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2017年6月25日 (日)

ごめん、やっぱダメだった

というわけで、前回お約束の通り、片山杜秀先生の『未完のファシズム』副題は「持たざる国、日本の運命」、という新潮選書の本(2012.5)、読んだわ。前に取り上げた『日本の右翼思想』にでてくる、トンデモ思想ではなくて、すこしはマシな思想がでてくるのかとおもって期待して読んだけど、やっぱダメだった、ゴメン。
「速戦即決」、「戦陣訓」、「大東亜共栄圏」、どれもこれも思いつきのアイデアをみんなが合唱しているうちに「真理」みたいなかんじになっていって、結局自分で作った幻想に自分が飲み込まれ、自分の思想の説明不足をだれも責任をとらないまま、大変なことになってしまったのは、前回みた「右翼思想」と全く同じ構図。

片山先生は一生懸命こんな思想にも共感的に付き合ってくれるのだが、まあ、結局、感想としては、「何もかもダメじゃん」、て感じ。片山センセイは、第一次大戦の経済効果で、日本の体制がゆるんじゃったことをまず第一にあげているけど、それだけじゃすまない、どうしようもないダメさがあるよね。

関係ない話なんだけど、このあいだ、神田の田村書店の店頭100円売りで立て続けに洋書を何冊か買ったんだけど、そのうち、きったない一冊で、Guillaume Apollinaire : Les onze mille verges , 1970. L'Or du temps

っていうのがあった。これってあのアポリネール1880-1918が1907年に出版し、発売禁止になった正真正銘のトンデモ級のエロ小説を1970年になって復活させたという、いわくつきの出版物なんだ。アポリネールは(もらってはいないが)レジオンドヌール級の作家だけと、そういう世に知られた人が同時にこういうトンデモなエログロ作品も何個か書いているらしい。


日本で言えば明治末から大正という、同じような時期にいろんな日本思想が育ち始めたわけだけど、それが、ドンドン「日本化」して狭い世界に突入していくのに対して、ヨーロッパの同時代作家の経験している世界が、そういうものとまるっきり異なることにビックリするよね。ヨーロッパ的な知識世界の、世界のひろがりに驚くね。
経験も知識もないわけではないのに、世界観も社会の構想力も決定的に欠如して、その状態に自足してしまい、自説の十分な説明もできないまま「総力戦」とそれを支える「トンデモ」な「日本バンザイ」に突入していった日本社会の知識人のあり方があまりにみじめだわ。

何度も言っているように、ココロある知識人は、気付き始めていたんだよな。この島国の外の世界のことを。『旅愁』の横光利一も、その「違和感」をその作品でなんとか表現しようとしていたんだと思うんだよ。『浮雲』のインドシナ植民地の様子を記述した部分は、林芙美子の戦前・戦中の旅行経験が形になったもので、決して戦後の状況から後付けして考えたものではない、と僕はおもっている。
フツウの市民の立場からの、素直な感受性でもって外国体験の意味を解明しようとする姿勢がそこにあるんだと思う。そして、それは「思索」の新しい形の始まりだったと思うんだよね。残念なことに林も横光も早死にしてしまったけど。

実は先般から、苦労しつつ保田与重郎
を読んでいて、少なくとも、世に言われるほどひどくは無いぞ、その強烈な方法意識といい、一定の批判的思考を通じた世界との関わりといい、「けっこういけるんじゃね?」みたいに思っている。しかしその一方で、自分が保田与重郎みたいに「日本」を考えたいか?、と言われれば、No, thank you !
としか言えない。だって「世界はもっと広くて、人はもっと優しい」ことは分かっているから。


というわけで、改めて世界文芸の進度みたいなものを、古本屋の店頭で思い知らされたのよ。同じく澤口の店頭で、 Samuel Beckett WORSTWARD HO, 1983.John Calder, London を200円でゲット。これも言語表現というものを究極のところまで押していった、ある意味トンデモな作品だということが分かった。言語芸術はここまで持っていくことができる。こういうメッチャ「高い」世界が有るんだね(タメ息)。


片山先生の研究はほんとうにご苦労様と言いたいトコだけど、やっぱりどう転んでも、戦前昭和思想から何かの展望を拾い出すことはむずかしんだナア、と思い知らされる。その戦前昭和の思想について、ダメ出しが終わっているのならともかく、例えば「和辻哲郎」みたいに、ゾンビ化しつつ生き残ったものに対して、キチッと見ていかないと、またまた日本思想は「迷蒙」に転落していくのでは無いか、と心配になるわ。

良い子のみんな!「社会を構想する」とか、「文学作品を作る」ということは君たちが考えているよりもずーっと射程の長いものだ。世間には自称・他称、政治家とかがいて、これからの世界をどう作るか考えてくれているみたいに見える。それから、世の中にはまた学者・アーティストなどという人もたくさんいて、それぞれに仕事をして、何かを「作製」しているみたいに見える。そういう人たちが、何か自信を持って語っているのを見ると気後れしてしまうこともあると思う。でも今、目の前にあるものがそんなに「高い」ものではないことが分かったら、何も無理して低いものに自分を合わせようと努力する必要はないと思うよ。ツマラナイものに同調しようとして疲れるよりも、まずははるかに高いところにある「導きの星」みたいなものを目当てにして進むのがいいと思うよ。

というわけで、野上弥生子『迷路』の読書から始まった、昭和思想とはナンデアルカ、軽井沢的近代とはナンデアルカ、林芙美子と横光利一の「発見」、そういう一連のテーマ探求はなお「日暮れて道遠し」だ。
ツマラナイものは迂回して、そして高い星を目当てにしつつ、彷徨いながら進んでいくだけだ。



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