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2017年6月29日 (木)

いろいろお話しさせて頂きます

もう二週間近く前のことだが、いつものように神保町のあたりを散策していた時、交差点近くにある理数系の古書を扱っている店の店頭の洋書ばかり置いてあるワゴンをちょっと覗いたら、分厚いイタリア語の本が置いてある。よくみると、carcere・・とある。なんと!グラムシの獄中ノートではないですか。全4冊ありまして、どういうわけか分売になってる。これって一冊だけ買う人っているのかな。一冊700円。店の中にいたお兄さんに四冊まとめて買うからまけてくれ、といったらすごい嫌な顔をされた。実は文字が小さくてとても無理かなとも思ったこともあって、購入をとどまったのだ。その5日後にやっぱり購入しようと思って店に行ったが、もう店頭にはなかった。その店は理数系の本しか置いてないのに、日本でみることは非常に稀なグラムシのイタリア語本が、どういうわけでそこに紛れ込んだのか。おそらく店員は何が書かれている本かもわからずに適当に値段をつけて特売コーナーになげこんだのではないかなどと、いろいろ妄想してしまった。
さて、グラムシについては、このブログでしばしば適当に使っている「サバルタン」を最初に問題提起した人なのだが、私はいままでグラムシについて調べたことも、読んだこともなかった。ちなみに私はあくまで、ガヤトリ・スピヴァクからこの用語を借りてきたのだが、その大元はグラムシなのだ。
アントニオ・グラムシは、1891年に生まれ、イタリア共産党の創設者の一人。1926年に投獄され、20年の禁固刑とされる。この間、監獄で執筆許可を得て、約3000ページくらいのノートを書いたと言うことだ。そして1937年に釈放されたが、すぐに亡くなってしまったという。
このグラムシが獄中で考えたことには、来るべき社会を考える上でのいろいろなアイデアが含まれているらしい。最近(アメリカでは)ヘゲモニー概念が何かと問題になっており、その点でもグラムシはますます注目されているのだ。
そんな、グラムシの本をたまたま目にしてしまった機縁で、昨日はスピヴァクが2012年に「京都賞」を受賞した際の記念講演の本を読んでしまった上に、いまこうしてゴチャゴチャと書いているわけである。

その京都賞講演で私が感動したのは、スピヴァクの両親が大変に立派な人たちであったことだ。母親はインドにいる時もアメリカでも大変な実践家であって、社会で困難な立場に置かれた人を助ける活動をとても熱心に活動していたこと。また父親は医師として立派であったとともに、娘に対して、常に社会の弱者の立場に立つことを日常的に示唆してきたことを示すエピソードが語られている。

銀行だったかな、そこには人々が長い列を作っていた。ガヤトリの父は、「私たちのカーストは並ばないでも窓口で受け付けてもらえる、でも君はかならず列に並びなさい」、みたいな。

サバルタンといっても特別なことではない。社会的な弱者の立場とはなんであり、知識人がそこでどのような関係に立つかをきちんと考えることの大切さが言われているにすぎない。

ガヤトリ・スピヴァク自身は、Cornellで Paul de Mann に学んで、その後にDerrida の De la Grammatologie の翻訳・解題でデビューしたんだってね。

さて、今日、最初に話題にしようと思ったのは、実はまたまた性懲りも無く、日本の右翼思想についてです。敗戦に向けてすごい勢いでクレイジーの度合いを増していった日本哲学について、もうすっかりやになっちゃったみたいな事を書いてきたんだけど、またまた右翼思想です。
というのは、たまたま、大学図書館の政治書のコーナーに、「蓑田胸喜全集」が並んでいたのを見てしまったから。

蓑田胸喜全集(全7巻)柏書房
きのうは第5巻から第7巻まで参照しました。
そのうち第6巻『国防哲学』2004.11. 編集者グループのうち、この巻の担当は福間良明(香川大学)。

日本論理学 コトノハノミチ というのを面白く読みました。『原理日本』という彼らの雑誌に1937年からとびとびで連載していた記事です。
「コトワリ」とは「事割る」である、「真の言葉」が「マコト」である、とか。マコトの道の道とは「御」の「血」であり、血は路であり、「生命」(いのち)は「息の路」であるといった語呂合わせ的論述に面白みを感じました。また、ゲーテがヨハネ伝の logos を最初に Kraft(力)と訳し、次いで Sinn (意味)と訳し、それでも落ち着かないので、Tat(行) と訳したら落ち着いた、なんてのも印象に残りました。中国ではlogosを「道」としたが、日本語なら「コトバ」というのがいい、とのことです。インドのミーマンサー哲学は「声常住」をいう、とか、「考える」とは「もの思ふ」であるから、「物事」と関係があり、英語でも think は thing , ドイツ語でも denken は Ding. てな具合です。

他にもいろいろ面白い言葉の解析論が展開されるのです。

Logic とは、コトノハノミチであり、明治天皇御集の言葉で言えば、コトノハノマコトノミチ とも言えるし、シキシマノミチ とも言えるのです。


さて同じく全集6ー40、「詩人と軍人の人格的統一 、 デュルクハイムの獨逸精神論に因みて」 『原理日本』1940.6.

これも中身はともかくなかなかに興味深い論題です。というのは、全集7巻佐藤卓己編集、の解題の中につぎのような指摘がありました。

明治以降の日本主義の展開には三つの局面がある。まずは明治20年代の政論的日本主義(陸実、三宅雄二郎、志賀重昂)。明治30年代の美学的日本主義(高山樗牛)。そして第三に第一次大戦後の新しい日本主義、その代表は三井甲之の「歌学的日本主義(シキシマノミチ)」。
ナショナリズムという観点から近代を見ていく上では、結構面白い指摘だと思いました。

いやー、今日も結構勉強してしまったね。良い子のみんなはちゃんと勉強してるのかな?
先々週だったかな、自由が丘の Book off の前で、you–Taro君にばったりあったな。蒸し暑くなってきたけど、みんな、頑張ってね。


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