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2017年5月19日 (金)

せっかくなので 1

昨日のブログの「補遺」の最後のところで、戦時中の和辻の論文「アメリカの国民性」1943 について少し触れた。せっかくなので、今日はまずこの論文を検討することから始めよう。
全集第17巻に収められたこの論文について、古川哲史の解説では、この論文は、「思想」1937年12月号に掲載された、とある。だから、執筆後5年たって、太平洋戦争中にそれを改稿し、論文「日本の臣道」と合わせて筑摩書房の『戦時国民文庫』の第一冊として1944年7月に刊行したものであろう。
太平洋戦争中にその内容を改稿したという事実は読めばわかることであって、なぜかというと、客観的にアメリカの国民性を論じたというよりは、やたらファナティックにアメリカのアジア制圧を非難し、その失敗を期待している内容だからだ。

その時局にあわせて、読者の喜びそうなことを書く、というのは和辻らしくないというのが一般の理解なのであろうが、僕はそうは思えない。和辻倫理学における倫理とは何かといえば、常に社会的に期待される役割の型を認識し、その「面」=ペルソナを演じるところに倫理があるのだから、和辻は常にそれを意識し、それに向けて自らの Sollen を意識し努力してきたのである。もちろん解説の中で、古川哲史が言うように、「一時の単なる主観的信念の表白」をしたとは考えない。ここにもきちんと和辻の学問的良心や、信念が表明されていることを認めたい。また、そうであればこそ、戦後の全集刊行時に掲載を認めたのであろうことはいうまでもない。

しかしながら、21世紀にはいった現代の目からみると、なかなかの「トンデモ」的な議論になっていることがよくわかる。それについては、これから書くこの論文のまとめをとりあえず参照してもらいたいのだが、なによりも僕が気になったのは、このアメリカの国民性論というものが、ほぼ名著『風土』と同時期の作品だということで、この「トンデモ」的なものと「名著」とされるものは、全く同じ方法的視座から書かれているのではないかと僕には思えるからだ。なぜ『風土』は名著で、「アメリカの国民性」はトンデモなのか、同じ学問性、同じ真摯さでとりくみながら、その違いがなぜ出てくるのか?、と問うとき、逆に、「実は『風土』って、トンデモ本なんじゃね?」、という問いが出てこざるをえないのだ。それを僕は良い子のみんなには考えてもらいたいんだよね。


というわけで、今日は「アメリカの国民性」という論文の内容を簡単にまとめるね。

(次回に続く)

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