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2016年11月

2016年11月28日 (月)

いろいろ

忘年会のおさそいなんかもでてきて、いよいよ今年も押し詰まってきた感じだね。

このあいだ、なんかの関係で、ブレヒトのことを思い出したわ。ブレヒトは20世紀演劇に大きな影響を与えたドイツの劇作家。ベルリナー・アンサンブルという劇団をなんとかヴァイグルという奥さんといっしょに率いてきた人。20世紀を代表するような作家だと思うんだけどあんまり知られてないのかなあ。

20年以上前に、音楽関係の書店で「「三文オペラ」の楽譜はありますか?」、と聞いたら「その手の日本のものはうちは扱ってないよ」みたいに追い払われたことがあったけど、何かエノケンの舞台かなんかと勘違いされたのだろうか?と思っている。

1996年7月にフランス旅行のついてにアヴィニョンの演劇祭をのぞいたとき、たまたま、ハイナ・ミュラー演出による『アルトウロ・ウイのおさえることもできた興隆』 の公演をみた。そのとき思ったのは、ブレヒト演劇が、千田是也によって日本の新劇界に導入され、戦後日本の勢いのある演劇関係者に強い影響を与えてきたこと。そんなことをあらためて納得したわけである。もっと簡単に言っちゃうと、むこうで大評判のハイナ・ミュラー演出は、すでに日本の劇団で紹介・上演されてきたブレヒト関係劇で、ぼくにとってはとっくに知られた手法であったってことを発見したわけだ。

千田是也という演出家の芸名(?)の由来が、なんと関東大震災の時に千駄ヶ谷を歩いていて、「朝鮮人」とみなされて襲われたということからつけたんだってね。大杉栄に関連した本を読んでて、そんなことを知ったわ。

今や、ブレヒト劇は、決してアンダーグラウンドではなく、むしろ国立劇場あたりで、正統派オペラ歌手なんかが扱うべきジャンルになっているんだと思うんだが、現実は厳しいね。

『三文オペラ』は、音楽も美しいし、批評的で知的で、話も単純だし、最後は「ハッピーエンド」だし、なんでもっと上演しないのかな。

で、今日この話を持ってきたのは、この欄で長いこと論じている「ロマンティック」との関係なんだよね。

ブレヒトは「ロマンティック」の思考様式をあえて「異化」の手法によってグロテスクな姿で描き出すわけだ。音楽が美しいというのは、それを通じて、通例の「美的」感性を批評の対象化し、わらいとばすためなんだ。

そして、この「乞食のオペラ」は、オペラという美的様式そのものを「乞食=王」という形でカーニバル的・演劇的にひっくり返して提示する方法意識の表れなんだね。つまりここでは「恋愛の成就」「ロマンティックな出来事」が常に批評的理性のもとにおかれているわけだ。

即物的なロマンティックが見るにたえないものであるのに対して、アンチ・ロマンティックな即物性は批評的理性をこえて、ロマンティクの教義を超えた「違和の幸福」を導き出すように思える。

ブレヒトのやりかたが適切だったのかどうか、いろいろ議論はあるだろうが、僕自身は、このやり方にすっかり納得してしまっている。

『マハゴニー市の繁栄と没落』は、21世紀の現在、ますますリアルに近づいていると思うし、このオペラの最後に歌われるソングは現代のグローバル市民が作ったコロスの詠唱そのものだし、そこで歌われている内容は「現代人の倫理にして宗教」そのものだと思うのだが如何だろうか?

え?ブレヒトなんて聞いたこともないし、そんな人がいたのかだって?

そういう君たちは、この日本で生まれ育った己の知性の少なさを嘆くしかないだろうね。世の中にはいろんな娯楽があるものなんだよ。

じゃあね。

2016年11月25日 (金)

そういえば

先週の日曜日、気分転換もかねて(一年中気分転換しかしてない)神奈川県の大山に登ってきた。ほんとうはもう少し奥、道志川の北西側に位置する「御正体山」というのに行こうと思ってたんだけど、家出るのが遅くなったので、近場の大山に登った。東の麓にある「日向薬師」からの登拝路を登った。大山の主たる登拝路は、ケーブルカーが通じている坂本から下社を経て頂上に至るルートであり、これは江戸期からすでに主たるルートであったかと思われるが、日向薬師からの道もきわめて重要である。私の居住する世田谷区あたりから見ると大山の稜線が、剣の切っ先にむけて平野にゆるいカーブで落ちていくのが見えるのだが、これがちょうど日向薬師と大山山頂を結ぶ東稜なのである。ちなみに大山山頂から東に向かう稜線のどれが良く見えるかは、地域によって異なるが、どの場合も刀の先端部のようなきれいなカーブを描いているものと思われる。さて、この日向みち、紅葉の時期の日曜であるが、全くというかほとんど人が歩いていない。ところが、下社からくる道が合流する「見晴台」までくると、急に激混みとなった。ちなみに下山時、前後を歩いている人の話すのを聞いていると、一部日本の若いファミリーがいたがそれ以外はほぼ全員が「外国人」であった。ようするに今や日本で活力があり、休日に登山するエネルギーがあるのは大方外人だということなのだろう。

先日「石老山」に行ったときにも書いたように、丹沢周辺の信仰登山の跡をなんとなく探索している。次のターゲットとして行こうと思ったのがさっき書いた「御正体山」だ。山名そのものが、「神」の「ご本体」を意味するのだから、これは意味深長である。ガイドをみると何にもない山のようだが、こんなところも実際に行ってみると古い信仰の跡があったりするかもしれない。

関東地方に早い降雪を迎え、今後の冬場のハイキングに備えて、昨日、安物のトレッキングシューズを買ったHATOであった。

2016年11月23日 (水)

妙に寒い

妙に寒い「勤労感謝の日」(新嘗祭)になりましたね。

今さっき、すごい勢いで読了したのが、『日本の「アジール」を訪ねて』 筒井功 2016.10 河出書房新社 という本。

この著者は、民俗学的なききとりを中心に、文献資料もふまえながら、日本の漂泊民の世界を探求している人だ。

まさに、このブログのタイトルのとおり、「さまよう」人間の姿をとらえようとしている力作だ。この著者は、漂泊・非定住民を題材にして、すでに何冊か著作を発表している。この本ではおもに、「セブリ」の生活・伝承を明らかにしているものだ。

感想をさきにいうと、ま、面白い。 レヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』が、ナンビクワラの生活に出会ったのと同じような、異文化というか、我々が当然のものとしている文化とは異なる世界が、ついこの間まで、身近に存在していたことを思うと、本当に人間の生活というのは「多様」だな、と思う。

最近のグローバル・バカは、英語を話す世界の中にあつまってきたヒスパニックやらアジア人やらが混在している状況をもって「多様性」などと称しているようであり、ぼくとしても、それが「多様性」の一部であることを否定するつもりはない。しかしながら、我々の精神の目をもう少し繊細にしてみると、この狭い日本の中にも、この本が触れているような、異文化世界があったわけで、しかもそれらは、近代国家が要求する均質化の要求からたくみに逃れて存在し続けてきたことが知られるのである。

いやー今日は寒かったけど、面白い本をよめて幸せだったな。じゃあまたね。

2016年11月18日 (金)

都会の木々は色づき

秋も深まってきたね。前回も軽くこなしたので、また今回も軽めに。授業で、ブログを見てくれた生徒と、とりわけ「ロマンティック」問題についてあれこれ話をした。ぼくの当面の興味はご承知のように、日本が総力戦体制に入っていく中で、社会がどんなふうに再編されていったのかを、その時点での知識人の作り出した作品やらなんやらという「意識」の側から確認しようとしている。

だいぶ昔(1970年代の終わりころ)に鶴見俊輔がカナダの大学で行った連続講義をまとめたものが、『戦時期日本の精神史―1931~1945年』 という本となり、岩波現代文庫に収められている。この時代の思想のありかを、客観的かつきわめて簡略に(かつ鋭く)描いている。40年近く前のものだが、良い本だ。対象となっている時代も、僕が探究している時代にほぼ重なっている。とても勉強になる。

ただ、切り口とか方法として、ぼくがやろうとしていることとは、少しずれがある。

たとえば今、僕の関心は、昭和の物書きの「外国体験」なんかにある。

横光の「JALパック団体旅行」風な『旅愁』が一方にあり、それと同じ精神構造の上に和辻の『風土』がある。その一方で、ほぼ同じ時期にたとえば野上彌生子のほぼ1年間のヨーロッパ日記があり、あるいは、林芙美子は『放浪記』のヒットを受けて、1931年からフランスなどに旅行している。こうした女性の旅行記は、抽象化よりもまずは観察が先行しているので、まことにわかりやすいものになっている。

『文学界』の面々が、「近代の超克」を論ずるときの「抽象化」されたヨーロッパの姿とは全然違う、彼女たちによって生きられたヨーロッパが、生き生きと語られているのだ。

この生き生きとした体験をどのような表象へと落とし込んでいくのか、そこで、物書きの力量が問われてくるのだ。先般も触れた九鬼周蔵なんかは、『偶然性の問題』へと、きちんと問題を純化していく。

それに対して、和辻の場合は「あたかも生き生きとした体験のごとくに」『風土』的体験が語られるのであるが、その本質は、あくまでブッキシュな事実の上に構築されたものであることが大きな特徴なのである。

女性に関して言えば、戦前の国立大学の門のうち女性に開かれていたのはわずかで、東京大学も、戦後になって初めて女性を迎え入れたのである。アカデミズムから距離をおくことで、物事がすなおに見えたという面もあったのだろうか。

野上が初めてアデンの港に着いた時の印象と、和辻が『風土』で、アデンの港の印象を書いたものを比較してみると面白い。和辻の文章には、そこで生きている人々の姿が完全に消去されているのだ。

前に、西田の文章の「啓蒙精神」ということを書いた。西田の文章には、自らの言語を通じて、西洋哲学の言語を語ることができるという喜びがあふれているということを言いたかったのである。西田が生み出したのは、ひとつの「方法」であって、日本語を通じて「哲学する」こと、その方法を発見した喜びがあふれているのである。大正期の若い知識人の心に深く刺さったのはまさに、この日本語で哲学することが可能であるばかりでなく、目の前にその成果が出され、それを共有できる喜びであったに違いない。

こういう、一人の精神と、時代とか社会との切り結びの在り方にこそ、思想史の取り組むべき領域がある。

授業でも触れているように、社会と個人が切り結ぶ特別な場所や時間があるのだと思っている。たとえば丸山が1946年の5月、岩波『世界』に「超国家主義の論理と心理」を発表したこととか、60年安保の成立を受けて、吉本が「擬制の終焉」を書いたこととか、がそれにあたる。

こうした議論はその時々の時代の心理の深いところに刺さる形でその後の議論の方向を決めていくものなのである。もう少し別の形でいえば、さまざまな議論のうち、ある特定のものがその時代の経験のあり方や表象の在り方を決めてしまうようにも見える。

総力戦体制時代に人々を突き動かしたものは、橋川によれば「日本浪漫派」だったのかもしれない。ほかにもあったかもしれない。

ただ、ここにも述べたように、その時代の支配的な文化とは無縁なところに生活の基盤がある者にとっては、そのような表象や時代経験そのものが、疎遠なものとしか映らないわけで、そういう時代のアウトサイダーのほうにかえって生き生きとした経験が保存されている場合もあるのだともいえる。

2016年11月15日 (火)

あれあれ

ちょっと油断すると一週間間があいちゃうじゃない。この間、本を読んでないね。ぼうっとしてた。で、こないだ、紅葉でも見ようかと、丹沢の裏のほうの「石老山」という低い山に登った。

津久井湖・相模湖の南側にそびえる700メートルくらいの低い山だ。で、登ってみたら、思ったほど紅葉してなくて、がっかりでした。さて、この山の中腹には顕鏡寺というお寺がある。登山路の周辺には、礫岩の巨岩がごろごろしていて、それぞれ名前がついている。特に大きな岩には寺の山号があらわしているような「鏡岩」と称するものもあった。

丹沢周辺には巨石信仰の伝承がいくつかある。表丹沢の、塔ノ岳には、今は無いが、大正の震災までは大きな自然石の塔があったらしい。また、山中湖に近いところには「石割山」があり、巨岩が神体石としてまつられている。

山中で光る石を「鏡石」などと称してまつる習慣は広くみられるが、今挙げたような丹沢周辺の巨石信仰を支えた社会集団がどのようなものであったのか、思いを巡らしてみるのも悪くないだろう。

家に帰ってから、ネットでしらべたら、ちょうど昨年2015年の11月に、皇太子が一人で登山している新聞記事があった。山は紅葉で、富士山もよく見え、興味深い登山だったというような皇太子の感想ものっていた。僕が先日登ったときは、天気はいいけど靄がかかって、富士山は見えなかったけどね。

2016年11月 9日 (水)

きのうは

高3も大勢参加して、気持ちのいい川走大会になったね。大勢が参加するというのはとてもいいことで、ぼくの見るところでは、参加者が少ない学年は概して大学進学でもぱっとしないものだ。その意味では、今年はおおいに期待できる、うん。そして、高3トップクラスの走者もよくがんばった。I葉とHらが最後までせりあったのもすごいし、わが組のSK川が三位にくいこんだのもすごい。いやーほんとにすごいね。平然とした顔で結果を残すところがすごいね。

さて、アメリカ大統領選が結果がでないうちに、少し書いておこう。卒業文集の締め切りは過ぎてしまったけど、とても大事な思い出にもなると思うので、せっかくの機会なのでぜひきちんと書いてほしい。ただ、全体に思うのは、「書く」という行為がどのような意味を持つのかについて、自覚が乏しいような感じがする。

言語行為全体の中で、「書く」ことの意味を問う、ということがおおかた1980年代から20年くらいにわたる「ポストモダニズム」の中で中心的な課題になってきた。その中心人物は、ジャック・デリダだ。彼は、言葉の中心は、「音声言語」であるという普通のとらえ方に対して、「書記」言語の持つ意味、「書く」ことから、言語行為全般をみなおそうとしている。

知識が蓄えられているアーカイブについて、その入れ物となっているもの、表現の枠組み、絵の描かれたその額縁、パレルゴンや余白に意味をみいだそうとするのだ。

そういうことを踏まえてみると、残念なことに君たちは「書く」行為について、あまり意識が及んでいなくて、普段の友達同士の会話に「毛」が生えた程度の気持ちで書いているように思えるね。まあ、あんまり「ダメ出し」ばかりしてると、叱られちゃうかもしれないけど・・・。

ちょっと授業の時に触れたけど、19世紀末から20世紀の始めころのウィーンの文化的雰囲気は、同時代の人々に、「書く」刺激を大いに与えたように思えるね。

20世紀にはいって、ヴィトゲンシュタインに『Tractatus』 を書かせたのも、エルヴィン・シュレーディンガーに数々の思索をさせ、それが著作として与えられたのも、あるいは、フロイトが文化論や宗教論をあれこれ論じるようになったのも、同じ知的雰囲気の中からでたことだ。

現代の僕たちの身の回り(この学校で、そしておおきくは世間全般で)にみられる「書く」行為への自覚の衰退が何を意味するか、それをめぐって状況論を論じるつもりはない。ただ、それが全般的な知の衰退の兆候でないことを願う。願うというのはずいぶん無責任で、まあ、そうならないように、僕としては、高みの見物を決め込むのではなく、「書」の係争や、あるいは、「書」をめぐる生き生きとした啓蒙の精神がどこにあったかを告げるということは、とりあえずこのブログを通じて継続してやっていきたいな、と思っているわけだ。

2016年11月 6日 (日)

だからさあ (2)

A 

おまえが、「バカの一つ覚え」みたいに言っている「ブルジョワ」って、なんなんだよ。ブルジョワって、都市民の意味だろ。マルクスは資本家という意味で使ってて、その反対がプロレタリアだ。プロレタリアは、マルクス的には、「無産者」であって、自分の労働力以外には売るものがない人をいうんだろ。和辻が地主・医者の息子だからその書いたものも「ダメ」だなんて、理屈になってないじゃん。

ぼく

あーごめんごめん、ぼくが、ブルジョワ的、っていうのは、全然違うんだわ。自分コトバなの。

ブルジョワっていうのは、自己自身を同時代の表現手段によって表現できる階級のことなのよ。それに対して、自己を正当に表現できないのが、従属階級の特徴なわけ。ブルジョワってのは、既存の表現の枠組みの中で、何らかの言表が可能で、その言表を正当に受け取ることが期待できる共同体がすでに形成されている、ということがポイントなんだ。それに対して、従属階級の表現は、原理的に不可能であって、既存の表現の枠組みにおいて正当な場所がないわけよ。

何わけのわからないこと言ってんだよ。

ぼく

だからさあ、ブルジョワの人が一度も経験したことがないことを、従属階級は常に感じているわけ。それは、言ってみれば「恥」の感覚だよね。何か一言いうたびに、それが自分自身の何物も表現せず、何物も代理していない、という感覚だわ。

なんかいうたびに恥ずかしいと感じるのは異常だね。

ぼく

「恥」こそ、抑圧された人間のただ一つのこころの叫びさ。あんまり評判がよくない、アガンベンが、『アウシュヴィッツの残りのもの』、で面白いエピソードを紹介しているよ。移送中に若者がナチの警護のものに撃たれるんだけど、その撃たれる時に彼が「恥」の感情を表出した、っていう話さ。

アガンベンも頭おかしい系だね。ナチの人間に撃たれるときに「顔を赤らめた」として、ほんとにそれが「恥」の表出だったのか、それとも、「怒り」の一瞬のあらわれだたったのか、どうして、それが「恥らい」だった、ってわかるんだよ。デタラメじゃねいか。

ぼく

だからさあ、そういう風にくだらん理屈でとらえるとこが、お前のブルジョワ的限界なんだよ。それがホントに「恥じらい」だったかどうか、とか、どうして人の感情がわかるんだよとか、そういう議論をしてるんじゃないんだわ。

じゃ、なんなんだよ。

ぼく

だからさあ、ここにあるのは、自分がどうやってもあらがうことができない不当な仕打ち、のもとにおかれたとき、人は何を表出できるのか、という問いなんだよ。ナチスの非人間的な行為と、「恥じらい」という人間的な情緒のするどい対立にまずは心をぐっと刺激されてしまうのさ。

だいたい、ナチの警護のやつに撃たれるとき、なんで「恥じ」なきゃいけないんだよ、おかしいじゃん。

ぼく

だから、おかしいとか、おかしくないとか、そういう判断を下す前に、そこで何が問われているのか、って考えてみたいのよ。だれが、何を「恥ずかしく」思っているのか。

だからさあ、そこがポイントだって言ってるわけ。

2016年11月 5日 (土)

だからさあ

筋の通った言論と思われるものが、意外とでたらめであったり、筋のとおらないと思われる言語行為が、解釈次第では意味がとおったものになることもある。実際に言葉が話されている場面では、そういうことは当たり前のことである。

「いったいこの人は何を言おうとしているのだろう?」

から始まって、「なるほど、そういうことね」となるまでの発見のプロセスこそ、言語・文化の根本にある「醍醐味」である。

断絶から理解へ、エントロピーの低い(小さい)状態からエントロピーの高い(大きい)状態へ。緊張から定常状態へ。こういう流れがコミュニケーション的行為の根本にある。総じて、言葉通り、言語行為は「ディアレクティク」である。

およそ、文学とは、ある言語行為(作品を書く)を通じて、全き他者性のもとに自分を開示し、そこに身をさらすという、冒険的な面を持っているのだと思う。

和辻のようなブルジョワ学者には、そのような賭けは永遠に不可能だ、互いに了解可能なスタティックな共同体を前提し、その内部で何かこそこそ話し合うような、そういう言論を構築することしかできないのだ。

もともとは帝大の学者たちが、学会やら学部やら、権力機構の内部であれこれ話してきたいろんな話題があったのだが日露戦争後の状況の中で、そうした言論が、市街地に漏れ出した。

言語の交換の場所が、開かれた市民社会へともたらされたのだ、と言ってもいい。

近代文学においては、文学というジャンルは最初から、大衆に開かれた領域であったから、だまっていても内輪の言語を市民に開く方法論が模索されたのだ。いわく「言文一致」であり、いわく自然主義である。

これに対して、ハイカルチャーとみなされた洋物(西欧起源の文化)ジャンルはなかなか開かれない。しかしながら、政治の分野においては必要に迫られて、「人権」も「議会」も早くから抗争の材料となって人口に膾炙してきた。福沢であれ、あるいは兆民であれ、明治の啓蒙家たちがその役割をになった。

一方、例えば、「哲学」というジャンルにおいて、市民の場所へと言論を啓くことを最初にはっきりとやって見せたのが西田幾多郎だった。

和辻のような次の世代の書き手は、さらに、読み手の場所へと開かれた作品を届けようとしたのだろう。このころになると、西欧文化は開かれるべき他者性の場所ではなくなり、いわば作品をいろどる「装飾」となる。

和辻の資質はもともと、「ロマン主義的」「日本主義」にある。「光の領国」とは、まさに、和辻が村一番の知識人である医師の子供としてみた、播磨の国、神崎郡仁豊野の緑豊かな平野であるにちがいない。

そこから出て、そこに帰るべきロマン主義的な「起源」の場所がある限り、その言論は他者性に身をさらす危険をあえておかすことはないだろう。前から僕が疑問だったのは、なぜキルケゴールやニーチェを研究するような人が、同時に『古寺巡礼』を書けるのかということであった。キルケゴールやニーチェがまさに己の生命をかけて市民に開いて見せた深淵を、いったいこの人は本当に見たのだろうか?という問いである。

そして、今回、子安の『倫理学』 読解を通じて、わかったのは、和辻がしようとしたのは、あくまで、ひとつの「そぶり」であって、ハイカルチャーの意匠を身に着けて、しかし、来るべき「日本帝国臣民」の共同体にむけていろいろな「芝居」を提供する、そのような知識人の役割を演じることだった、ということだ。

そこには、「他者に身をさらす」冒険は、少しもない。そもそも、和辻は、「冒険」なんかしたくないのだ。

せっかくの留学の機会を「もはやドイツには学ぶものなし」とばかりに勝手に短縮したのも、そう考えれば納得がいく。もっと端的に言ってしまえば、和辻には「文学」する素養が全くない。樋口一葉が市井の人間に見たような最低限の「もののあわれ」の感覚さえ持ち合わせていないのだと思う。

昔から日本には「文人」という便利な言葉がある。そこには、知識階級が民衆から遠く離れて詩歌を論ずるような趣がある。しかし、そんなものは中国崇拝から生まれた幻みたいなもんだ。

その一言一言に何かが賭けられているわけではない言葉は「軽い」。軽いからいくらでも取り替えがきく。和辻が論述を全集版に収めるときにあれこれ校訂を加えても、それがぜんぜん全体に影響を与えないのは、もともとことばが軽いからなのだろうと思う。

ちょっともとに戻るが、西田幾多郎がいう、フィヒテの「事行」 Tathandlung  の方法はもう少しダイナミックな方法なんだと思う。(『自覚における直観と反省』1917)

・・・・自覚はそれ自身による無限の内面的発展である、真の創造的進化である。・・・・例えば芸術家の直観のごときも決して無反省なる単純な直観ではない。苦心惨憺たる反省の結果として発展する直観である。我々は深く反省するだけそれだけ進むことができる、厳密なる意味において単なる繰り返しというものはない。

このように論じるとき、西田にはヨーロッパ哲学という「他者の言語」を、開かれたものとして、開かれたものとして日本語に受け取ろうとする、啓蒙の精神が生き生きとしている。

いったい、いつ、どのようにして、この精神は反転し、閉ざされた共同体の言語へと変換してしまったのか? たんなる論者の資質の問題なのか、そうでないのか。

およそ、人文学にかかわるものなら、この問にきちんと応えなければならないのではないか?

2016年11月 3日 (木)

このところ

このところ更新してないじゃねいか。 どうもすいません。 またいつもの通り、見通しができてくると、気持ちだけが先行して、気張りすぎて止まってしまいました。先週の金曜日と土曜日は、神保町古本市、ブックフェスティバルに行きました。そこで、現今の課題にそった本なんかも見つけたのですが、ちょっと目標があいまいになってきました。

まず和辻「倫理学」批判にかんして。和辻学のロマン主義的転回については、子安宣邦が、『和辻倫理学を読む―――もうひとつの近代の超克』 青土社 2010.8 の中で、特に、その第10章、「和辻に市民社会はない」に、はっきりと叙述されている。

186ページのところ、

・・・・・日本近代が基本軸をめぐる対抗関係を失って、欧化主義に一元化されるところから日本浪漫派の文学運動は始まるのである。保田輿重郎がいうように、「日本浪漫派の運動はまさに崩壊せんとしつつあった日本の体系に対する詠嘆からはじまった」・・・・・こう見てくれば、近代史の二重性の解消としての現代日本という和辻の歴史認識や問題意識の構図はまったく日本浪漫派と重なるものだと知れるのである。・・・・和辻の危機意識は、・・・・日本人の考え方の資本主義化であり、帝国主義化である。

子安によれば、和辻は帝国主義化の根源を「町人根性」の展開に見出している。一方、このころ日本古代史に関する近代的な批判作業として、津田左右吉の著作、『神代史の新しい研究』1913 や、『古事記及び日本書紀の新研究』1919 などの諸研究が成立してきた。こうした状況を一方に眺めながら、これらの「偶像破壊」的な作業を踏まえたうえで、その全面的乗り越えのために、あえて「偶像」の再構築を目指そうとした、というのだ。和辻は、まさに、そのまんまのタイトルでもある『偶像再興』1918 を著し、その翌年から『古寺巡礼』、『日本古代文化』を続けて出版する。その延長上で、「文化共同体としての民族」を再構築し、「最高の人倫的組織としての国家」とは、国民が「究極的な人間の全体性に没入するところの究極的な去私」の道を示している、という『倫理学』の記述につながっていくのである。

もうここまであからさまになっていることに、何も付け加える余地はない。和辻をその究極の代表者として、学者たちは、日本が総力戦体制に突入していく中で、全力量をもって、その著作の中で「近代の超克」、ことばを変えていえば、帝国主義諸国家群の一員としての「日本」をヨーロッパ生まれの帝国主義と対立させ、乗り越えるという、架空の物語の形成者となっていくのである。

正直、お笑いである。本人たちがどう思っているかとは別に、人々を投げ込んだ歴史の渦の中で、それが唯一の答えでないばかりか、まったく方向を失ったものであったのだ。

子安さんのおかげで、すべては自明になった。しかしながら、21世紀の今でも、熊野・・彦とか、批判よりも権威をヨイショするタイプの「和辻論」が横行しているのをみる。和辻学は、資本主義の激烈な競争を通じていやおうもなく資本が集積し、新しいタイプの社会が形成されていることから目をそらし、文化問題を下部構造から切り離して独立に論じることができるという、根本的に「ブルジョワ的」な問題構成の上に成り立つものである。そのことに気づかないのは「光の領国」の住人だから、というのは、いくらなんでも買いかぶりすぎだろう。

こうしている今も、たとえばハンナ・アレントの『人間の条件』をイメージしている。現代の人間のおかれた条件が、「労働する人間」であることから、何が導き出されるのかを考察したこの本の深い思索を思う(比べる意味もないのだが)。一方、何をとち狂ったか、ヘーゲルを誤読し、目前に展開する社会の変貌に進んで盲目であろうとした学者には、いかなる意味でも啓蒙の光を見出すことはできない。

日本の高校生の学ぶ『倫理』が、進んで obscurantism に向かおうとするのか、否か。だれか、きちんと答える人はいないのか?

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