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2017年7月 3日 (月)

蒸し暑くなりましたね。

知識人が軽井沢にいくのは、頭脳労働にとっては、暑さは望ましくないということがあるのだ、と片山センセイの本に書いてあった。確かに今日みたいに劇的に蒸し暑くなると、頭がぼうっとして、判断力が衰える気がする。さっき京浜東北線に乗っていて、頭がぼうっとしていて、駅のアナウンスが「オオモリマチイ、オオモリマチイ」と聞こえて、「アレ?大森?京浜急行?」と混乱してしまった。実際は「オオイマチイー」と言っていたのである。こんなふうにすでに外界を受容する感覚器の段階で、情報処理上のバグが生じてしまっている。

今年の4月から大学図書館の地下で読書したり、このブログを書いたりしているのだが、その場所の空調が効きすぎていて、常に寒すぎだなと感じてきた。しかし今書いた理屈から行けば、図書館がやや寒めであることは、頭脳を活性化させるので理にかなっているともいえる。東京の都市中心部ではほとんどの施設では冷房がよく効いている。というか効きすぎるくらい効いている。それでは東京人の頭脳は常によく冷却されているか、というとそうでもなさそうに思える。というのは、冷房がよく効いている施設と別の施設とを結ぶ通路部分、たとえば街路の歩道だとか、駅の構内だとかは、普通以上、つまりその時の外気温より遥かに温度が高いことが多い。街路であれば自動車からの排熱、駅やこみ合った場所の通路はたいていの場合風通しが悪くて熱がこもっている。その結果東京人が外出して繁華街などを通る場合、異常な暑さと、急激な冷房環境の間で、出たり入ったりを繰り返すことになる。これも都市が与える刺激のひとつということになるのかもしれないが、ちょっと異常な感じもする。

話をもどすと、確かに作家先生は軽井沢で仕事をしているようだ。このブログでたびたび言及している野上弥生子センセイの場合は、戦中から戦後にかけて、北軽井沢の別荘にほぼ通年暮らしながら作家活動をしていたようだ。戦後には同じく連れ合いを亡くした田辺元センセイと、別荘のご近所ということもあり、頻繁に手紙のやり取りなんかをしていた。

涼しくなければ知的な仕事ができないのだろうか? これには簡単に答えることはできない。ただ、現代の都市環境のもとでは、暑さを我慢しながら知的活動をせよ、というのは極めて難しいとおもう。昭和30年代くらいまでの東京であれば、夏でも夕方になると涼しい風がどこからともなく吹き抜けるような環境だった。現在のようにコンクリートの建物やアスファルトの道路が熱を溜め込み、いつまでも暑いような、そういう環境ではなかった。代わって庭の木陰や草の生えた場所、井戸から汲んだ冷たい水が日中の暑さも和らげてくれた。

南方熊楠は紀州の森ではほとんど裸体で過ごしていたようだが、彼の常に高回転で働く頭脳にとっては、そのような身体冷却法が脳の働きを加速したのであろう。
ガンジーがやはり裸体に近かったのと彼の思索の間にも何かそうしたことがあるのかもしれない。

仮に赤道に近い南方の都市であっても、人間の文化が生まれた場所は、やや高原にあって空気が冷涼であったり、湿気が多くて太陽光をまともに受けない環境であったりして、人間の頭脳活動というものが、可能な条件が整っていたのであろう、などと想像してみるのである。


さて今日、めちゃ暑い時間帯に多摩川の河原のベンチでごろ寝した。してみると意外なことに海から入ってくる風が通り抜けて、日中でも気持ちがよい。それなりに涼しいと感じられたのだった。(ただし長くいると暑くなります)。ごろ寝してすぐ、思い出したことがある。

それは「実践の思想」ということである。といっても今読んでいるグラムシがその論説で示しているような、イタリアの労働運動にとって、めっちゃ射程が長く相当程度天才的な「実践の思想」というようなものではない。もっと卑近な人生の方法論みたいなものだ。
高校の現代文のテキストに京都大学の梅棹忠夫の文章が載っていた。梅棹忠夫が知識にむきあうのは、常に実践との関係で必要のあるものを取り入れたというような話である。梅棹は高校時代、山岳部で活動をしていたので、雪崩の知識が必要となれば、外国の文献なども取り寄せて読むといいうような読書法をしていたというのだ。
実は不肖私、今を去る半世紀近く前のことながら、高校生徒の時に読んだこの話がめちゃくちゃ気に入ったのである。「必要に駆られて学ぶ」「必要に押されて読む」のが正しい読書だ、と信じ込んでしまったのだ。

まあ、私のことは置いておくとして、件のグラムシという人の Meridionale 問題への対応を書いた文章を見ていて、当面の実践的課題に対応するなかで書かれた文章であるにもかかわらず、その状況把握の正確さとか、射程の長さみたいなものにびっくりした。やっぱり「思想」というものは何か「宙に浮いて」あるものではなくて、その人の実践的な課題に即して見えてくるものなんだと改めて思った次第なのであるヨ。

先般から追求している昭和10年代の日本思想について、それが「思想」であるとして、どのような「実践」にふさわしい思想として考えられたのか、まずはきちんと押さえておかなければならないだろう。


その一方で、思想を見ていく上でもうひとつ別のアイデアも必要になると思っている。それは、同時代とかその前後の状況においてみると、陳腐に見えるものであっても、一旦はその枠組みを壊して、思想をその可能性において見るというやり方だ。直接に政治的な目標や実践課題を意識していないけれど、何かやむにやまれぬ必要から湧き出してきた思想の端緒のようなものを、その正当な本来あるべき可能性の目で持ってみていくという、思想の捉え方である。

なぜそういうことが必要から、というと、「被支配階級」は一定の「ヘゲモニー」のもとで、「支配的」な表現形式、あるいは「代理表象」を通じてしか自己を表現することができない、とみられるからだ。
(サバルタン・ヘゲモニーなどの概念をうまく利用したい)

昨日から今日にかけては、ミシェル・フーコーがコレージュ・ド・フランスの講義で扱った「統治性」 la gouvernementalite というような考え方も、もしかしたらなんかつかえるんじゃネ?的な期待を持っている。まだ見てないからわからんけど。

まあ理屈はともかくとして、あれやこれや迂回路を通過しながら、そういう方法的なアプローチを通してしかみえてこないものを見つけたいと思っている。
もっと端的に言えば、40年代思想の具体的な形象の中に、破砕され断片化した「ユートピア」の残滓、または「痕跡」を探したい、ということなのだよ。

今日はフーコーの1978年の講義のうち、「司牧権力」いついては多少読んだことがあるので、その後のところ、3月の講義をすこしつついてみようと思っている。

じゃ、良い子のみんなも頭を冷やして頑張ってね。

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