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2017年10月25日 (水)

動くな、死ね、甦れ!

先週末、季節の変わり目の体調不良をようやく終了。体調不良中は終日 Diana Krall を聴きながらすごしておりました。その後は ヴィターリー・カネフスキーの『動くな、死ね、甦れ!』1989. を見たり、もはや会期末となった『横浜トリエンナーレ2017』を2日かけて見た。

スマホの電源を入れるとついなんとなく見てしまうツイッターの発言。選挙があったせいもあるのだろうが、政治がらみのつぶやきがあれこれ。いろいろな立場の方があれこれ発言しているのをみていて、なんか楽しめない。どうして楽しめないのかなと思っていたのだが、映画館で上映前の予告編みていた時にヒラメイタ。

なんか、政治的意見って、芝居くさいよね。何かこっちに訴えかけているのだが、本当に訴えるというよりは、芝居くさいというか、こっちの出方を伺っているような、そんな含みがある。

だれかのことをのことを思いっきりくさしてみたり(「ディスったり」っていうのかな?)する「つぶやき」が満ちている。たとえ口喧嘩でも、他人のケンカを見たいとは思わない。

本当に言いたいことがある人は、そんな風に芝居かかって訴えることはないのではないかな?
君のことを好きな人がいるとして、君がその人に視線を向ける時、その人はあえて目を逸らすのではないのか?

「愛」とは「没入」への視線ではないか、と言いたい。

いろいろ訳あって、先日三島の「豊饒の海第一巻」『春の雪』読んだ。冒頭ちかく主人公松枝清顕が、園遊の場で池の向こうに幼馴染の綾倉聡子を見るところから、すでに三島のこだわる「何か」が強く作用しているのを感じる。
漱石の三四郎が池の向こうに佇む女を見たときの視線と比べてもしょうがないが、同じく「他者」の存在を感知する若者が描かれているといっても、そのこだわりの強さという点では、三島の松枝清顕の視線の強さはただものではない。

他者のまなざしを自分に向けることが「愛」であるかのごとく世間では語られるが、まあそれは大したことではない。他者が凜としてそれ自身の世界にある、その意味では自己とは切り離されていることが、「愛」の条件ではないのか。

あー、まとまらないな。
ツイッターなんか見ていて、不愉快なのは、「愛」がまったく感じられないからなんだよね。エクリチュールには二種類あって、他者の「他者性」をみとめてそこに備給されるエネルギーが問題となるタイプの書き物と、そうした心的プロセスがまったく介在しない文章と二つあるんだと思う。政治が関わる発言ではその辺の「心的プロセス」が全く欠けているものばかりになってることが僕の不満なんだろうな。

カネフスキーについて、是枝裕和の言葉がパンフレットに載っていて、「ドキュメントとフィクションの境界、それに対する眼差しとアプローチが云々」と言っている。
およそアート、ファインアートの全体が関わるなにかがそこにある。おそらくカネフスキーは自身が生きたスターリン時代の荒れた世相の全体を描き出したかったんだろう。そういう時代にありえた「生」のありように対する強い(肯定的な)こだわりがこの映画の土台なのだ。最後のところの「カメラを止めるな、よく見ておけ」というメッセージこそ、さっき言った備給された心的エネルギーの表現なのだ。

明らかな劇映画であるこの作品について、是枝が「ドキュメンタリー」のようであるかのごとくに言っているのは、出演している人たちが「芝居くささ」を全く感じさせないからなのだ。「芝居くささがない」ということを別の言い方をすれば、そこにでてくる人がもっぱら「自分自身の世界に没入しているように見える」ことである、とも言える。
彼らは観客である我々になにも求めはしない。我々も彼らになにも与えることはできない、ただ物事の運びに、そしてスクリーンに現れたそれぞれの生のありように対して、「そのようにもありえたのかな」と思うだけである。
それでいい。それが大切なのだ。

大部分の見世物は「求めてくる」。笑ってください、泣いてください、共感してください、とうるさい。
政治をめぐるツイートも同じだ。
共感を強制してくる。この強制が暴力の起源であることに全く気づかない。
真の政治的人間は強制しない。ただ本人がなにごとかに没入しているだけだ。

愛とはそのような他者の「没入」に対するまなざしのことなのだろう。

下にユーロスペースの入り口の写真を掲げておく。主人公の斜めに向けられた視線がアートの勝利を示しているのだ。



ついでにトリエンナーレの作品からひとつ。



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