬長及び人民党と日本共産党との関係は一切秘匿されていた。また、瀬長の活動を記録しているとしている記念館「不屈館」においても、米軍統治下に非公然の日本共産党員であったとは一切認めていない。云々」

そんなこともあって瀬長についてあまりふれられなかったのかなとも思ったが、実は1998年に岩波が映画『カメジロー 沖縄の青春』を作っているし、2005年には小林よしのりも共感的に触れているんだってさ。

たった今Wikiの最後の記述で云々、と書いたところには
「上述の映画やマンガにおいても、瀬長及び人民党による島ぐるみ闘争が日本共産党琉球地方委員会の指導下にあった闘争であることを描いていない」とあるのだが、まあその辺がどうなっているのか、今は知りたいとは思わない。さしあたっては 現在の状況との関連で、こういう映画を作った製作陣に対して、「なんだマスメディアがその気になってきちんとやれば、やれるじゃんか」と思ったことを書いておこう。がんらい大メディアはいろんな資料映像をもってるんだから、いくらでもやれるはずなんだよな。それをやらない今のメディアが酷すぎる、サボりすぎてるってことだろうな。
おとといのユーロスペースでも上映後の誰もいないスクリーンに向かって拍手があがったぞ。
佐古さんてテレビの画面ではおとなしそうな人に見えたけど、なかなか頑張ったじゃないか。

2017年8月28日 (月)

はるばる四街道で林道郎氏の講演を聞く

26日土曜日、川村記念美術館で、林氏の講演聞いてきた。川村行くのに自宅から片道3時間かかった。林氏の講演(シンポジウムは除く)きくのは横浜美術館でのセザンヌ展以来なので、10年以上たってる。そして、久々に聞いた感想は、「あいかわらず冴えてるな」。何と言っても都心からだいぶ離れた場所での講演なので人もちょぼちょぼかと思ったら、80人の予定の会場に180人集まるという大変なことになってしまってた。4回連続の最後となる今回の講義では、抽象表現主義からコンセプチュアルアートの入り口までを、川村所蔵の作品をとおしていっぺんに問題化しようという試みである。タイトルは「筆触のざわめき:手の無人称」というもの。複雑に見える現代アートの流れがいくつかの図式で整理されて、とにかくとてもわかりやすい。まずは50年代から60年代絵画の流れの図式化。次にそこで問題となったことを3つの面から見ていく。① サイズの問題 ②垂直性、重力の問題③筆触の問題。


①について。抽象表現主義の画面は大きい。しかし元来祭壇画は大きいし、サロン絵画も大きくて、サロン絵画の場合、人々は絵の前に集まって、あれこれと話し合うことが大事だったのだ。むしろ小さい画面は17世紀のオランダ絵画が市民コレクターを相手にして小さくなったのであり、同じことは印象派の作品にも言える。20世紀に入るとサロン絵画の役割はむしろ映画がその役割を担うようになった。人々は映画をみて、それについてあれこれ語るのが普通だ。そういうことを通じて、映画は公共的な意義を負うようになった。絵画においても1920年代から30年代において大画面の壁画が公共的な意義をもった。ピカソのゲルニカは1937年パリ万博のための作品であり、メキシコ革命の精神はシケイロスやリベラによって担われた。あとはビルボード(巨大な商業広告の絵画)もある。抽象表現主義作家の中には若い頃にこうした巨大な画面をつくる作業を通じて修行したものもいた。抽象表現主義の特徴は画面の巨大性を採用しつつ、絵画の中の物語性は否定し、かわって抽象性、純粋性、非象徴的なものを作ろうとした。ポロックの絵は、個人による鑑賞を前提としている。

② 垂直性の脱構築、あるいは重力との交渉。西洋絵画の伝統において、絵画は基本的に地面に対して垂直に置かれることが前提であった。絵画は「窓」なのである。マサッチョやアルベルティのPerspective でも鑑賞者が垂直面に向かい合う形になっている。絵画の制作において作家は基本、立てたキャンバスに対して筆を使うのである。
ところが、ポロックの場合は、床に置いた画布の上にペイントを落としていく。ドリッピングやポアリングの手法とともに「水平性」が意識されるようになる。また画布の置かれ方、支持体との関係も強く意識されるようになる
。一方垂直性に対するこだわりはロスコにおいて顕著であり、縦長の「窓」画面へのこだわりは、横長画面を使うようになったあとも、構図の中に残された。ちなみに、縦長の画面というのは身体の垂直性に関係し、絵画と身体との鏡像的な関係(「画家の自画像」というジャンルとも関係する)、の問題でもある。絵画の水平性が問題になる頃、彫刻のほうでも同じ問題意識が出てきた。
③ 筆触の問題。これは媒体となる画材の扱いとも密接に関係する。タッチは様式化するとすぐに他の人が利用するようになる。タッチには個性と匿名性が隠れているのだ。タッチは一回的(偶有的)なものと様式的(反復的)なもの、個性と匿名性という二つの対立軸の間で再構成されていく。個性化と反復のフェーズではではシミュラクラとしての作品、一回的かつ匿名的なフェーズではトウォンブリ的な実践が
あるといえるだろう。ここで起きているのは、「作者のセンスには還元できない、表面をめぐる微細な事件」なのである。

以上、90分ほどの講義の内容をまとめて見た。林さんらしさを感じたのは、例えば、絵画の「垂直性のゆらぎ」の始まりをセザンヌの「クピドのある静物」に求めたところとかだな。林さんはもともとセザンヌ研究からスタートしたのだからね。
「絵画について語る」ことを、林さんほどスリリングに、時には十分にエモーショナルに、かつ誰にでもわかるような平明な語り口でやれる人は、この島国ではほかにいない。たぶん唯一無二の人だな。
質疑応答に際しての会場からの有意義な、あるいはヘンテコな質問に対しても、どちらに対してもハイグレードな答えを提示していた。オトナだなぁ。

あー、久々に聞いて、メチャ刺激になった。帰りの佐倉駅までの送迎バスの中でつくずく思ったぜ。「かつての職場でもこうした話題の100分の一でも話題にできればよかったのだがなあ」、と。そしてあらためて思ったぜ。「到底無理だよな」。
じゃ、みんなも頑張ってね。

2017年8月24日 (木)

Photography of Jeff WALL

ジェフ・ウオールという写真家がいる。カナダ出身で1946年生まれ。今や70過ぎだ。この人の写真の特徴は、展示の際に後ろから光を当てて透かしてみせる形で展示していることだ。またサイズもかなり大きくて、ルーブルにあるドラクロアやジェリコーの作品みたいな大きさ感である。画題はとても多様で一言ではいいにくいが、一度みたら忘れられない印象を残すものであることは疑いない。僕は実物をみたことはないが、ウオールの展覧会の展示の様子を示した写真はみたことがある。

スーザン・ソンタグが『他者の苦痛へのまなざし』という評論の最後のところで、「写真の被写体となった人々は写真の前に立つ人に何も求めているわけではない」、彼らの眼差しと写真の前に立つ人の眼差しが交差することはないのだ、と、前回紹介したように述べて論述を締めくくっているのも、ウオールの写真に触発されてのことなのだ。

ウオールの写真製作は1970年代の終わりころから始まっていて、2007年だったかな、テート・モダンで大規模な展覧会が催され、押しも押されぬ大作家であるらしい。

よくはわかんないけど、日本で紹介されたり展示されたことはないのではないかな。

ぼくもこの人の「写真作品の写真」をみて、めっちゃ考えさせられた。ウオールの作品は、写真ではあるけど、「作品」性が高い。つまり「一点もの」的な、あるいはインスタレーション的な感じでもある。それ以上にそこに描かれているものがとても印象的である。
みなさんに作品そのものをお見せできないのが残念だが、ぼくが今読んでいるウオールについて触れている本がおいてある状態で、遠くから撮ったぼくの部屋の写真を二枚のせておくからそこから推察してね。

ウオールの写真はある意味では、近代絵画の歴史に関する知的考察を表現した作品だともいえる。それは言語的考察というよりは写真的考察なのであって、写真という手段によってしか表現できない「近代絵画の歴史」なのでもある。

その意味では、僕が前に考察したことがあるアメリカの絵画作家、マーク・タンジーとも共通するものがある。ちなみにマーク・タンジーとジェフ・ウオールをウェブで「&検索」してみると、フランスの美術評論サイトで一つだけタンジーとジェフ・ウオールの共通性を論じているものがあった。


「写真とは何か」というと大きすぎるけど、アート・フォームとしての写真という風に限定すれば、結構いろいろ見えてくることもありそうだ。
また「写真」と「映画」の間にもある種の連続性がある。ある意味では「写真」は映画をぎゅーっと圧縮したものだと言えなくもない。日本の写真作家、杉本博司さんという人の作品には、アメリカの地方の劇場をとった作品群があるらしい。その作品は映画がかかっている間、ずーっとシャッターを開放にして、結果、劇場のしつらえと白く光るスクリーンだけが写っているという作品だ。これこそ「圧縮された映画」そのものではないか?

よく世間では「ネタバレ」云々とか言っていて、映画はストーリーが大事だとか思っている人が多いようだ。ぼく映画に求めるのはそういうものだけじゃない。究極、2時間とか1時間半とかという「映画的時間」の枠内でどれだけ自分が触発されあれこれとものを考えることができるか、が映画の価値である。
だとすれば、杉本さんの作品のように、真っ白なスクリーンの輝きだけを写した写真であっても、それについて色々考えることができれば、あるいは考えるように触発されれば、そこには映画一本ぶん、いやそれ以上の価値があるのだ。真っ白なスクリーンは映画何本分にあたるのか。数えきれない。

今はジェフ・ウオール、杉本さん、ブスタマンテとか、新しい「写真」アートを通じて「考える」課題を負ってしまった。新しい分野を通じて考えを深めるという、生活の上でも実践の上でも新しく苦しい、課題に向き合っているHATOなのだ。そんな苦しい夏の終わり。

ウオールにはやられたね。あのソンタグですら、ウオールによって「考えさせられた」わけだし。ホント、アーティストってすごいよな。


「なんだよこのところブログのテーマもすっかり昭和10年代論からはなれちゃったじゃねいか」、とお怒りの方もいるかもしれないけど、しょうがないんだ、ごめん。






Who's Robert Edward Lee ?

Regarding the Pain of Others,   Susan Sontag 2003  読んだ。どういう文脈で読んだのかは、次回の話題にするからね。

ソンタグの本は要するに「写真」とは何か、っていうことに関する考察なんだけど、それに関していろいろなことが論じられている。

その話題の一つとして、写真が博物館(美術館)に展示されるようになって、ある社会が引き起こした過去の蛮行をイメージを通じて再確認させる役割を担うようになってきたことが触れられる。1930年代40年代のヨーロッパユダヤ人の絶滅については、ワシントンDCのホロコーストメモリアル博物館、ベルリンのユダヤ博物館がある。そこを訪れる人は写真やイメージなんかを通じて被害者の苦難を再・記憶する風にできている。そんなこともあって、戦争や蛮行の犠牲となった人の間にはミュージアムを求める声があるんだ、と。たとえばオスマン・トルコの大量虐殺を受けたアルメニア人がワシントンにそのミュージアムを作るように長く求めてきた。そんなことに触れた後、ソンタグは、さて「さてアメリカではアフリカ系アメリカ人が人口の多くを占めているのに、どうして「奴隷制の歴史」についてきちんと語る博物館を首都に作ろうという話にならないのか」、と話題をむける。
いや、首都だけではない、全然ないんだ、と。どうしてか、それはあまりにもデンジャラスだからだ、と。だって、そんなものを作っちゃったら、「悪」が「ここ」にあることになっちゃう。だってアメリカは特別な国で、常に進歩していくものなんだから、というわけだ。

たしかに、公民権運動やキング師について語ることは非常にしばしば行われているのだが、常にそれは「進歩」とかヒロイックな活動の結果として新たな自由を獲得したという「お話」の中でしか話題にならないんだよな。つまり問題は、写真とかの直接性というより、それを巡る「お話」の問題なんだってこと。


「過去と向き合う」みたいな話を前回出したのだが、どういう形で「過去と向き合う」のか、そこがポイントなんだよな。

先週は長野県御代田町にいて、すっかり休暇ムードに浸ってしまった。前回ヴァージニア州シャーロッツビルの事件について触れた挙句、「過去に向き合う」みたいな話を書いてしまったが、考えてみれば適当なことを書いたもんだ。

2011年に卒業した学年と修学旅行で長崎に行った時、「被爆者の方々の体験を聞く」ということを企画した。お話ししてくださった二人の方のお名前は今は思い浮かばないが、その話はとても良かった。何が良かったかというと、お二人とも、原爆の証人としてとても強い課題意識を持ち、その使命感に基づいて「生き生き」と生徒たちに接してくれたからだ。語ってくれた方々の身体の内側から湧いてくる強い生命力がもたらす肯定的な力があった。同情をもとめるのではなく、次の世代に何かを伝えたいという情熱が伝わってきたのだ。生徒たちは講演のあともずっと二人を囲んで話あっていた。

「過去に向き合う」ってどういうことなんだろう。なんか写真をみてイメージを作るということとは全然違うんじゃないか。

ソンタグは、その議論の最後ではっきりと述べている。 以下、引用

『他者の苦痛への眼差し』北條文緒 訳  2003.7 みすず書房を参照。


・・・死者たちは生きているものたちにたいして、自分の命を奪ったものたちにたいして、目撃者たちにたいして、またわれわれにたいして全く関心がない。彼らがわれわれの眼差しを求める必要がどこにあろう。「われわれ」、この死者たちの体験のようなものをしたことのない全ての人間、は理解しない。われわれは知らない。われわれはその体験がどのようなものであったのか、本当には想像することができない。戦争がいかに恐ろしいか、どれほどの地獄であるか、その地獄がいかに平常となるか、想像できない。あなたたちには理解できない。あなたたちには想像できない。戦火の中に身を置き、身近にいた人々を倒した死を幸運にも逃れた人々、兵士、ジャーナリスト、救援活動者、個人の目撃者たちは断固としてそう感じる。それはその通りなのだ。

(引用終わり)

他者の苦痛をどう「理解」するのか、いや理解なんてできっこないじゃん!全くそうなんだ。その上で、いやそこからいろんなことが始まるんだろう。

写真はしばしば直接的に「真を写す」ように誤解されるけど、写真もある意味ではひとつの象徴に過ぎない。象徴にはその「意味」を示すストーリーが常に付随している。


シャーロッツビルにおいては、どのような「現在のストーリー」が戦いあっているのか。
「リー将軍」の銅像がある。リー将軍の銅像というシンボルにはどんな「意味」が込められているのか、どんなストーリーが付随しているのか。
そこをきちんと問題としないまま、ただ銅像をひきおろすといアクションで解決するだけではまずいのではないだろうか。「リー将軍大学」の名前をとってしまえば済むということではないだろう、と思う。

2017年8月17日 (木)

Charlottesville 事件に関連して

ずいぶん間が空いてしまいました。8月10日より御代田町の標高960メートルくらいの所に滞在しています。東京地方では連日降雨を見ているようですが、こちらも結構雨がちで、寒い日々です。
さて先週土曜日には、アメリカ合衆国Virginia Charlottesville で「白人至上主義」の団体による集会が行われ、これに抗議する人々の集団に、車が突っ込み死者がでるという事件が起きました。詳しいことは知らないのですが、シャルロッテビルには南軍の将軍、Lee の名を冠した大学があり、そのStatue もあるようですね。オバマ大統領のころから、南部の各州では、南軍を象徴するバナーが公共の施設から外されるなどのことが起きていて、アメリカ人の歴史や文化におけるラジカルな態度には結構驚きました。過去のマイナスを否定し、新しい「共和」主義に向かっていく姿勢は、僕のような日本の停滞した文化を前提とする人間には「随分思い切ったことをするなあ」と映っていました。
今回の「反動」勢力の表面化を見て、いままで見えなかったものが見えて来たんだな、と思いました。
シンボルを巡る争い、あるいは「言葉」の争いとして、政治の場に人々の意思が現れてくるのだと思いますが、トランプ政権になって、いままで水面下にあった色々な「右派」の意思が表面に現れて来ているのでしょう。
NY Times のオンライン記事によると、こうした右派を Alt-right と呼ぶそうですね。alt-right の特徴は、それが極右の運動であること、白人民族主義であること、反ユダヤ主義であることの三つで、「白人のアイデンティティ・ポリティクス」なのだそうです。それは同時に「反・移民」「反・フェミニスト」、「ホモセクシャル、ゲイ、トランスジェンダー反対」を掲げます。こうした勢力の登場とともに、政治の世界を記述する新しい表現がいろいろ出て来たとのことです。Alt-Left というのは、alt-righit のついになるような連想で使われるけれど、実態はない。 Alt-Light という表現もあり、これは alt-right の一部なのだけれど、人種主義的な面がすくない考え方とか。
左派のほうでは、 Antifa というのがあって、これは anti-fascist で、もともとは1960年代にドイツで極右に対抗する左派の流れからきているとのこと。
とにかく行動に訴えるということでSJW「社会正義のための戦士」 social justice warrior なんて勢力もあるとか。これも左派のほうなのだと思います。

白人至上主義者の間ではナチのスローガンであった Blood and Soil なんて言葉が使われたり、危機感をあおる White Genoside なんて言葉も使われたりするそうです。そうした人たちの間では、人種間結婚や移民はユダヤ人の陰謀であるなどと考えられており、グローバリズムが求める国境の解放や多様性diversity 、ネーションステートの弱体化もほぼ同じ線の上に考えられているそうです。
Anti-racist is code word for anti-white.
なのだそうです。

ドイツではナチスの蛮行に対して戦後の世論は極めて厳しく、こうした右派が政治にまで現れないように、教育や文化活動を通じてさまざまな方策がなされてきたわけで、どこかで書いたかもしれないけど、10年位前にベルリンを訪れた時には「歴史博物館」や「壁」の記念館などの公共施設の至る所で、ナチの蛮行を繰り返して思い起こすような活動が行われていたのを思い出します。過去の過ちをきちんと見据えるということは徹底して行われていました。今回メルケル首相がいちはやく、アメリカの右翼の活動を非難しているのも、そういうドイツの文化的背景があるわけです。

さて、8月15日のNHKでは「インパール作戦」について放送していました。日本軍の「失敗」についてはたびたび論じられていますが、今回のNHKの伝えた資料も同じ事実をはっきりと示しています。
このブログでもなんども触れたように、昭和10年代に日本の文化や社会が、経済的には一定の水準にまで到達しているのに、その事実の認識を得るほどには知識の水準が及んでいなくて、激しい勢いで思想が劣化していく様子を見て来たわけです。優れた知識人とされる人までが、魔法にかかったように「神懸かり」的なことを言いだしていったことはこのブログで、検証して来たとおりです。過去の過ちときちんと向き合う、ことを改めて思いますね。きょうはここまで。あ、堀田さん、もうねちゃいましたか?

2017年8月 6日 (日)

堀田さん

堀田さんに、「このブログを見ても3行で眠くなる」と言われたので。よし、今日は4行は読んでいただこう、とスタートしましたヨ!

気鋭の映像作家、太田監督(制作ユニット松田真子主宰)がある目的のもとに短い作品を作ることが急遽決まり、昨日8月5日、ほぼ丸一日かけて撮影等をするのに立ち会った。ちなみに不肖・早川トオルもちょろっと「出演」させていただいた。現場は機材や録音のため空調を止めていた関係で暑苦しく、12時間以上に及ぶ撮影は肉体的にも厳しいものだった。松下、安部、徳倉、松永ら俳優陣とともに、前述の堀田さんが録音始め現場全体のムードを終始もり立てた。作品はまだ出来上がっていない(そりゃそうだ)。しかしながら撮影の様子を見るところでは、太田作品の特徴がよく現れた、短いながら現代社会への批評的な眼差しを含み、人への「優しさ」を感じさせる会話劇となっていたと思う。どんな「作品」に仕上がるのか、大いに楽しみだ。
さて、堀田さんに読んでもらうためにここまで書いてきた。堀田さんについてもう少し書きたいがそれは本人の了承を得て後日の課題としたい。

不肖早川トオル、昨日、東京都の北部に隣接する都市(蕨市)の現場に、マイカーで赴いた。普通は都内・近郊の移動は電車を使うのだが、昨日は撮影のあとに行きたい場所があり、車で移動した。そして結構驚いたことがある。それは「駐車場の安さ」ね。自分が無知だっただけなのだが、撮影の場所は蕨駅から徒歩7〜8分の場所で家やマンションが立て込んでいる。そこの時間貸し駐車場、いざ料金を払おうとしたら、丸一日止めておいて400円だった。うちの近所(都内のはずれ)だと、15分200円とか、って単位だよね。こりゃ「安い」。これだとクルマの運用コストがうちの方とは全然違ってくる。でも蕨市って東京のすぐ隣だよね。まあ、すべては需要と供給の関係で値段がつくわけだから、この値付けも合理的なものなんだろうけど、けっこうびっくりしたわ。そんで、昨日は戸田で花火大会があって蕨あたりでもかなり真近に観賞できる。その割には蕨駅のあたりの飲食店への人出があまり多くないのにも驚いた。東京とその近郊も世界のグローバル都市同様、バカンス期には住民が出払ってしまうのだろうか?ちなみに駅近の駐車場にクルマを2時間止めて、200円だった。安いね。
帰りは、環7で帰ったけど、土曜の夜ということでスッカスカだった。とろいワンボックスが真ん中寄りの車線をタラタラ走っているのをスカッとかわして気持ちよく家路に着いたゼ。

堀田さん!最後まで読んでいただけましたでしょうか?



8月5日蕨駅西口 機まつり の様子

«詩と映画は手に手をとって一つのリアリティを映し出す、か?

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最近の記事から

  • ザッハリッヒに・・・
  • 黄組健児
  • 色男というジャンル

amazon

  • シューマッハー 『宴のあとの経済学』
  • シューマッハー 『スモール イズ ビューティフル』
  • 加藤周一『日本文学史序説・下』
  • 加藤周一『日本文学史序説・上』

amazon !

無料ブログはココログ

楽天