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2017年7月 6日 (木)

井上寿一さんの本

『日中戦争下の日本』講談社選書メチエ 2007.7 読みました。

このブログで一貫して問題にしている時期に関する記述であり、また、時代相の捉え方として、僕が述べてきたことと重なる部分が多く、その意味で楽しく読めました。

第1章「兵士たちの見た銃後」
世界恐慌からいちはやく脱して、1930年代を通じて成長し続けた日本経済は、日中戦争がもたらす国防充実のもとで重化学工業が発展し、戦時統制経済にもかかわらずますます景気が拡大し、銃後の生活、とくに都市生活は豊かになって行った。
銀座ではデパートなどが豊かに飾られ、消費を中心とした生活が庶民に及びつつあった。だから兵士に送られる慰問袋も一人一人がこころをこめて送ることもある一方、デパートがセット販売しており、注文すれば、手間いらずで戦場まで送るサービスまでしていたそうです。あまりにも心がこもっていない慰問袋が届いて、がっかりすることも稀ではなかったとか。このころの消費文化については『迷路』の中でも出てきてましたよね。フランス人の経営する麻布の店でパーマをかけた後、銀座のパーラーで「サンデー」を食べるとか。東京のややハイソな人にとってはそうしたことが当たり前になってきていたってこと。そんな様子を示すようなデパートの写真や慰問袋の広告がこの本に紹介されています。つまり戦争のもとでの経済活動の拡大にともなう消費生活の拡大、そうした中で、中国の戦線にいる軍人の経験や意識と、国内とくに都市生活者の豊かな生活とのギャップが初めて意識されるようになったわけだ。もっとはっきりいうと、要するに「無関心」だよね。消費文化に基づく生活意識は、強制されない限り、「戦争」をイメージすることはない。兵士の側からみると、「俺たちがこんなに頑張っているのに、銃後ではこんなにちゃらけたことをやってんのかよ!」、ってことになる。

第2章 戦場のデモクラシー

一方で、中国に行った日本人兵士たちは、現実の中国の人々に接して、ある人は中国農村の素朴な人間性に触れ、ある人は貧困の様子を知り、という形で、何か肯定的なものを捉えるようになっていく。それは国内では全く得られない、経験による「知」の獲得だったわけだ。
これも僕が前から指摘しているように、日本の平凡な人間が、初めて「外国」をじかに体験するという事態なんだな。本だとか、人から聞いたこととか、という形で、ステレオタイプ的に
しか知らなかった「外国」(ここでは中国)について、全く新しい経験を得たことになる。これはすごい画期的なことなんだよね。「桃太郎の鬼退治、加藤清正の虎退治、乃木将軍の203高地」みたいな「お話」としての外界ではなくて、日本以外に自分とおなじような人間が作る社会と社会生活を初めて経験したわけだ。そこからはいろんな観察や同情がうまれてくる。だけどそういうことは「消費文化」に浮かれている内地の都市生活者には、何も伝わらない。そんな中、軍当局から「ペン部隊」として送り込まれた作家たちが、同じように現地の生活に触れて、いろいろ経験し、それに基づいて日本文化の中にある狭隘なものの見方さなどに気付く人がでてくる。


第3章 戦場から国家を改造する

対中進出が一段落すると、戦線は膠着し、中国民衆の間からは日本軍への不満が高まってくる。その一方で国内向けには、戦争体制にむけて世論を導きたい。そんなところからにわか作りの理念としての「東亜共同体」とか「国民精神総動員」みたいなスローガンがでてくる。内鮮融和論がおこり、社会大衆党は国民政党化する。


第4章、第5章、第6章
こうしたことに対応しようとしたはずの近衛新体制、翼賛運動は、内実はなかった。また蓑田胸喜のような日本主義も、帝大の教授たちを攻撃し、やめさせたところで目的を失った。農村でも都市でも、「下方平準化」により、あたかも日本は「共産化」したかのようになった。その一方で日本は「神の国」という空疎な言葉だけがあり、人々の心はバラバラになって行った。

この本で面白いのは第1章の「銃後」の社会を描いたところとか、第6章で国内がバラバラになっていく例をあげているところ具体例をいろいろ記述しているところだ。その一方で、社会の分析としては「自由主義」と「全体主義」のというダイコトミーと「国際協調」と「地域主義」という二分の組み合わせから概念化しようとしているけど、これは全く説得力がない。それからイデオロギーに関しても極端な日本主義の登場をマッカーシイズムに例え、蓑田を「トリックスター」などと位置付けているが、これでは何の説明にもなっていない。
歴史家だから「概念化」の努力は必要ない、事実を列挙して読み物として成り立っていればいい、というのでは物書きとして理想が低すぎるだろう。

しかしながら、僕がこの著者に期待する面があることはまちがいない。
日中戦争期の歴史イメージを、日米開戦後の坂道を転げ落ちるような転落のイメージの延長上に捉えることをやめる、という点。
1937年から41年までは、日本社会は経済的にも社会経験の上でも新しい豊かなものを経験していた、つまり結構ポジティブな感じで進んで行ったこと、そんな捉え方を支持したい。
日本社会が新たな市民意識の入り口まできていたこと、その辺を歴史家として、多くの例証とともに示してくれていること、そんな点だ。

市民意識とはプライベート重視、消費生活重視などのエゴ優先の社会へといやおうもなく突入していたということだ。またその一方では、新たな経験を通じて、中国の人々の当たり前の生活のあり方にも気付く人々も現れた。そういう面をこの著者はきちんと押さえている。

日本の統治者は、市民意識の成長から生じる統治体制のほころびをついに埋めることなく、社会は統合を失って敗戦へと突っ走って行ったということだ。
新たな市民社会のイメージを担ったのは労働者・女性・農民という階層だが、彼らの国内での発言権の拡大の一方には、中国朝鮮その他、日本軍国主義の植民地主義によって声をかき消された大衆があった、とそういうことなのだ。
日中戦争から敗戦に向かう過程は、統治作用が極限まで衰微した解体期の社会であった。この間にいろいろな主張がなされたが、そもそもいったい日本の近代はいかなる「統治性」の原理を問うてきたのか、「原理主義的日本主義」、「(とくに経済的上の)自由主義」、アジアと日本の関係(たとえば華夷秩序)、世界をどのように捉え、国家統治の原理に組み込もうとしてきたのか、そうしたことのさまざまな系譜学をいったいだれか問題にしたことがあるのだろうか?

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