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2016年8月

2016年8月31日 (水)

本あれこれ

今日はちと用事があって、出校したが、帰りについ池袋西武地下の本屋によってしまった。店内にはいってすぐ目につくのが、蓮實重彦氏の近著が平積みになっている様子だ。いわく、「オペラ・オペシオナル」、 「伯爵夫人」 「ボバリー夫人論」、・・・・。そのまたフローベール論の厚いこと厚いこと。いったい蓮實氏、どうしてこんなにいっぱい本が書けるのか? 普段執筆に専念しているわけじゃない。教育とか研究とか社交とかいろいろあるわけだよね?・・・・

というわけでびっくりしたのだけど、ほかにもいろいろびっくり。フランスの自転車ロードレース、言わずと知れた「Le Tour de France 」 なんかを題材にした小説を書いている女性がいる(近藤史恵)のだけど、その人の本がすでに2冊文庫化され、(『サクリファイス』、『エデン』)さらに新刊が一冊並んでいる。(『スティグマータ』)いずれも、表紙はロードの写真を使っていて、やたらかっこいい。こういう作品や著者がいることは、ぼくは今日、店頭で初めて知ったわけである。ちなみにそこで、ぼくが何にびっくりしたのかというと、何か新聞の著者紹介欄がコピーされて、本棚に貼ってあるのを見て、びっくりしたのである。というのは、ロードレースに取材して書くということなので、てっきりその業界か、仮に業界関係じゃなくても趣味でロードバイクに乗っているような人が著者として想定できるのわけなのだけど、そこに紹介されている写真をみると、なんと、たぶん一度もロードバイクにまたがったことはなさそうなタイプの女性が著者として、紹介されていたのである。それで驚いたわけである。ま、作者は実際に体験しなくても書けるということなのだろう。山に登ったことがなくても手に汗にぎる山岳小説を書き、恋愛をしたことがなくてもロマンティックな恋愛小説が書ける、ということなのだろう・・・・・。うーむ、なんか不思議だ。

次に岩波文庫の緑版の並んでいる棚のところに行って、本棚を眺めようとしていたら、突然、じいさんが店員を連れてきて、店員に、柳田国男の『遠野物語』をさがしてくれ、といって、店員が僕の前に割り込んできて、緑の帯のところを一生懸命探しだしたんだ。ぼくはそれを見て思ったね、「ははーん、この店員、遠野物語について、知識はないな。」 なんとか「物語」、というから、わけもわからず緑版(日本近代文学)のところを探しているんだな、と目星をつけた。実際には、岩波の柳田に関するものは、青版で売られている。しずかに本を物色したいのもあって、「柳田なら筑摩文庫でさがしたらどうですか」、とか言ってみたが、ふたりとも全くとりあわないので、うざいので、その場を離れた。そのあと、筑摩文庫のところにいったついでに気になって柳田のものを探してみたんだけど、なんと!柳田に関するものは全くおいてない。前はあったんだけどねー。筑摩文庫も結構回転が早いし、あまり売れないものはすぐに店頭から姿を消してしまうんだね。柳田と言えば筑摩が「本家」だ、とかってに思い込んでいたのでは、全然だめだったわけだ。

というわけで、いつもの「ダメダメ」感が改めて身につまされたのである。

経験的知識はそれなりに有用だが、今日の転変激しい世の中では、経験的知識はたいした役にたたないこと、そういう役立たずの知識を知識と思い込んでいる自分にあらためてがっかりしたわけである。

なんとなく寄った元ビブロ、いま三省堂の売り場で、びっくりしたりがっかりしたり、忙しい、今日のHATOなのであった。

2016年8月29日 (月)

横光利一『旅愁』(上)

横光利一『旅愁』(上)が岩波文庫からでたね。この作品は戦後GHQの検閲がはいったものが流布してきたらしく、今回の版(2016年8月17日刊)では、その辺をもとに戻したものらしい。さて、この作品は、前にこのブログで述べたように、1936年2月に、新聞社の後ろ盾で、神戸から船でフランスにわたり、その後ドイツなども回り、9月に日本に戻った旅行から題材を得て、1940年から1943年の間にまず発表したものだ。今回出版された第二篇までについていえばどちらも1940年の発表である。

この作者の語り口のうまさなど、さすがに当時、「小説の神様」とみなされていた作家ならではの面白みは、いまでも充分に理解できるものだ。そして、もう一方、当時の読者が、ほとんどの人はパリを旅行したことなどなかったし、今ほどいろいろなビジュアルな情報などなかったにもかかわらず、こうしたパリの街の個有名が頻出する小説を面白がって読んだ、という点も大いに興味深い。ましてや、戦時体制に移り行く日本社会で、このようなパリを舞台にした高等遊民の生活などを面白がって読む読者が一定数いたかと思うとこれまた興味深いものである。

さて、一方で、先般から問題にしている「ブルジョワ社会の解剖」としての小説というてんではいかがなものだろうか?

ぼくの結論は、その点ではまるでだめだな、ということかな。

そもそもこの小説のタイトルにもあるように、ここでは『旅愁』が問題になっている、つまり、「旅」のもたらす漠とした根無し草感や不安、旅の途上にあるがゆえに、なにもかもが「未決定」になっている状況を描くことがここでの主題なのである。主人公たちは、ヨーロッパにわたる一か月の船旅で形成された、主に日本人同士のグループであり、彼らはその人間関係を維持しながら、春から秋にかけてのヨーロッパ社会の変動を目の当たりに体験することになる。また、彼らがいない間に日本でおきている事柄を、旅の途上の限られた情報からうすうす察知するのである。

彼ら日本人のグループがパリの街角や商店を豊富な資金で遊び歩きながら、一方彼我の社会の成り立ちの背後にある、言語化することが難しい文化の違いに、ときに驚き、あるいは考察を加え、自らの世界観と対比し、あれこれ論じるというような会話がもう一つの軸となっている。

ずーっと前に僕は 遠藤周作の小説をいくつか読んで、彼の小説世界を成り立たせている、カトリック論や日仏文化比較論を検討して、「僕らが知りたいと思っていることがらの近くまで迫って、いいとこまでは行っているのだが、大切なところで、なんかある種の「日本人論」みたいなところにいってしまったのだな」という感想を述べたことがある。

今回横光の『旅愁』にも同じことを感じた。何か作者は、現地で感じた「石畳の物質性」などに言及し、「日本」から遠く離れてあることに触れている。ここにはまさに体験を知に変えようとする何かの思考作用が働いているのだ。そして、登場人物が互いに議論を交わしあい、このように「議論」を余儀なくさせるところがフランスにいるということなのだ、といった意味のことを言うところがある。これもまた、(心からの共感をもって)その通りだ、と僕は感じるのだ。しかし、そこまでだ。著者の考察はそこから先に進むことはない。

そこから帰結するものは「日本回帰」であり、「日本イデオロギー」ではないのだろうか?

みずからの「根無し草」的不安をかもしだしているものは、この作者である人物をパリの地に導いた、昭和のプチブルジョワ社会の世界への関心の裏面ではないのか?日中間の険悪な関係が深まる中、中華レストランで繰り広げられる、日本人グループと店とのサービスをめぐるいさかいが記述されるのだが、それは、この時期の日本プチブルジョワジーの「民族意識」の反映以外のなにものでもないのではないか?

作品発表から4分の3世紀を経過して、一歩離れてみると、この小説は戦後の日本人が海外に初めて赴くときによく利用した団体旅行の様子を描いているように思えてくる。団体旅行のおしゃべり、それはひとつのバスに乗った日本人の団体が、グループの中であの人は好きとか嫌いとか、その場限りの人間関係を作りつつ、一方では旅行中の社会のありようについて、あれこれ素朴な印象や感想を語り合っているそんなことだ。小説全体がそんな場面と何一つかわらないかのようなのだ。

社会の中に存在する分裂は、この集団の中にもあるにもかかわらず、それは全体の中で隠れて見えない。なぜ見えないかというと、フランス人と日本人というような、あるいは中国人と日本人といった、みせかけの対立の背後に隠れてしまっている、あるいは、著者はそのことが見えなくなってしまっていることにあるのではないかと思われるのだ。

1940年代の言説が一様に落ち込み、その後、戦後と言われる時代にもその構造をたもったままとなる認識の枠組みのようなものが、ここにはからずも露呈しているのだ。あえてそれに名を与えるとすれば、それは我らの先輩でもある、戸坂 潤への敬意をこめて『日本イデオロギー』としか呼ぶことのできないものだと考える。

危ない!

あーもうすぐ夏休みが終わっちゃうよー!大変だァ!

しかも・・・・10個ぐらい記事を書いたらもうブログ書くの飽きてきたァ!

どうせだれも読まないし・・・。すでに「ココログ」の形式じたい、過去のものになりつつあるみたいだし。いまは「はてな」とか「Word なんとか」というようなのが、流行みたいだし。いかにも時代遅れというか、時代に対して一周どころか二周も三周も周回遅れな感じはあるなァ・・・。

それでも!書き続けなければいけないのは、・・・・・・

「もうすぐ夏休みが終わっちゃうから」・・・・!

夏休みが終わったら、職場まで混雑した電車に乗る。この片道1時間以上の無駄な時間、いや無駄という以上に、マイナスでしかない時間、ぼくたちから幸福も世の中に対する信頼も奪い取り、他人をものとして取り扱うような、そういう考え方をもたらすしかない、この東京における「移動」という究極の愚行の当事者となるのだ。そうなると、もう家で文章を書いたり、本を読んだりということのために使われるべき体力が極限まで奪われてしまうのだ。  「幸いなのは通勤時間が短いもの!」

そんな、愚行とは早くおさらばしたいが、すぐにはできない。いずれにせよ、もうすぐ夏休みが終わって、非人間的な状態に引きずり込まれ、本を読んだり、考えたり、ブログを書いたりが、できなくなってしまうまえに、最小限、この休みの間に考えたことなどを書いておかなきゃいけない。それだけだ。

先日、『ポバティー・インク、 あなたの寄付の不都合な真実』 Poverty Inc. 2014.アメリカ という映画を見た。まことにまっとうなドキュメンタリーだ。「貧困」や「困っている人」への「人道的援助」が、場合によっては、その社会の自立的発展をさまたげてしまう、そういう状況への警告を含むものだ。大勢の人にみてもらいたい、よくできている作品だと思う。

そういえば、この日本版の副題もよく考えられているわけだが、そこにある「不都合な真実」というのは、すこし前にゴア元アメリカ大統領がとりくんでいる地球環境問題を映像化したもので、日本でも結構流行ったことは記憶に新しい。そのゴアさんが、きのうたまたま見たNHKのTED Talk に出ていた。すごいポジティブな内容で面白かった。地球環境への世界的な取り組みが、それなりに成果を上げていることが、数値を示して説得的に示されていた。また、ぼくが「ふーん」と思ったのは、たとえば今シリアは政治的大混乱のまっただ中にあるのだが、そのシリアに関して、異常気象による農民の都市への流入による都市の貧困層の増大との関連を述べていたことね。一般的にイスラム過激派の台頭の背景には「ユースバルジ」現象があることはかねてから、言われているとおりだけど、さらに異常気象や人口の都市集中などもからんでる、っていうのはなかなかニュースなんかでは触れない視角だと思って感心したね。それにしても、ゴアさんのパワフルなこと!素晴らしいね。

前に担当した学年の生徒で、ドキュメンタリー映画を見て、自分の生き方を見直したり、課題を見つけたという生徒がいたね。フィリピンの貧困地区の子供たちが、廃棄物の山、スモーキーマウンテンで、労働し、生活を支えている様子などを題材にしたものだ。

若いときには「たった一本の映画」が、その人の生き方や考え方に影響を与えることができるのだと改めておもう。アマラ・ユスフザイが述べているように。「一本のペン、一冊の本」であっても、人の生き方を変え、世界を変えることにつながるのだと思うな。

ただし、本も鉛筆も教師も世の中にはたくさんあるわけで、大切なのは、それがその人を変えるためにはその人の「感受性」が育ってなけりゃいけないわけだ。茨木のり子みたいな昔の人なら、「自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ」、といせいよく叫びたいとこだけど、そうもいかない。ものごとはそう簡単にはいかないこと、さっき言ったような東京における人々の「移動」の状況をよく知っているから・・・・

いまは夏休みだから、たまたま「感受性」は守れてるだけなんだ・・・・

あらためて、自由の使者、ジャンジャック・ルソーの偉大さを思うよね。

自由とは「やりたいことをやる」ことじゃなくて、「やりたくないことをやらない」ことなんだってさ・・・・・。

2016年8月25日 (木)

その時作家は・・・

というわけで、作家や彼らの作る小説の登場人物が、1936年前後に、何をしていたのかということを考えてみることにしたい。

まずは、野上弥生子の場合。1934年に夫の豊一郎が、「法政騒動」で教授を辞任。この年長男は東大を卒業し、その二年後1936年にイタリア留学に発っている。弥生子は1938年10月豊一郎が法政大学名誉教授となり、日英交換教授として、渡欧するのに従い、年末にロンドンに到着。このとき弥生子54歳。一年間滞在ののち、アメリカを経由して1939年末に日本に戻る。このときの旅行記などをその後数年にわたって発表している。そして、昭和19年秋から昭和23年秋までの5年間は北軽井沢の別荘で疎開生活をしている。こういう事実を羅列したところで、なんのイメージもわかないだろうが、ようするにその辺のチンピラ映画なんかに出てくる、「防空頭巾」をしてわずかな配給での耐乏生活をしている都市生活者の姿なんてものは全く関係ない、ということだけは知っておいてもいいんじゃないかと思う。

永井荷風は1936年は57歳。翌1937年には朝日新聞に『墨東綺譚』を連載しており、翌1938年にはオペラ『葛飾情話』を制作し、評判が良かったとされている。『墨東綺譚」の対象はまさに都市の細民であるが、それを記述しているのは、世間からしりぞいた遊民的生活者である。

「新感覚派」の横光利一は1928年、上海にひと月旅行し、その時の見聞をもとにグローバルな都会の中で交錯するフィクショナルな人間関係の面白みを描いて見せた。そして1936年、利一39歳。数年前に『機械』によってさらに野心的な試みをした利一は、1936年2月、2.26事件直前に出航し、ヨーロッパ各国を訪問している。船の中では高浜虚子と句会などしている。9月に東京にもどり、翌年その紀行を書くととに、4月から『旅愁』の連載が始まる。ある種の文明批評的な観点を交えて物語るスタイルである。

1937年は川端が『雪国』をまとめ、志賀直哉の『暗夜行路』が最終的に完結した年でもある。また、前にも書いたとおり、この時代はプロレタリア文学の系統が権力と直接対決し、時には殺され、あるいは逮捕・拘禁されて、政治的な闘争に専念していたことはいうまでもない。

ぼくが当面興味を抱いているのは、昭和10年代のブルジョワジーの生活意識であって、そういう点では、横光利一の『旅愁』の中にあらわれる比較文明論がいちばん興味がある。といっても、その中身をまともに受け取るつもりはないのだ。その手の比較文明論は、これまた、非常にフィクショナルな、日本的類型論の発想の型から抜け出していないのであって、その手の議論のひとつの典型として、和辻哲郎の『風土』(1935)があるわけだ。

日本ブルジョワジーの生活意識の中で、いかに世界とかヨーロッパ文化とか中国文化というものが、意識化され、生活のなかに取り入れられていったか、の具体的な諸側面を知りたいわけである。つまり、いかに当時の市民が訳知り顔に「キリスト教はこんなものなんだ」みたいに話をしていたのか、をみたいのである。

格差社会としての昭和10年代

前回、野上弥生子『迷路』をとりあげ、2.26事件前後の東京ブルジョワ社会の記述に面白みを感じた旨を書いた。この作品の書かれた背景を知ると、いろいろ面白いことが浮かんでくる。講談社版「日本現代文学全集63、野上弥生子・宮本百合子集」の年譜によると、「迷路」というタイトルの小説が中央公論に発表されたのが、昭和12年(1937)、11月であり、その前年の昭和11年(1936)11月に「黒い行列」を、同じく中央公論に発表している。これら二回の発表の中に、岩波文庫版『迷路』でいう「五月祭」から「夕雲」までの8つの章が含まれているらしい。この二つの作品は、戦後の昭和23年(1948)10月に、「黒い行列」が『迷路第一部』として発表され、続く12月に「迷路」が、『迷路第二部』とし、それぞれ岩波書店から刊行された。そして翌年、昭和24年(1949)の一月から「江島宗通」を『世界』に掲載し、以下、およそに二か月おきくらいのペースで、続く各章を発表していくことになり、最終的には昭和31年(1956)十月に、最終章を『世界』に発表し、完結にいたったのである。ここで、指摘したいのは、この大長編を書き始めたときは、まさに戦前の日本が軍国化が進行しつつあった時期であったのに対し、「江島宗通」以下の各章は戦後社会を前提にしていることである。戦前と戦後で、著者の考えにいかほどの変化があったのかはわからないが、『迷路』第一部、第二部を執筆中に、日本社会が「敗戦」によって大きく変貌することは予測されていなかったにちがいないということは言える。そして、その点で、『迷路』第一部・第二部には、ある意味、戦後社会を前提としていない分、素直に、昭和10年代のブルジョワ社会のようすが活写されているのではないか、ということはいえそうに思う。

『迷路』第一部、第二部には、東大五月祭の人々の行列のようすや、軽井沢での生活のようすなど、当時の都市生活者の思いのほか豊かな生活様態が、映し出されている。私たちの歴史認識の一部をなしている歴史像として、たとえばこの時代は「昭和恐慌」からなんとか立ち直ろうとする一方、「疲弊する農村」の「次三男」が都市の過剰人口として析出し、「資本家」を相手に「一人1殺」を標榜するテロルの時代だったのではないか、という風にも言えるのだが、ここに登場する人々は2・26の兵士たちに対しても驚くほど「無関心」なのである。この本の記述にもあるように、当時は情報が統制されていて、東京の生活者も実は何が起きているか十分には把握していなかったとしても、当時の社会のありようというのはいま私たちが考えるものとはだいぶ違うのだ、ということを改めて知るのである。

現代は「格差社会」云々というようなことがよく言われるが、戦前の「格差」っぷりは、とんでもないものである。登場人物のひとり、多津江が、魚籃坂の美容院でフランス人の髪結いにフランス語で飛び入りで髪型をととのえさせるように頼んだあと、「コロンバン」に行って

「ボルサリノの帽子を伊達らしくかぶった」画家と遭い、いつもの「クリームサンディ」を注文していたときに、くいっぱぐれた東北の次三男は、軍隊の上官の無鉄砲なクーデターのお先棒を担いでいたのだということだけは知っておいたほうがいいことに属するのではないか、とつくづく思うのだ。

それに比べれば、いまの日本はなんとのんきなことか。首相がマリオに変じて、地球の裏側まで、(ドラえもんの助けを借りて)挨拶に行ってくれるのである!

いま述べたように、昭和10年代って(格差があるから、上のほうのひとにとっては)意外と豊かな社会だったんじゃネ?  と考えたいのだが、その証拠は、やはり歴史の教科書ではなく、ナマの証言の中に求めなければならないだろう。

そこで、同じようにというか、いろいろな文学者が書いていることなんかを証拠として取り上げて、昭和10年代の都市ブルジョワの暮らしっぷりの証言を集めるとどうなるか。

(次回に続く)

2016年8月23日 (火)

戦前日本ブルジョワジーの解剖

マルクスは経済学をもってブルジョワ社会の「解剖学」と言ったものだが、前のトピックスでもふれたように、19世紀前半パリのブルジョワジの生態は、面白いほどにバルザックの中に活写されていた。(余計なことではあるが、それよりも一時代前の、スタンダールが活写しているのは、いまだ物象化されざる生成期ブルジョワジのエネルギーそのものである)。

それに対して、日本ブルジョワジの真の姿が、どのように「文学化」されたのかを尋ねてみるのも面白い。およそ日本近代文学の起源にあたる作品群には、都市ブルジョワジに析出される以前の農村的秩序の残滓をひきずるもの(たとえば藤村をみよ)であるか、美的に理想化された都市生活(たとえば谷崎を思い浮かべよ)であるか、批判性を欠いた自己充足的な和解であるか(例えば志賀直哉をみよ)、であって、要するに日本ブルジョワジの解剖学にあたる作品を見出すのはむずかしいのではなかろうか、と思ってきたわけだ。

そもそも昭和の文学は、芥川の死にみられるように、その当初から、グローバル資本主義のもとでの階級分化と全般的な経済危機、そのもたらす直接の結果としての貧困という、目前の問題に引きずられ、あるいは分裂を余儀なくされ、ブルジョワ社会を即物的に眺める余裕そのものが失われてしまったのだ。

だからプロレタリア文学には多大な可能性を残しつつ、プルーストやトマス・マンにあたるブルジョワ社会の記述者はいないし、そもそも記述の対象となる安定したブルジョワ社会そのものが存在しないようにも思ってきたのである。

先日、たまたま野上弥生子の『迷路』を手に取って読み始めたのだが、なるほど、これが昭和10年代の東京に生きている都市ブルジョワジ―の生活か、と驚きとともに読み進めることとなった。記述は煩瑣で過剰であり、小説としては読み進める魅力が多いとは言えない作品である。しかしながら、ここに記された登場人物の日常こそ、善かれあしかれ、戦前日本のブルジョワ社会のひとつの形であることはまちがいない。

われわれは文学という偉大な鏡を通じて、歴史の生きられた姿に接することができる。政治的事件の羅列ではない、前に触れたブローデルのいう意味での歴史のひとつの姿である。

『迷路』というタイトルが示すとおり、戦前のブルジョワ社会のどこが、どのようにしてあい路や袋小路にはいりこみ、人間に抜き差しならない運命を押し付けていったのか、改めて考えさせられる。

このブログのタイトルにもあるように、私たちは、自分の力ではどうすることもできない集合的な流れの中で、「さまよう」ほかはないのだが、昭和10年代の『迷路』そのものをここまで客観的にながめる人がいたことを発見して、あらためていろいろ考えさせられるHATOの今日この頃なのであった。

2016年8月20日 (土)

続・続 色男というジャンル

金持ちフラナガン氏がモンモンとしてしまった幻の源は、そう、彼の欲望のあいまいな対象、ラカンの petit 〈a〉 、それはアリアーヌが体現しているところの、金をいくら積んでもえられない「パリジェンヌ」性なのだよ。それはあいまいな対象であって、実体としてのなんらかのパリジェンヌ性とはほとんど関係のないものだ。彼女の背伸びも、彼女の強情っぱりも、すべてはそこから流れ出す何かとしてフラナガン氏の目には映っているのだ。

西ヨーロッパはアメリカによってナチスから解放されたのちも、長く経済基盤の喪失によって苦しめられ、いわばアメリカによる上から目線の援助によって経済が保たれてきた。しかしながらこの映画の背景となっている50年代後半に入ると、経済の復興がすすみ、通貨の交換性が回復し、いわば経済の自立が可能になってくる。そうした中で、もともとあった、パリの文化的優位が意識されるようになってきた。アメリカ人は経済的には豊かだが、洗練された文化を全く持たないのであるから、文化資本の与えるアウラのもとで、人は実力以上の交換価値を有すると認識されるようになるのだ。

このアメリカ人富豪の色男が最終的に大衆に是認されるのは、まさに、金の力で女性たちを統御する意志がくじかれ、文化資本に一歩ゆずることによって、新しい米仏関係が構築される社会的文脈をふまえて、初めて理解可能になる性質のものだ。

さて、それでは『めぐり逢い』はどうなのか?

ここでも全く同じロジックが成立している。二人の関係が深まるのは、船がニースに寄港して、そこでニコロが祖母の家を訪ねた時である。祖母の夫は外交官をしていた人で今は故人である。「天国的」な静けさをたたえた住まいでには礼拝堂がしつらえられていて、祖母は亡き夫のために常に祈りをささげている。ただの歌手というより音楽の素養のあるテリーは祖母の弾くピアノに合わせて美しいアリアを歌い、二人は心から共感する。そしてプレーボーイとされるニコロが実は画家志望であり、高い芸術的センスがあることを知る。これが二人を決定的に結び付けるのだ。テリーのいいなずけは、金持ちで優しいが、それ以上の価値を知らない人間である。同じようにアメリカでプレイボーイのニコロを待っているのは、大富豪の女性であって。金の力でニックをはべらせようとしているのである。ここでは前述の作品とは逆に、ニックがヨーロッパ的価値を体現しており、テリーはあくまで貧しくプロテスタント的価値の体現者として描かれている。しかし、構造は同様であるといってよい。

ヨーロッパ経済の復興を背景として、新しい米欧関係が築かれつつあることを鏡として、これらの「色男」映画が成立しているのである。

色男は空中に存在するのではない。彼らは経済諸関係の鏡としての大衆の願望や幻をそのままに体現しているのである。映画産業はそのような大衆の無意識を目に見える形ではっきりと示すのである。

ってなことを考えたHATOなのであった。

(いや~長くなったけど、これで「色男というジャンル」を終わります)

続・色男というジャンル

さて、ケーリー・グラントとゲーリー・クーパーが色男であることはだれしも認めてくれるだろう。それから、この時代に「色男」プレイボーイという存在が社会的に認知されていたことは、これらの、映画が前提としているところであるから、これもまたいろいろ疑問はあるが認めておくことにしよう。ところで、色男とはどのような存在であろうか。それは時にはカザノヴァとして、時にはドンファンとして、女性たちの間を、あるいは女性から女性へと、忙しく動き回り、魅了された女性たちに喜びを与え、一方、次の女性に向けて自分のもとを去ったあとには溜息や悲しみを残していく、そんな落ち着きのなさ、というか、運動そのものであるものが色男なのである。また、そういう落ち着きのない存在であるがゆえに、色男を引き付けてひと時であっても己の胸の上に彼を休ませた女性は、遊動する存在を静止させた自分の魅力を再確認し、自分の女性性の水準の高さが認知されたことに深い満足をえるのである。

このようにプレイボーイというものが「運動」によって規定されるとすると、これは映画とはなじまない。というのは、映画は終わらなければならないから。1時間とすこしあとにはかならず「終」 The END の文字とともに映画が終わらなくてはならず、その時には主人公である「色男」の遊動は、止まっていなければならないからだ。

どのようにしてか?それは「真実の愛」の発見、または成就によってということになる。『めぐり遭い』の、ケーリー・グラントの場合、実は映画の展開の早い段階で(船の中で)そのような状態に到達するのである。一方『昼下がりの情事』のゲーリー・クーパーの場合は、映画の最後の最後、フラナガン氏がアリアーヌの父の懇請に従ってパリを離れる列車に乗り、列車が動き始めるときまで引き伸ばされる。

ま、要するに最終的には二人とも色男をやめることによって、映画はハッピーエンディングになるわけだ。ま、ユーミンの歌詞にもあるとおり、男はいつも「最初の恋人」になりたがり、女はいつも「最後の愛人でいたいの~」、ってわけだ。

ちょっと待った~。ここでわたくしの疑問。まずは『昼下がりの情事』から。いっくらオードリー・ヘップバーンが美人だからといったって、この「格差」度はただものではない!

片やフラナガン氏はどんな女性も得意のテクでわがものにする世慣れた人物。そして実業家であり、大金持ちの中年。そんな社会的地位のある人物が、社会的経験がゼロで、ただ虚勢を張って自分に近づいてきたアリアーヌ(そもそもフラナガン氏は彼女の名前すら知らないのだ)、まずしい音楽学校生にすぎない彼女を生涯の伴侶にしようとするだけの強い根拠は、映画の中では示されなくて、ただそれは暗示されるにすぎない。彼女に興味を持ちつつじらされることによって、彼女への興味が増す、という設定になっている。ここにはビリー・ワイルダー流の「くすぐり」があり、それが作品としての『昼下がりの情事』を成り立たせているのだが、それにもかかわらず、客観的には二人の目先の格差は覆いようもないように思えるのだ。

あらゆる交換は、その経済的側面だけをみれば「等価交換」である。どんな身分的格差を含んだ婚姻行為であれ、婚姻そのものは対等な人格のもとでのみ成立する。いまさらマルクスを持ち出すまでもなく、交換は自由な独立した人格の間でおこり、等価物の交換を通じて市場そのものが機能する。

フラナガン氏が憐みによって彼女を得たのではないとすれば、いったいいかなる等価物がそこに提出されていたのだろうか。これが私の問である。多くの人は「だってヘップバーンはかわいいじゃん」という形で受け入れるであろうが、それは甘すぎる。単なる「かわいさ」が、フラナガン氏の巨万の富の等価物たりえないことはだれでもわかることだろう。ヘップバーンが示す「強情さ」や「こだわり」がプラスの価値として交換の材料になるためには、もうひとつ大切なものがあった。それは映画の中でもしばしばささやかれ、暗示される。フラナガン氏にとって、ヘップバーンの存在を魅力的にしているのは、彼女が打つ芝居の背後にある彼女の「想像力」、とくに父との生活の中で培ったファンタジーへの志向である。これがフラナガン氏を混乱させるわけである。ここにはもう一つ、スモークがかかったレンズがあるように思える。そのスモークがアリアーヌに独自のアウラを与えており、フラナガン氏はいわばそのアウラのうちに彼の崇拝物を見出そうとするのだ。

答えだけいうとバカみたいだが、ここで等価物を作り上げるレンズの役割をしているのは「パリジェンヌ」的生活様式そのものだ、ということなのだ。即物的な金持ちであるフラナガン氏にとって、文化的アウラはどんなに金を払っても得ることのできないものである。オペラを見に行っても女性しか見ないフラナガン氏にとっては、文化資本は全く交換の外部にある。アメリ人にとって文化とはそのようなものなのだ。

(次回に続く)

2016年8月19日 (金)

色男というジャンル

先週は長野県に行ってました。といっても最も群馬県に近いエリアのあたりです。悪しくも出先で食中毒になり、病院で点滴をうけるはめに・・・・。というわけでせっかく書くネタもたまったのに、更新が止まってしまいました。やや体調が回復してきたので、少し書きます。

出先で腹痛に苦しみながら、昔の映画のヴィデオを二本見ましたので、そこで考えたことを書かせてもらいます。

まず一本目は『昼下がりの情事 』 Love in the Afternoon 1957。

主演はゲイリー・クーパー、オードリー・ヘップバーン で、日本でもヒットした作品です。

もう一本は『めぐり逢い』 An Affair to Remember 1957。

主演はケーリー・グラント、デボラ・カーです。

同じ年に作られたこの二本、どちらもシネスコサイズの堂々たる作品なのですが、この二本を通じて話題にしたいのは「色男というジャンル」という問題です。

どちらも有名な作品ですから知っている人も多いと思います。ひとつめの作品ではゲイリー・クーパー演じる主人公が「有名な色男」です。アメリカ人の富豪フラナガン氏は、有名な色男で次々と女性を誘惑する、という設定です。そのフラナガン氏はいくつもの会社を経営したりペプシコーラの経営にもかかわったりして多忙な人物ということになっています。一方では探偵を職業としていて有能だが優しい父と、親一人子一人で生活している娘(ヘップバーン演じるアリアーヌ)がおりまして、偶然の出来事から二人は午後にデートするようになり、やがてふたりは抜き差しならぬ関係に・・・というようなお話でして、このアリアーヌはコンセルヴァトワールでチェロを学んでいる、まだうぶな生娘の学生という設定になっております。そうして最後は、どうみても年の差、社会経験の差がありすぎる格差婚の形で、ハッピーエンドとなるというファンタジーなラブコメディというしろものですな。

その一方、「めぐり逢い」ではケーリー・グラント演じるフランス人のニコラ(ニッキー)という登場人物が「有名な色男」という設定になっておりまして、一方デボラ・カー演じるテリーはボストンで歌手をしていて、本人の生活は貧しいがもともと優れた音楽的才能や上品な知性を持った美女ということになっております。そんで話としてはニッキーがウルトラお金持ちのアメリカ人女性と結婚するためにニューヨークに赴くところから始まります。いっぽうのテリーもお金持ちのビジネスマンと結婚する予定なのですが、彼のビジネスを邪魔しないために一人で船に乗っている、という設定。色男ニッキーはブスばっかの乗客のなかで一人輝いているテリーを見つけると即ナンパ、二人の会話はかみ合い、いいムードになるのだけど、船はすぐにニューヨークに到着。六か月後のクリスマスにエンパイアーステートビルでの再会を約束するが、偶然の悲劇により果たせず・・・という展開で、こちらはその後の二人の苦難をはさんで、最後は涙の再会へというお話でございます。

で、お話しの紹介がしたいわけではなくて、私が考えたことを紹介したいのですが、この二つの映画か共通の前提としているのが、社会的に認知された「色男というジャンル」が存在しているということなのです。「色男」の特徴は何か。まずはケーリー・グラントとゲーリー・クーパーを想像してください。そう、彼らが「色男そのもの」です。私がここでいいたいのは面貌とか体つきのことではありません。私がいいたいのは、当代の人気役者でイケメンである彼らが映画の中で与えられている役回りのことなのです。どちらの人物も「色男」として、直ちに近くにいる女性たちを魅了してしまうだけでなく、そういう女性をすぐに虜にしてしまう特殊な能力を持った男がいることを社会が認知し、そのようなものとしてニュースの話題になっているということなのです。いまでいえば、セレブのイケメンというようなことであるわけです。いまでいえば、ハリウッドスターたちがそれに当たりますね。彼らはお金を稼ぐだけでなく演技力もあり、人としてもすぐれているというわけです。彼らに後光(オーラ)を与えているのはハリウッドという映画製作の舞台そのものであり、映画製作の背後に働く資金の流れや、アメリカンドリーム的な立身伝なのです。

そこで改めて二つの映画の主人公について、それぞれの人物がどのようなオーラによって「色男」となっているかを見てみたいのですが、ここからが本題です。

(せっかく本題に入ろうとしているのですが、やや長くなりそうなので、続きは次回のところにしましょう)

なお、前の回に書いた、『サラジーヌ』のことですが、この作品は1830年の作品でありながら7月革命が言及もされないし、なんかちょっとした影響みたいなものもないことを前に書きました。しかしながら同じ岩波の短編集に収録されている、ほかの三篇の作品では、いろんな形で7月王政のことが直接に言及されてます。これら作品が書かれたのは1836年から1839年です。文学の話題となるような生活や意識に政治的事件の影響が及ぶようになるのは、政治的出来事が実際の人々の暮らしに変化を及ぼし、さらにそれが意識されるようになって文学の記述の上に直接あらわれてくるまでには相当のタイムラグがある、ということなのでしょう。

2016年8月 9日 (火)

きのう、面談で

いや~今日は外はとりわけ暑いみたいね。そんな8月9日の今日の話題は、昨日の出来事から。きのう保護者面談をしたんだけど、そこでちと話題になったこと。今どきの高校生がバイオとか生態系とか環境っていう生物に関するジャンルにどんな風に興味を感じているのかなあ、ということ。いままでも昆虫好きな子とか何人も見てきたわけで、ベタな「生き物係」、生き物大好きな子は、その心理の奥底はわからないまでも、そういう人がいることは、僕の理解の範囲にはいってくるわけよ。ところが、そこから一歩進んで、バイオとか生態系とかってことになると、がぜん抽象度が増してくる感じだよね。高校生がそういうところに興味をもつってえのはどういう観点からなのかな?うちの Principal は公衆衛生とかの観点から環境中の化学物質の人体への影響などを統計的手法を用いるなどして調べることをしてきたわけで、そういう研究の動機のなかには、公害が人間にもたらしたものを客観的に把握しようとする、ヒューマンな動機が隠れていることはすぐにわかる。その一方、今どきの高校生というか、この学校の生徒たちには公害や環境問題を批判的に議論する機会や場所がほとんど与えられていないように思うんだ。その上、現代のグローバル社会の求めているものは、あくまで金儲けであって、今やバイオとか環境とか、生物に関する話題はおおかた金儲けかんけいの話題に直結しているんじゃないの?学問的真理とか知的興味というような話題からかけ離れてきてしまっているんじゃないの?そういう中で、若者たちがまっすぐな心で環境問題にとりくみたい、というような気持がどこから来ているのかな?って、疑問ばかりが増してきたわけよ。

前から気になってることがあって、それは、今の学年もそうだし、その前後の学年でもそうなんだけど、そもそも現代社会の問題を批判的に取り上げたり、世界で起きているさまざまな不正、不公正に対して、興味を示したりする子が極端に少なくなってきた感じがするんだよね。理系だから社会のことは関係ありません、ってことはありえないと思うんだ。自分たちが展開している「科学」が社会にどのようなインパクトを与えているのか、それをクリティカルに見ていくということ、それがあんまりできているように思えないんだ。

そもそもいまの高校生は3.11の一連の出来事の被害者であるわけだよね。だからますます現代科学の問題点に敏感になってもよさそうなのに、そういう自分たちの経験の中にあるものに対してさえ、具体的な名称や論理をあたえることができないでいるように思えてならないのよ。

その辺の「知の構成」とでもいうのかな、自己をとりまく状況から知を構成する筋道を探すことそのもを最初から放棄してしまっているような、そんな印象もあるんだ。で、それは僕からすると、生徒たちの知的能力、とくに潜在的な知的能力の減退を意味しているように思えてならないのよ。2年半この学年に付き合ってきて、ぼくが提出する話題にまず、まともにつっかかってきた生徒はいない。そもそも質問すらでない、ただおとなしいだけなんだよね。

これ、めちゃ気になってる。「ぼくはこういうことに興味があります。それはこれこれこういうわけです」みたいな宣言を聞いたことは一度もない。今回の件も、「どうしてそうなのか」の宣言が全く付随してこないわけ。それじゃそもそも大学を受ける動機付けにもならないような、そんな危惧をもってしまうんだ。まあ、杞憂であればいいのだけれど・・・・。

で、今回のブログでみんなに言おうと思ったのは、ふつうは自然科学だとみんなが思っている「生き物」の世界と、人文学の世界をつなぐ領域について自分が知っていることを紹介しようと思ったんだ。だけど、もうここまでにいっぱい書いてしまったので、今日はここまでにするつもり。一応予告的に言っておくと、それは「生きられた」世界を対象にする、「現象学」的な領域ね。うすーい本だけど、

木村 敏 『からだ・こころ・生命』

ユクスキュル 『生物から見た世界』

この二冊をまず見てほしいね。

あと「アフォーダンス」という言葉がくっついた本を見てほしいと思ってる。

佐々木正人『アフォーダンス入門』というのがある。

いまあげた三冊の本は、生命と環境のかかわりを、(金儲け的な観点からではなく)、本質的な観点から問い直そうとしているように思えるんだ。あと、「自己組織化」とか「オートポイエーシス」なんて議論も、読んだことないけど、なんだかおもしろそうだ。こういう本の一冊でも参照して、そこから問題を問いかけてくるような、そんな生徒はいないのかなあ?!

2016年8月 6日 (土)

続続・外谷旅館にて(サラジーヌ)

サッカー合宿中のとある午前中に『サラジーヌ』Sarrasineを読んだ。前からなんとなく読みたいなと思っていた作品。バルザックBalzac については、絵画に対する興味の延長上で前に『知られざる傑作』を読んでいて、面白い小説を書く人だなと思っていた。『サラジーヌ』については、ロラン・バルトという批評家が『S/Z』という評論を書いていて、その本については多くの人が取り上げていたので、『S/Z』を読む前に『サラジーヌ』は読んでおかなけりゃいけないな、と思っていたわけだ。ところで、ロラン・バルトの『S/Z』とは、関係がありそうで実は全然関係ない面白い評論があって、そのタイトルは「S/Zの悲劇」というもの。これは蓮實重彦が書いたもので・・・・といっても君たちは「蓮實って誰?」程度の認識しかないことと思うが、君たちの多くの諸君が第一目標に掲げている大学の総長をしてた人だよ。昔20年以上前に僕が日仏学院というところに通っていたとき、そこで行われる行事に奥さんと一緒に来ているのを見かけたものである。さて、その「S/Zの悲劇」、たしか『反=日本語論』の中に含まれていると思う、という評論はこれまた君たちが知っているか知らないか、わからないが、野坂昭如という人のことを論じたものだ。野坂がアメリカに行ったときに、名前の読みが、NOSAKAではなくNOZAKAとなり、そこからいろんなことが生じたことを書いている。これは言うまでもなくバルトのS/Zとは何の関係もないのだが、文化・言語の違いから生じる悲喜劇を面白おかしく語ることによって、読者のバルトへの学者ぶった興味をはぐらかすことによって、なんともいえないアイロニカルな味のある評論となっているのである。いまでいえば、みんなが「あるある」、「そういうことってあるよな」みたいな話をじつにうまくまとめているわけである。僕のような凡人に至っては、蓮實のS/Zを読んで、バルトを読んだような気持にさせてくれたのである。

とまあ、冗談はさておき、合宿の合間に読んだ『サラジーヌ』、バルザックならではの面白い作品だ。中身は、カストラートをディーヴァと誤認した若者の悲劇とでもいうもので、各人の読書にゆずるとして、ぼくが気になったのは次のようなことだな。まず、この作品が書かれたのが1830年とあることね。30年というのはルイ・フィリップの7月王政の年なんだよね。世界史的に見れば結構大事件ということだと思うけど、この小説には全くそのことが影を落としていないことがわかるよね。そこがぼくにとっては一番気になったところ。

その一方、当時の社会のようすがいろんな形で風刺されているんだ。最後のセリフは最高に面白いよね。いわく

「パリはずいぶんもてなしの良い土地だ。恥ずべき財産も血塗られた財産も何もかも受け入れる。・・・・パリで住処を持たないのは「徳」だけだ」

このセリフはそのまま今のグローバル大都会に合致するように思えるんだ。ブルジョワ階級というもの(その出自は多様だとしても)の一端がはしなくもここに表現されている。もちろん、Balzacのねらいは階級批判ではなく、世態・風俗を取り入れたうえで、方向を失った人間の「情熱」を描くことにある。パリという都市が、旧来の共同体的秩序から切り離される一方、社会が吸い取ることのできないさまざまな情念を抱えた人々のるつぼとして、さまざまな人間悲喜劇を抱えている。バルザックはまさにその観察・記述者として「小説」というジャンルの担い手となってくるわけだ。

『21世紀の資本』でピケティがバルザックを引用しているのは知られる通りだけど、バルザックという記述者をとおして、経済格差ばかりでなく、変革期の社会の諸相を、いろんな面から知ることができるように思う。それは前回読んだブローデルのいう、「物質生活」、「経済生活」、「資本主義」のそれぞれの層を生き生きとした姿で伝えてくれているのだ。

資本主義の歴史を語るとき、その対象がこのような表現者を抱えている、というその事実の中になんともいえない社会の厚みをかんじてしまうのだなあ。生成期の日本のプチ・ブルジョワの正確な表現者は漱石だけなのだろうか?そんなことを思うとまたまた、このクソ暑い東京で(合宿からは昨日帰ってきた)、なんとなく首筋のあたりがうすら寒く感じるHATOなのであった。

2016年8月 4日 (木)

続・外谷旅館にて(フェルナン・ブローデル『「歴史入門』)

前回の記事で思わせぶりに書いた「共通の問題意識」、というものについてちょっと触れよう。

ブローデルのこの本というか講演のもとのタイトルが「資本主義の力学」、もうすこし日本語のセンスとして言えば「資本主義のダイナミズムとかエネルギー」ということであるように、ここで歴史学者のブローデルが問題にしていることはようするに「資本主義とは何か」に端的に答えることだ。

「資本主義」ということばはいつからどのように人口に膾炙するようになったか、なかなか難しい問題だが、おそらくはマルクスが歴史において継起的に出現した社会構成体のひとつとしてそれを置き、それに続く共産主義社会との鋭い対比においてとらえようとしたのがそもそもの始まりだったのだろう。そのことはこの本でも触れられている。また「近代資本主義」を問題としたのはウェルナー・ソンバルトであり、その1902年の著作がそもそもの始まりであろうことも、この本が触れている。

我が国においても、歴史社会認識の方法としてのマルクス主義が輸入されて以来、戦前においては、「日本資本主義論争」があり、戦後においてはいわゆる「大塚史学」という大塚久雄の経済史学の大きな影響力のもと、「資本主義」の歴史をトータルにとらえようという志向は常に日本のアカデミズムの中に流れてきたのである。そこに見られる問題構成は住谷一彦が雑誌『思想』などで常々語る言い方に従えば、「マルクス=ウェーバー的」な視圏の中で展開されてきたのである。しかるにそのような問題構成はあくまで西洋経済史の枠内でのみ学的有効性を持ち、「日本史学」にはそのままでは応用しがたいところがあった。

そうした中、1970年代という世界史的な転換点を経過する中で、新しい歴史認識の方法が強く意識されるようになってきたのである。その始まりが網野史学をはじめとする前回書いたような人たちの作業があるわけだ。

21世紀が始まりすでに二つの10年を経過しようとしている現在、「資本主義」をきちんと問題にすることは今まで以上に大切になってきている。店頭にならんだ新書類にも資本主義の「終焉」をタイトルにするような本も散見される。

40年前にそういう問題意識を貫いて歴史叙述をしようとしたブローデルの先見性を改めて思うのであるし、日本の学究や物書きの中に同じような問題意識をもってあれこれ考えていた人のことを思い起こすHATOなのである。

2016年8月 3日 (水)

外谷旅館にて

と言うわけで、サッカー部合宿のため南魚沼の外谷旅館に来ています。昨日は天候不安定で待機時間もあり、持参したフェルナン・ブローデル著『歴史入門』(中公文庫2009.金塚貞文訳) La Dynamique du Capitalisme, 1976  読み終えたわ。まあ短い講演記録だけどブローデル歴史学の枠組みがわかって面白く読めた。この講演があったころは、日本でも歴史学の方法意識が大きく変化していたことを思うと、なんとも言えないものがあるね。
柳田國男がちょっとしたブームになったり、吉本隆明の『共同幻想論』が話題になったリもそうだし、渋いところでは、中井信彦が『歴史学的方法の基準』を著したり、西郷信綱が人類学や記号学の成果を日本古代研究に活かしたり、とそんな時代だったわけだ。
この時代の成果やらなんやらにひとつの方向性を与えて、日本史学の変革をもたらしたのが、網野善彦『無縁・公界・楽』だったわけで、その出たばかりの平凡社選書を読んだ時は、本当に、これこそ自分にマッチするものだ、とつくづく思ったものだった。そう思った人は随分沢山いたようで、その後、網野善彦ブームみたいのがおこったのだった。
で、あらためてブローデルの本を読んで思ったことなのだが、ブローデルをはじめとして、ここにあげたような人たちの歴史へのアプローチの中にある共通の問題意識とこというものが何かあるという風に思えるわけだ。それが何かは、後で述べたいと思う。ところでその一方に何というか古くさくて、とても知的とはいえない歴史の捉え方みたいなものがあって、そういうものが、中等教育あたりでは、まだまだ強い力を持っているのかな、という事をあらためて思ったのだ。そういう状況に文句を言ってもしょうがないのだが、半世紀前に論じられた事が一般の知的財産目録の中にはまだ十分に入っていないのかな、と思うとなんとも寂しい気持ちになる。

というわけで、合宿中のこれといって他にすることもない中、ひたすらiPhoneに入力するという状況で、なんだか書きたい事が書けたのかもわからない中、今日もまた寂しい気持ちのHATOなのであった。

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